ハルヒによろしく

フリオ

第1話 安芸帆立

 「Vtuberになることにしたわ」


 中学三年生の一学期。六月。安芸帆立あきほたては関係者(安芸の母親、オレ、知らない女性)をオレの実家のカフェに集め、座ったままポツリと言った。テーブルには模試の結果が書かれたプリントと、お茶が置いてあった。安芸なりに緊張していたのか、お茶を飲み干すのは誰よりも早かった。

 安芸はざんぐりと切られた黒髪が似合う美少女だ。小学校の登校班では四年生からリーダーを務めていた。横断歩道を渡るときの蛍光色の旗が安芸の武器だった。そもそも集団の先頭が似合う少女だった。

 付いて行きたくなるような安芸の背中を眺めながら、低学年の子供たちを挟むように集団の一番後ろを歩いていたのがオレだ。彼女の背中は小学校の六年間で見慣れてしまった。中学生になると、並んで歩いて登校するようになったから、それは嬉しかったな。身長も越したし。

 オレはエンターテイメントをこよなく愛する凡人、川崎 ハルヒロである。安芸とは幼馴染だった。カフェの隣にある高級アパートの一室に、安芸一家は暮らしていた。


「三人を集めたのは、恩田さんには宣戦布告、ママには報告、ハルヒロはわたしが頑張っているところを見ていてねって言うため。よろしくね」


 安芸はさっそくユーチューブチャンネルを立ち上げた。最初は、小説をショート動画で解説する活動を始めた。安芸ママが出版社に勤めていることもあり、安芸の自宅にはたくさんの本があった。安芸自身も本が好きで、読み終わってはオレにオススメしていたので、その経験を活かして動画を作っていた。

 動画は「冒頭に惹句を一言」「あらすじを20秒」「引きの言葉を一言」「作者とタイトル」という構成になっていた。撮影はオレの家で行っていた。使っていない部屋があったので、そこを防音に加工した。毎日投稿を基本として、数日が経過すると一万回再生を越えるような動画が出てきた。数百人のチャンネル登録者を手に入れる頃に、Vtuberとしてのアバターを手に入れていた。

 安芸は『乙骨抹茶乙』(おつこつまっちゃおつ)という名前で活動を開始した。小説系Vtuberというタグを用いていたので、そっちの方向で活動をするのだろう。初配信は生放送で行った。もちろん、場所はオレの家の一室だ。

 配信に音が乗るなど、活動の邪魔になってはいけないので、オレはカフェの店内に避難していた。カフェには安芸に宣戦布告されていた恩田さんという女性も来て、カフェオレを飲みながら『乙骨抹茶乙』の配信をスマホで見ていた。


「初配信の同接が300人程度……。無名の個人勢でこれはすごいけど、わたしに宣戦布告するほどではないよね。ハルヒロくんはどう思う?」

「300って、うちの中学の全校生徒ですからね。普通の女の子が集めたと思うと、驚きの数字です」

「帆立ちゃんは普通の女の子ではないよ」


 恩田さんは、安芸がVtuberの活動をするうえで必要な機材を全て揃えた、安芸のパトロンのような存在だ。パソコンは高いスペックのものを買い与え、キャラクターデザインは有名な絵師に、live2Dの作成は大手のVtuberを手掛けているクリエイターに依頼した。その結果、過剰なほどのハイスペックVtuberが誕生した。


「ハルヒロくんは鈍感になっているんだと思う」

「鈍感?」

「英語でいうなら、ナンセンスだね」


 鈍感は英語でインセンシティブだった。

 だからちょっと間違っているのだろうけど、ナンセンスを鈍感と訳すのは、夏目漱石がアイラブユーを月が綺麗ですねと訳したみたいなエピソードみたいで、カッコいいのは分かる。夏目漱石のこのエピソードも、明確な出典がないので間違っているのかもしれない。

 恩田さんはソードアートオンラインが好きらしい。もともと陰キャだったけど、ある程度の表現と成功体験を経て自信満々の陰キャになった。内弁慶というやつだ。妙にコソコソと喋るのも、普通の陰キャ時代の名残だろう。そのコソコソ喋りは、かわいい声と相まって耳が気持ちよかった。


「普通の女の子はVtuberになりたいと思って、Vtuberとして活動するとき、自分の名前を乙骨抹茶乙にはしないよ。ほら、このコメントを見て。『名前のセンスいかつすぎるだろ』だって。この配信が切り抜かれて、Xに投稿されたらバズっちゃうだろうね」

「そんなに甘い世界じゃないでしょ」

「天才には甘いよ。それに、わたしがリポストした途端、一気に拡散されることになる。ネットの人は才能を発見したときに『見つかったな』とか、そういう言い方をするけど、帆立ちゃんはすでにわたしが見つけてしまっている」

「饒舌ですね」

「職業病なの」


 恩田さんは伝説のアイドルVtuberの中の人だ。引退配信で同時接続者数約95万人を記録して伝説になった。『小湊 みさき』という名前を知らない人の方が少ない。引退後、恩田さんは数か月の期間を空けて転生をした。今は個人勢Vtuberとして、インターネット上で余生を過ごしている。

 恩田さんと安芸は、ライトノベルフェスティバルで出会った。イベントに興味がないオレにとっては、よく分からない催しだった。ライトノベル読者同士で交流できる謎解きのスペースがあって、二人は謎解きのペアになった。

 そこからは想像に容易い。安芸は先頭を歩く少女だった。恩田さんは前を歩く安芸の背中を見たのだろう。恩田さんの言う通り、ずっと安芸の近くにいた僕は、鈍感になってしまっていた。逆に、安芸と初めて出会った恩田さんは、敏感、つまりセンシティブだった。


「ああ、楽しみ。帆立ちゃんが日本のエンタメを変えちゃうから」

「大袈裟な」

「大袈裟じゃないよ。わたし程度でもひっくり返りそうになったんだから。帆立ちゃんの感性にみんなが触れたら、すぐにひっくり返る。そのための条件が揃っちゃったんだから」

「期待するのも分かりますけど、あんまりプレッシャーをかけないであげてください。安芸は本当に普通の女の子なんです。それに恩田さんが安芸をリポストしたら、ネットの人たちは二人の関係性に勘づきますよ。ネットの人たちも敏感ですから、安芸の完成度の高さは充分に怪しいです。裏で繋がってると思われたら、安芸が攻撃されかねない」

「饒舌だね」


 恩田さんは顎を引いて笑った。

 それは陰キャの仕草だった。

 内側に沸々と欲望を溜めている。いつ爆発してもおかしくない。圧倒的な表現者としての才能が陰キャにはあった。伝説のアイドルVtuberとして発散されていたその創作意欲のマグマは、余生として穏やかな日々を過ごしているなかで、恩田さんの小さな胸のなかで煮詰まっていた。

 恐ろしい笑顔だ、と思った。


「ハルヒロくんは帆立ちゃんをみんなに取られたくないんでしょ?」

「……」

「ふふ、かわいいね」


 26歳になる恩田さんに対して、オレはまだ15歳のガキ。

 恋心をいじられることにダメージはなかったけど、饒舌の指摘をやり返され、感情を言語化され、勝てないなと悟ってしまった。まず、オレはみんなに安芸を取られる前に、恩田さんに取られていた。


 安芸の乙骨抹茶乙としての初配信が終了した。

 最大同時接続者数は422人。

 放送終了後、ネット民により自己紹介シーンの切り抜き動画がXに投稿される。

 一分ほどの動画だった。乙骨抹茶乙という名前の響きと、シンプルに安芸の声の良さ、そしてそれを最大限に伝えるクリエイティブの部分の完成度の高さと、動画の音質の良さが動画には詰まっていた。

 1000いいねほど付き、フワッと話題になった頃、恩田さんのアカウントによりリポストされた。三日後、『この新人Vtuberの名前えぐすぎるwww』という文章と共に投稿された乙骨麦茶乙の切り抜き動画は10万いいねにまで到達した。


 しかし、それだけで終わらなかった。

 ネットの人たちが乙骨麦茶乙のチャンネルまで辿り着き、チャンネル登録者が5000人を突破したとき、新しい動画が乙骨麦茶乙チャンネルに投稿された。動画のタイトルは『俳句素人でも10000句詠めば歴史に名を残すことができる説 

前編』という企画動画だった。

 

 乙骨麦茶乙は、歳時記とランダム単語メーカーを使用して俳句を量産した。前編では5000句詠んでいた。「歳時記で季語を決定」「ランダム単語メーカーで単語を生成」「乙骨麦茶乙が575に編集」「良い声で句を詠む」という構成が、切り抜き動画にもってこいだった。そして、切り抜きところは5000個あった。本編の動画は急上昇の一位に浮上。切り抜き動画は回りに回り、余波で本紹介のショート動画も再生が回り、一週間でチャンネル登録者が50万人。みんなが次の動画を待っていたタイミングで『俳句素人でも10000句詠めば歴史に名を残すことができる説 

後編』が投稿された。

 

 乙骨麦茶乙はネットに浸透した。




◇◇◇




 7月の上旬。人工的に植えられた木々の列が新緑を宿している。暑さに琴線を刺激され、首筋から汗が零れる。左手にカバンの重さを感じながら、英単語帳を開いていた。家の前で待ち合わせて、学校に向かうのはいつものことだった。中学一年生の最初から、それは変わらない。

 安芸の足音が聞こえて、オレは英単語帳を閉じた。


「おはよう」


 安芸は眠そうな声で言った。

 オレは「おはよう」と返事をして、隣に並んだ安芸を見る。半袖の制服から、安芸の色白な腕が見えている。オレは「寝不足?」と聞く。安芸は「深夜まで小説を読んでいたの」と答える。


「とりあえずは小説を書くのに集中することにしたわ」


 歩いて学校に向かう途中、安芸はポツリと呟いた。

 安芸が小説の執筆に興味があることは知っていた。

 

 安芸は「何も言わないで応援だけして」と言った。聞きたいことはたくさんあったけど、オレは「分かった」とだけ言って、黙って応援だけすることにした。


 授業の時間を使って、安芸は小説を書いた。机の上に堂々と原稿用紙を広げているので、休み時間にはクラスメイトからも質問をされた。クラスメイトの「何を書いているの?」という質問に、安芸は恥ずかし気もなく「小説よ」と答えていた。

 安芸に質問をしたクラスメイトのうちの一人である尾道 春香さんは、文芸部に所属していた。小説を書いている安芸に興味を持ち「完成したら、ぜひ読ませてね」と約束し、安芸は「いいわよ」と結んでいた。

 安芸が小説に集中している間、乙骨抹茶乙のユーチューブチャンネルには撮り溜めていたショート動画や、切り抜き動画が投稿されていた。初配信で未成年であることは公表していたので、否定的なコメントは少なかった。


 オレは尾道に頼み、文芸部の部室に来た。中学生が書く小説というのがどういうものなのか確かめたかった。尾道はオレを先導し、文芸部の部室のドアを開けた。小さな部室だったが、長い机といくつかの椅子があり、大きな本棚が一つ置いてあった。尾道は本棚から、冊子を取り出した。オレは冊子を受け取り、椅子に座る。表紙には『金木犀』とある。


「これが去年の部誌ね」


 オレは部誌を開く。もくじを確認すると、ずらっとタイトルと著者名が並んでいた。著者名のなかには、尾道の名前もあった。オレは「尾道の作品を読んでもいい?」と聞く。尾道は「そういうの恥ずかしいから何も言わないで読んでよ」と言った。やっぱり、自分の小説を読まれるというのは恥ずかしさがあるのだろう。


「純文学というのは日本文学における用語で、大衆文学よりも芸術性がある小説のこと。芸術性っていうのは、当事者性、社会批評性、他者性、この三つのことだとわたしは考えているよ」

 

 尾道は恥ずかしさを誤魔化すように、純文学というジャンルの説明をする。


 尾道の小説があるページを開く。タイトルは『春と鯨』。港町で踊り子をしていた少女が、ひょんなことから捕鯨船に乗ることになる話だった。オレは「賞はとった?」と聞く。尾道は首を横に振って否定する。


「高校生文学賞に応募して一次選考で落ちた作品だよ」


 オレは「ありがとう」と感謝を伝えながら席を立った。

 尾道は「役に立ったのならよかった」と言った。


 数日後、安芸は喜々として完成した原稿をオレに渡した。安芸は「読んでみなさい」と自信満々に言った。原稿を汚さないように、自室の机の上で読む。タイトルは『ハルヒによろしく』。Vtuberとして活動することになった少女の話。純文学を書くと言っていたので、これは純文学なのだろう。

 翌日、いつものように家の前で英単語帳を開いて待っていると、そわそわしながら安芸がやってくる。オレはカバンを開いて、安芸に原稿を返す。原稿を受け取った安芸は「感想はいらないわ」と言う。

 3時間目、国語の授業のときのことである。静寂に包まれていた教室で、尾道は突然立ち上がった。ガタッという椅子の音が聞こえて、教室中の注目が尾道に集まった。国語の教師は「尾道さん?」と困惑し、続けて「どうしました?」と聞く。


「……私小説?」



 小説の中で、主人公は言う。

『Vtuberになれば、涼宮ハルヒを倒せる』

 


 


 



 

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