海深300メートル

天野 羊

海に沈んだ世界では-1

 温暖化が進んだこの星。

 氷は溶け出して、かつて人間が生活していたとされる9割の土地が海に沈んだ。

 そして残った1割にはこの星に住む『お偉いさん』達が住んでいた。

 彼らは歴史上初めて手を取り合って、その場所の土地を手にしたらしい。

 

 「本当の平和は絶望の中にあったってことだ」

 じいちゃんは何千年も前のことを語るかのように、悪役じみたセリフを僕に吐いた。

 「人が死んでないだけマシじゃんか」

 と、昨日授業で習った何百年も前の核戦争のことを思い出して僕は言った。


 地面が海に沈むということは、そうなる100年前からわかっていたこと。

 『お偉いさん』達はそれがわかった瞬間に、秘密裏に自分達が土地を手に入れるための条約を交わした。

 それからの100年で、科学は今までにない速度で発展した。

 おかげで人類は現在、水の中でも暮らしていける方法を見つけていた。

 

 海での暮らしはとても快適で、生まれた時から海の中で過ごした僕にはそれが当たり前だった。

 水面に伸びたホースを伝って外に顔を出した時には、海の中の景色の方がよっぽど綺麗だと肩を落としたこともある。

 当然、人類が水中で生きられるってことが、イコール酸素が必要ない。ってことにはならない。

 ホースの長さ約300メートル。それが酸素を運ぶ距離こそが僕ら、所謂『庶民』の行動限界だった。


 同級生達の顔や声は知っていても、それ以外のことは知らない。

 どんな背格好をしているのか、どんなことが好きなのか。

 

 授業は最新の通信技術を用いて行われ、近所に住む数人と家族以外の人間と会うことは殆どなかった。

 娯楽といえば、その通信技術を応用した今でいうインターネットのようなものと、テレビのみ。

 とはいえテレビが映すのは、地上に住む1割の『お偉いさん』のことばかりだった。

 そんなテレビを僕以外の家族が見ることはほとんどなく、それは僕の授業を移すためのモニターと化していた。


 『お偉いさん』達は、水中で済む僕ら『庶民』のことを嫌った。

 彼らは真っ黒な綺麗な髪の毛を持っていた。

 僕らの髪は反対に、海水含まれるアルカリによって艶はなくなり、次第にメラニン色素を失った。

 それだけの違いで、僕らを嫌う彼らの気持ちはわからなかったけど、歴史上では肌の色の違いで戦争が起こったこともあるらしいので、きっとそういうものなんだろう。

 当然そんな彼らを、僕ら『庶民』の大人は恨んだ。

 だからこそ僕がテレビを見るのは一日数分。

 毎日のように家族がいない間を狙って僕はテレビを盗み見た。


 ある日、いつものようにそれを眺めていて僕は驚いた。

 そこには『お偉いさん』の少女が、海に落ちてしまった事件が映された。

 ただ、僕が驚いたのは事件そのものではなく、その小さな少女を抱える髪色の薄い青年に、だ。

 その青年は恐らく僕らと同じ『庶民』だったが、僕とは違って彼はホースを外していた。

「ホースを外すのは犯罪」と小さな頃より教え込まれた僕から見たら、その光景はすごく自由で。

 僕がこの暮らしに初めて不自由さを覚えるのには、充分だった。

 それに目を奪われていると、家族の帰宅の音がした。

 僕は慌ててそれを消したが、その日の夜になっても彼の姿は瞼の裏から離れなかった。


 彼の正体はすぐに分かった。

 次の日授業で「ホースを外す時はどのような人間、あるいは状態か」と、生まれて初めて質問をした。

 講師は一瞬戸惑った様子を見せ画面から目を逸らしたが、数秒後には言葉を選ぶように答えてくれた。

 「それは科学者か、はたまた活動家か。まぁそのくらいでしょうね」

 この頃、活動家といえば今でいう過激派集団のようなもので、昨日見たニュースの中の彼がとった行動とそれは僕の中では結びつかなかった。

 「科学者か」ひとまずの目標を見つけた僕は、その日から熱心に勉強に勤しんだ。

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