グルーミング
思い返す。思い出す。
数日前に、言われたこと。強烈な腹部への蹴りと同時に、吐き捨てられたこと。
──『偽善者が』
あの時は言えなかったけど、これほど滑稽な言葉もないと思う。大人になれば利害関係は必ず生まれるもので、邪な思いを抱えて行う善が偽善なら、本当の善を知っているのは、きっと子供だけだ。
私は、自分が善なるものだと信じていた。
自分の行いは、すべて正しいと思っていた。自分は幸せに思えることなら、他の人も幸せになれると思っていた。
だから私は、その日あった嬉しい出来事を、料理をしている母に告げたのだ。
「今日ね、チビでデベソだなーって、公園でお兄さんに抱っこして遊んでもらった!」
振り返った母は、笑っていなかった。
消毒液の匂い、見渡す限り、しろ、しろ、まっしろ。カラフルなのは、絵本だけ。
怖い顔をした母に、病院に連れていかれた。MRIだとか、知能テストだとか、およそ身長とはなんの関係もなさそうな検査をいくつも受ける。「病気なの?」と聞いても、「それを調べてるの」とだけ言うばかり。どんな可能性があるのかとか、詳しく教えてくれたっていいのに。
名前を呼ばれて、診察室に通されて、お医者様が、お母さんを見る。私には説明してくれない。
『成長ホルモンの分泌量は正常です。脳腫瘍も、知的障害もありません。確かにお子様の身長は同年代の平均と比べ、-2SD……医学的低身長に位置しておりますが、今のところ治療すべき疾患は見つかりませんな』
「ホルモン注射を頂くわけにはいきませんか」
『正常値の方には推奨できません』
紋切り型の回答に、母はため息をついて、お医者さんは、眉を顰める。
『お母さん、身長が低いのも個性です。子供の意思を無視しちゃあ、可哀想だ。お子さんの意見を一度でも聞いてみましたか』
ぐるりと首が回って、私を見る。ロクに説明もしていないのに、そこで私に振るのかよ、と思った。母の視線が私に向いて、お医者さんの視線が向いて、縋るような、祈るような瞳に、私は言葉を飲み込んだ。
「……別に私、気にしないよ。小さいってことは、可愛いってことだもの。お父さんの夢を叶えてあげられないのが、ちょっと残念だけど」
父の夢は、同じくらいに大きくなった息子とキャッチボールをすること。性別はともかくとして、大きくさえなればと思っていたけど、それすら私では叶えてあげられない。母は、涙を溜めて私を抱きしめた。大きく産んであげられなくてごめんねと、声をあげて泣きじゃくっていた。
お医者さんは、それを迷惑そうに眺めていた。
ねえ、お母さん。
私、最初は本当に気にしてなかったんだよ。背が小さくたって、お母さんが笑ってくれていればそれでよかったの。
悲しまないで。哀れまないで。バカにしないで。
……笑ってよ。
────
「……夢」
肩に凝りを感じつつ、重い腕を動かして目覚ましを止める。
全身筋肉痛で、どうにも寝覚めが悪い。原因は分かり切っている。昨日張り切って水泳かましたせい。水ってほんと、身体にまとわりついてくるもんだから思うように動けなくって大変だ。姉はこんなことして生計を立てているのだ。同じ人間だとは思えない。
「……」
寝覚めが悪い原因は、きっとそれだけではない。昨日のことを、井上正幸から言われたひとことが、ずっと頭の中でループしている。
──『人魚を殺した、有山拓実くん』
名前も知らない、コスプレチックな人魚のお姉さんのことは、僕が殺したワケではない。僕が殺したワケではないけど、僕が殺したと誤解されても仕方がない状況ではあった。あの場にいて責めを受けたとしたら、冷静に自分を弁護できた自信はない。
現に、昨日古傷を掘り返された時だって、一言も反論できなかった。空気を求める金魚みたいに無様にパクパクやって、なんにも言えずに彼を見送った。
(彼は、恨みはないと言っていたけど)
お姉さんはこの街の生まれだ。エコロの父だと言う井上正幸の知り合いであったとしても、おかしくはない。
年齢的に、彼の方が少しお姉さんより年上ではあるだろうけれど、友人でも、恋人でも、兄妹でも、何らおかしなことはないのだ。僕に怒りを覚えていたとしても、何らおかしなことはないのだ。
週末は、楽しかった。久しぶりに、心の底から笑えた気がした。のに。
(……エコロも、彼の娘であるなら、お姉さんの知り合いなんじゃないか。僕に近づくのは、復讐のためなんじゃないか)
なんて、気分が沈んで、寝ている間に掻きむしってしまったらしい傷だらけの手の甲を見つめて、ため息をついた。こうなると、手を洗ったときひりひり痛んで嫌なんだ。けど、手を洗わないと病気になってしまう。自分の愚行が原因で、人生で避けて通れないイベントが、どんどん苦しいものになってゆく。
ご飯を食べて、顔を洗って、朝の支度では何度か避けて通れない痛みを越えて、真っ白なワイシャツの袖を通す。
(卑下はいけない、自傷はいけない。他人は僕に興味が無い。分かっているつもりなんだよ)
僕が殺したわけじゃないんだ。でも、周りはそうは思わない。から、自分もそうは思えない。身体が覚えている。身体が、頭が、脳味噌が、勝手に自分を罰するんだ。
「……もう時効だよ。忘れてさ、楽しく生きようよ、な」
言い聞かせて、家を出る。
物音が、他人の視線が、今日も恐ろしい。
────
「そりゃ、ソイツがあんたに会いたがってんだよ。夢枕って今やった話じゃん」
「古文の人たち、大概プラス思考ですよね。羨ましくなります」
国語の授業終わりの休み時間に、京子さんの席の前で今日見た夢を話すと、彼女は黒板を指さしてそんなことを言った。昔の人は、夢に異性が出てきたとき、そいつが自分に会いたかったのだと解釈するのだという。ポジティブが過ぎて羨ましい。
エコロはトイレにでも行っているのか、席にはいない。水野さんと何の話をしていたのか聞きたかったのだけれど、後回し。京子さんと、何を話そうか──
──『その人のことを想うなら、ふたりめを作るべきだって話』
「……京子さんはどうやって、エコロと知り合ったんですか」
エコロにとって、京子さんは十分に心を許す対象だと思う。テレパシーについて知っているのがその証左だ。そう思ったとき単純に、二人の出会いが気になった。京子さんはぱっつんの前髪を揺らして、んー、とボールペンを上唇と鼻で挟んで上を向いた。
「一目惚れかなあ。友達になろうって、あたしからアタックしたの」
そう言って、エコロの席を見る。
「あたし、今じゃバレーやってるけど、中学ではソフトボール部だったのよ。エコロも同じソフトボール部。でも、第一印象は微妙だった。いっつも休み時間はイヤホン嵌めて音楽聴いててさ、無口だし、とっつきにくいなあって」
自己紹介での饒舌さは、中学の頃にはまだ備わっていなかったらしい。
「あるとき、部内でいじめが起きた。きっかけは些細なことだったと思う。簡単なフライを取り損ねたとか、部室の掃除当番をサボったとか、そんな感じで、部員の1人がいじめられ始めた」
あたしじゃないよ、と手を横に振る。
「みんな、見て見ぬ振りをした。あたしも止めたかったけど、チビだから、体格じゃ勝てないって思った。誰かが止めればいいのにって、他の人に怒ってた。そんな自分が、嫌いだった」
分かる気がして頷くと、彼女は打って変わって得意げな顔になって、人差し指を立てた。
「でもね、苛めは一週間もしないうちになくなっちゃった。覆面のドッペルゲンガーの噂が流れたから」
「覆面のドッペルゲンガー?」
「こんな内容の手紙が部室に落ちてたのよ」
よほど印象的な出来事だったらしく、誦じてみせる。
『悪いことをすると、覆面のドッペルゲンガーが現れる。キミと同じ声をしていて、キミに代わって善行を積み、最後にキミの名前を名乗る。しまいにはキミ自身は、世間に求められなくなるだろう』
「それを、エコロが……」
「意外だって思う?」
エコロがまだ帰ってきていないことを確認して頷くと、「まあ、覆面とかしそうに無いよね、あの子」と、窓の外を眺める。
「ほんとうに覆面してたのかは分からないけど、その日から虐めっ子は本当に、毎日毎日褒められるようになった。初めは笑って意に介していなかったソイツも、ある時、真に迫った脅しであることに気付いて、イジメを止めた」
「『覆面のドッペルゲンガーの噂がある以上、褒められるたびイジメ行為を全学級に喧伝していることになる』、『仮に改心しようとしても、早いうちにやらないと狼少年的に信用されなくなる』、『善行ができるなら悪行も出来る、身に覚えのない罪を着せることもできるんだぞ』とかですかね」
「うわあ、心配性」
まあでもそういうこと、と笑って、京子さんは話を締めくくる。
「どれが引っかかったのかは分からない。不思議な能力ありきなのかもしれない。でも確かに、いじめは止まった。アイツは『考えたのは妹だから』って言うけど、実行に移す心の強さと正義感は、確かなモノよね」
なるほど京子さんは、彼女の強さに惚れたのだ。嬉しくなって、僕も笑った。
「……にしてもエコロの妹って確か今中学生ですよね。ということは当時小学生で、こんな作戦を考えたってことに」
「だからまあ、今日あんたに会えてほっとしたよ。2人でプールなんて行ったら過保護な妹の策で帰らぬ人になるんじゃないかって」
「怖いこと言いますね」
「お、インチョー」
自分の身体を抱いてふざけていると、エコロの乱入。彼女と視線を合わせると、開口一番両手を合わせて、申し訳なさそうに眉をハノ字にして。
「昨日はごめん! 誘ってもらったのに、機嫌悪くしちゃって」
なんとも律儀。でも、この場で言うのはどうなんだろう。京子さんの眉がちょっと動いたのに気づかないふりをしつつ、いえいえ、と軽く手を振る。むしろ配慮が足りていなかったのはこちらの方だ。これからはもうちょい、表情の機微に気を付けよう。例えば今する質問も。
「ところで、あの後の手紙の内容って──ああ、聞いちゃダメなやつですね」
「……うん。埋め合わせはしたいと思ってるんだけど、出来たらそれ以外で」
エコロは申し訳なさそうに、さらにハノ字に眉を寄せる。罪悪感は面倒なもので、何かしらの手段で手っ取り早く解消したいという思いも、分かる気がする。
「じゃ、ご飯一回奢ってください」
食堂の定食ならワンコインで済むし、安上がりだろうと人差し指を立てた。
エコロはパアっと顔を綻ばせ、お安い御用と真似して人差し指を立てる。うんうん、友達どうしの息の合ったコミュニケーション。
「オッケー。今日の放課後、ボクの家に来て欲しい。手料理をご馳走するよ」
時は流れ、あっという間に放課後。正直授業が一切耳に入らなかった。
目の前には、二階建ての一軒家。黒く重たい扉を開けて、エコロが制服姿で「いらっしゃいませー」と手招きしてる。ここまでさせるつもり無かったんだけどなあ。
恐る恐る敷居をまたぐと、他人の家特有のそわそわする香りがして、姿勢を正す。靴を脱いで、家に上がって、そういえば家の中に尻を向けてはいけないとかそんなマナーがあった気がして、後ろ手でぎこちなく靴を揃えようとして、手が空を切る。エコロがくすくす笑う声が聞こえた。
「またキンチョーになってるの?」
「馴染みの造語みたいに言ってますけど一回目ですからね。そんで気付くか結構怪しかったですからね」
「はいはい。ほら上がって上がって」
そう言って、エコロは僕を抜かし、学校指定のローファーを履いたまま家に上がる。あまりに自然で、それゆえに思考が挟まらず、躊躇なく肩を掴んで止めた。エコロは一瞬ワケが分からなそうに僕を見て、それから僕の視線を追うように自分の足元に目をやって、気まずそうに玄関に足を戻す。耳まで赤い。両手で顔を覆っている。
「どっちがキンチョーですか」
「昔は靴脱いでなかったんだよ。おばあちゃんがオーストラリア人でね、その習慣を受け継いだヒナ姉に靴脱ぐなって教えられてたの。この辺に玄関マットがあってさ、そこで土落として……うんインチョー信じてないでしょ。可哀想なものを見る目だよ」
「シンジマスヨー。ヒナコサンキンパツデシタモンネー」
「……2階にボクの部屋があるから、先に階段上って」
言われた通りにピンクのスリッパを履いて階段を昇って(途中仕返しとばかりに背中をどつかれた)2階へ上がると、2人並ぶには手狭な廊下に、部屋に繋がるドアが2枚。
奥の部屋がエコロの部屋だ。そう分かったのは、彼女が手前の部屋に見向きもしなかったから。視界に入れないようにしているみたいに、視線がまっすぐに固定されていた。
「そっちの部屋には、何か呪いの品でも?」
振り返って手前の部屋を指すと、なに呪いの品って、とあきれた様子。
「いや妹の部屋。元、ヒナ姉の部屋。どうして?」
「見ないようにしている感じがしたので」
ほんとによく見てるね、と呟いた。
「ボク、ヒナ姉のこと苦手だったから。それが出てるのかも」
そう言って僕を抜かして自分の部屋に入り、顔だけ出してちょいちょいと手招きする。なんとなくそわそわして、身を屈めて入ると、綺麗に整頓された、小奇麗な部屋があった。年季を感じさせるものの清潔感のあるミルク色の壁紙に、学習机とベッドが部屋の両角にあり、部屋の中央に小さな丸テーブルと、その上にトランプと思しきカードの束、マサバに貰ったピッコロのハードケース。
左を向けば、壁にかかった大きな鏡。全身がきちんと映るやつだ。右を向けば、壁に貼られた暗号表。幼き日の自分の字がいまだに貼り出されている気恥ずかしさに目を逸らして上を向く。学習机の上に、《井上夢生 様 競技大会優勝おめでとうございます》と書かれた賞状が額縁に入れて掛けられているのを見つけた。
「妹は優秀でね、それは競技大会のクラス対抗サッカーで優勝した時の賞状」と、丸テーブルからトランプとピッコロをどかしつつベッドからクッションを放り投げてくるエコロ。好きに座って、とのことなので、丸テーブルの前に座る。エコロはというと、学習机の本棚を漁ってああでもないこうでもないとやっている。声をかけるのも憚られ、ぼんやりと、整頓された小奇麗な部屋を眺める。
失礼を承知で言うと、整頓され過ぎている印象があった。趣味が窺えないというか、必要最低限の物しかないというか。なまじ中学の時に行ったゴードンの部屋はカメラ類でごたごたしていたものだから、違和感がスゴイ。性差なのかな。
そんな気分であたりを見回してようやく、窓の外、青いプラスチックの鉢植えに実ったプチトマトを見つけて、少しほっとした気分になった。
「趣味は家庭菜園ですか」
「いや、それは妹が学校で育ててたやつ。もうすぐ夏休みだから持って帰って来てた」
「……妹さんに部屋浸食されすぎじゃありません? 隣に個人部屋あるんですよね」
「目に入れても痛くないもの、部屋が浸食されてもへっちゃらへっちゃら」
本棚の整理が終わったみたいで、何やら分厚い本を抱えて丸テーブルに持ってくる。そのとき、学習机の本棚から封筒が一枚、ひらりと手元に落ちてきた。キャッチして机の上に戻そうとして、差出人の欄が目に入って。
『有山 拓実』
エコロは固まる僕を見て、それから手紙を見て、首を傾げる。
「ぼうっとしちゃって、どうしたの?」
「僕、手紙なんて出しましたっけ」
「出してたよ。こっちでも上手くやってます的な内容のやつ。それ、間違いなく自分の字でしょ」
なんだか、しっくりこない。彼女の言う通り、差出人の字は間違いなく僕のものだ。けれど、エコロに手紙を出した覚えが無いのだ。
「……覚えてないってことは大したことじゃないんだよ、忘れてたとしても、これから嫌でも思い出すことになるし」
エコロはそう、手紙をさっさとひったくると、抱えた分厚い本をテーブルに載せる。開くと、ページに癖がついているらしく、中ほどのページが開かれる。そこに印刷されているのは、一枚の写真。見た瞬間に、懐かしさが溢れてくる。
彼女が持ってきた分厚い本、卒業アルバムに映った一枚の集合写真には、真ん中にエコロがいて、笑顔のクラスメイトが取り囲んで、みんな、お揃いのポーズをしていた。ピースサインとグッドサイン。教えた暗号の、『6』と『1』。『6年1組』ってことか。
「ニヤニヤしてるよ」と、エコロ。僕は頬を押さえた。
──『私が、どんな思いで、育ててきたと思ってる』
壁にかかった暗号表を見て、思い出す。
自分の善意が、信じられなくなっていた。正義感に身を任せるより、なんにもしない方がマシじゃないかって思っていた。
けれど、こうして彼女は、教室に馴染んだのだ。
「ごめんなさい、気色の悪い顔をして。懐かしいのもそうなんですけど、それ以上に嬉しくて。やったことは、無駄じゃなかったんだって」
興奮気味に口走る。エコロは嬉しそうに、けれどすこし、口を尖らせる。
「……インチョーはそりゃ、満足なんでしょーけどー。ボクはちょっと寂しかったよ。暗号が使えるようになったのに、すぐに引っ越しちゃったし。話したいこと、いっぱいあったのに」
彼女はときおり、反応に困る嬉しい言葉をくれる。返答に窮していると、彼女はグッと伸びをして。
「でもいいんだ。こうして会えた。今度は普通に話そうって、諦めずに読唇術を習得した甲斐があったよ」
気まずさを振り払うように、伸ばした手をベッドの方の壁に向ける。
「ところで、さっき呪いの品がどうこうと言っていたけど。ボクの部屋には本当に呪いのアイテムがあるんだ。それがあの鏡」
「呪いにしてはめっちゃ無造作に置いてありますけど」
改めて見ると、縦だけじゃなく横にも大きな鏡だ。エコロと並んでも全身映る太さで、かなりの重量が想定される。地震が起きたら大変そうだ。
「どの辺が呪いで?」
「鏡に映った状態で悪事を働くと、覆面のドッペルゲンガーに身体を乗っ取られるんだ」
聞いた名前だ。
「実在したんですか、覆面のドッペルゲンガー」
「京子ちゃんに聞いたんだよね。そう、その覆面のドッペルゲンガー。あれ、京子ちゃんはボクだと思ってるみたいだけど、実際は、この鏡にいじめっ子を映して成敗してもらったんだ。ボク、覆面しそうにないでしょ。清楚系だね」
「……話してたの、聞いてました?」
「『覆面しなさそう』のタイミングで教室の入り口から見てましたー。耳が聞こえなくても、口の動きでばっちりと」
噂話をするときは、もう少し周囲に気を配ろうと思う。そして、卒業アルバムを抱えていた時も感じていた、明らかに期待の籠った視線にじりじり焼かれている。これ多分、なんか罠が仕込まれてるぞ。
おっかなびっくり、警戒しながら鏡の前に立つ。もちろん、表情には余裕を忘れずに。
「まあ、要は悪いことしなければ、覆面のドッペルゲンガーは出てこないんでしょう」
言いながら、頭痛がした。人魚を殺した思い出が、自分の言葉で蘇り、脳が歪んで、それに見て見ぬ振りをする。
笑顔を見せた。エコロも同じように笑って、それから、足元を見て、表情が固まる。
「……インチョー、踏んでる」
鏡の前、トラ柄のプロレスマスクが、僕の履いたスリッパと床の間にあった。
「……これ、悪事ですかね『ですかね』」
「インチョ~!」
突如二重音声になった僕に、もうダメだと頭を抱えて倒れ伏すエコロ。なんという茶番だ。正直自分の声を録音機から聞くのは、嫌な思い出しかないから勘弁願いたいのだけれど。
倒れ伏した状態から顔だけ上げてこちらの様子を窺うエコロに、ため息をつく。もういいですか。
「まず貴女は耳が聞こえないのに、なんで鏡から聞こえたのが僕の声だって分かるんですか」
ぎくり、とエコロは目を逸らす。
「思えば、不自然な点がありました。僕を抜かして先んじて部屋に入り、最初にテーブルの上から不要なものをどかして、クッションを渡して座らせる。こうされたら、僕は間違いなく丸テーブルの周辺に座ります」
まあ、ここまではホストとしての振る舞いとして不自然なものではありませんが、と呟いて。
「どこに座るかと言ったら、貴女が視界に入るようにです。貴女はその後、学習机で作業をしていたので、それが視界に入るように座りました。暗号表、妹さんの賞状や鉢植えにも視線を誘導されて、左側、鏡のある方向を向くことはありませんでした──鏡の裏には、視線が行かないようになっていたのです」
鏡の横から壁を覗くと、ミルク色の壁紙に調和した、ベージュの部屋を繋ぐドアが見える。繋がる先には、エコロが見ないようにしていた、元姉の部屋、現妹の部屋がある。
「この部屋はドアで隣の部屋と繋がっています。これの裏にボイスレコーダーが仕込まれてて、妹さんが録音してすぐに再生しているんでしょう。壁よりは、音を通しやすいでしょうからね」
「遊びが無くてつまんなーい。ブーブー」
彼女は唇を尖らせて不平を言い、それから鏡を横に移動した(重そうだったので手伝った)。そうして、隠し扉が現れる。
エコロは、どうぞどうぞとドアノブを指す。
「答え合わせしよっか。妹にもインチョーが来ることは言ってあるから、開けちゃっていいよ」
「まったくもう」
正直なところ、油断があった。エコロのことを見下すとは言わないまでも、純真無垢な子であるというイメージが取れず、これ以上があるとは思っていなかった。から。
呪いの仮面を思わせる、ピンクと黒でショッキングな配色の覆面と目が合ったとき、一切の余裕なく本気でびっくりした。
頭が真っ白になって、そこに、覆面の口が動いて、《僕の声》で、話しかけてくる。
「貴様は、許されないことをした」
一瞬、本能的に身構えた。それで、最悪の気分になった。
(なにが、贖罪)
今朝、エコロの目的が僕への復讐である可能性を考えて、結論、もしもそうであるなら、受け入れるつもりでいた。人魚を殺したことについて、抵抗せず裁きを受け入れることが、贖罪になるのだと達観してすらいた。
そのはずなのに、僕は反射的に身構えていた。
(結局お前は心が弱いままだ。自分さえ良ければいい。あの時と、なんにも変わっていない)
そして、その怒りで冷静さを取り戻した。鏡から現れる僕の声のドッペルゲンガーなら、姿も僕のものであるはずだろう。この子はエコロよりも一回り小さい。
骨格は女の子のもの、左手の中指と右膝に包帯が巻かれていて、服装は黒を基調にしたドレスワンピースで、腹にでっかいベルトを巻いている。ゴシックロリータってやつだ。エコロと対照的に趣味全開だけれど、この子は、おそらくは予想通りエコロの妹だ。よく聞いてみれば、ぶつぶつ関係ないことも言っていて、どうやら僕の考えは杞憂のようで。
「苦節百年、待ちわびた。ようやく、ようやくだ。感謝するよ、ここまで、生贄を連れてきてくれたことをなァ。かくものお前も命が惜しけりゃ、友人を売るんだなァ」
何やら演技がヒートアップしてきたエコロの妹と思しき覆面のドッペルゲンガーを冷めた目で見て、扉をそっと閉めようとドアノブに手を伸ばした瞬間。背中に体温を感じて、柑橘系の爽やかな香りに頬を緩めたのも束の間、気づいたらエコロに羽交い絞めにされていた。
「あのー、エコロさん?」
「ごめんねインチョー。どうしてもやりたいって言うもんだから、付き合って」
「ふははのはァ。これで私は自由になれる!!」
小柄なその化け物は、僕の声で叫んで、そのまま、右手に持った棒を──『ドッキリ大成功』のプレートを、僕の脳天めがけて振るう。てかこれプレートじゃなくて四角い紙がくっついた風船──
パン、と爆発音がして、僕は無様な顔を晒した。
「というわけで初めまして。心の妹の夢生(むう)と申します。よろしくお願いしますね」
「というわけでじゃないんですが。キャラクター渋滞しすぎなんですよ」
夢生は風船を割った爪楊枝を片手ににっこり微笑む。エコロよりさらに低い背丈、三つ編みのツインテールに、プロレスマスクを被っていた時にはかけていなかった太ぶち眼鏡をかけていて、幼さと知的さが同居した印象だ。
のわりに、服装だったり、プロレスマスクだったり、もろもろ個性が渋滞して、その言動は自由奔放。二言目には「タメ口でいいかしら」なんて言ってる。僕は頷く。頬はたぶん、引き攣っている。気を遣わなくてよいのは、良い個性であると思うけど。
「……自分の声が聞こえてくるのはボイスレコーダーの録音によるものだと思っていたんですが、実際は貴女の声だったのですね。貴女もエコロと同じ力を?」
「私は普通の人間よ。声真似はかくし芸ね。事前にサンプルを貰いさえすれば、男の子の声も真似できるわ」
そう言って、彼女は両手でボンベを誇示する。左手はヘリウムガス、右手はクリプトンガス。ヘリウムは空気より軽いので、吸って声を出すと普段より空気の振動が速くなり、その分声が高くなる。クリプトンはその逆、吸うと声が低くなる。
「そういうパーティー系のガスって、酸素が混じった市販品でも窒息事故が多発していたような気がするんですが」
「心配しなくても風船には入れてないわ。ただの空気、なんなら美少女の吐息よ」
「……そうじゃなくて、貴女の身が」
「へーキよ。慣れてるもの」
恐れ知らずだ。あとしれっと自己評価が高い。
ついていけなくなって、「あの手紙は演出だったんですね」と、エコロに助けを求める。「へ?」と生返事。彼女もついていけていない。
「手紙ですよ。本棚にあった、僕が差出人ってことになってたやつです。出した覚えが無いのになと思って。ドッペルゲンガーが書いたやつってことなのかなって。彼女の服装や包帯も、ハロウィンで見そうな格好で、手が込んでいて驚きです」
あー、と何か言いたそうなエコロの声をかき消して、「お目が高い!」と夢生。せわしない。
「手紙は私が用意しました。服装は自前。もともとゴスロリ趣味なの。ちなみに包帯もある意味自前よ。フットサルの練習で指折っちゃって療養中♡」
「のわりにすごく元気ですね」
「憂鬱な気分でいても怪我が治るワケじゃないもの……あ、そうそう」
せわしなく動いて、心底楽しそうに喋っていたかと思えば、急に真顔になって急停止。眼鏡の奥で僕を睨んで、人差し指を突き付ける。
「改めて、貴方は許されないことをしたわ」
「……なにか?」
人魚のことでないなら覚えがない。首を傾げる。
「カクテルパーティ効果ってご存知かしら」
「雑音の中でも、自分についての噂話はハッキリ聞こえるってやつですよね」
「そう。それが、下姉さまの小学生時代の不安定さの原因だったの。授業を抜け出したりとか、あったでしょう」
夢生は、三つ編みのツインテールを揺らして、眉をひそめて。
「下姉さまは自己認知が人間じゃなかったのよ。ゾウやイルカの鳴き声も、蜂の羽音も、セミの求愛も、全部平等に聞こえる騒がしいパーティ会場にいたの……そこに貴方が現れて、特別な存在になってくれたから、人を特別だと思うようになれて、人間になれたっていうのに。何も言わずにサヨナラなんて──痛ぁ!?」
言葉の途中で、首裏に水平チョップを受けて、大げさに夢生はもんどりうつ。下手人のエコロに目を向けると、ほんのり顔が赤いが、真顔気味。
「何も言われなかった訳じゃないよ。引っ越すとは言われてた。時期が早まっただけ」
「引っ越したばかりの時はなんでどうしてって喚いてたのに会えたら満足って、ちょろいんだから──うんごめんなさい下姉さま、くすぐりはやめてぎゃあはははははは!」
始まった姉妹喧嘩、と言ってもお互い本気ではなく、なんなら夢生の方は、やられ役に徹しながら僕の反応を窺う余裕すらある。期待に満ちた視線に晒され、笑ってみせる。
なんとなく、渋滞している夢生のキャラクターを理解できた気がした。
お客様のために、道化になれるタイプだ。エコロにはどうか知らないが、僕には絶対に本心を曝け出すことはない。敵味方で分ける意識が強くて、敵の機嫌を取るように動く。それゆえに、コミュニケーションが心地よいのだ。
それゆえに。
「事前にサンプルを貰いすればって言うのは、ボイスレコーダーで録音されていたってことでしょうか」
「そうよ。私の声真似の趣味に付き合わせてるの。気を悪くしたらごめんなさいね」
「こういう指摘をするのは野暮なんでしょうけど、嘘ですよね」
くすぐりから解放された夢生を苦笑いで刺してみると、彼女は再び眼鏡の奥で眉をひそめた。今度は素っぽい。せっかくこっちが気を回してやってるのに、って顔。
分かっている。自己嫌悪が酷い。《素の状態で向き合いたい》なんて、そんな必要性を感じていない人にとっては迷惑極まりない願望だとは分かっているけど、それでも言葉を止められない。
「最初の自己紹介で、彼女は貴女に似た声帯模写を披露していました。でも、他人の声も聞こえないのに声真似とはおかしな話ではないですか。何かしらの手段で、他人の声を識別しているはずです──その手段こそ、レコーダーです。データ化して、イヤホンで周囲の音を遮って聴けば、エコロが先日言っていたような、地下鉄の走行音に遮られるような不便はなくなるはずです」
──『普通の人が聞こえない音が聞こえるせいで、声がマスクされるんだ』
──『休み時間はいっつもイヤホン嵌めて音楽聴いてて』
「日常的にエコロは、ボイスレコーダーを使って周囲の声を録音していたのだと思います。それは必要なことで、やっていたからとてなんとも思いません。庇う必要もありません」
そう締めくくると、夢生はぱちくり瞬きして、しばらく黙っていた。
エコロはというと、急に僕が気分を害しかねないことを言ったものだから、何と言おうかとおろおろしている。親に『あの子どんな教育受けてるの親の顔が見てみたいわ』って言われた子供みたいな顔だ。
夢生はそんなエコロの視線に気づくと再起動して、彼女に軽く微笑んでから、僕の方を向いて。
「貴方が陽菜子姉さまと代わってくれていたら、どれだけ良かっただろうなあって思うわ」
「……京都弁ですか?」
「死ねって皮肉じゃなくて真面目な話。誤解されてるみたいだけど、貴方のことはこれでも歓迎しているの。離れられると困るから、ウザがられないように距離を測りかねていただけ。初対面の人に個人的な事情をぶつけられたら、ふつうの人は嫌がるものだから」
でも貴方はそれがお好みみたいだし、と呟いて、盛大に、これまでの鬱憤を晴らすように盛大にため息をついた。
「陽菜子姉さま、すごくすごーく厳しかったのよ。『下姉さまはとにかく危険だから、能力の制御ができるまで会っちゃいけません』って。結局、陽菜子姉さまが事故で亡くなるまで私たち会えずじまいだったの。インチョーさんみたいによく見ているひとだったら、無闇に下姉さまを怖がらない人だったら、もう少し早くから会えたのになあって」
──『きょうだい仲が悪いっていうのは、当人同士だけの問題じゃないんだよ』
「……それは、つまり。4年前まで、ずっと、一度も会わず、別々の部屋で育てられていたということですか」
「ええ。あ、でもまったく交流が無かったわけじゃないのよ。レコーダーで会話していたの。メッセージを録音して、こう、陽菜子姉さまの目を盗んで、机の引き出しに入れてね」
大げさな身振りで引き出しを開けてみせる夢生を前に、僕は少し怖気づいた。軽く言うけど、明らかに異常だ。
──『他人に構うもんじゃねえぞ。相手がどんなヒステリーか、分かったもんじゃねえからな』
頭の中に現れた、姉の幻影を振り払う。
決めたんだ。エコロのことを知るって。知りたいと思っていることを、伝えるって。
「……そういえば、お二人のお父さんに会いました。見た目が若々しくてびっくりしました。ぱっと見30くらいで……あの人は僕の知るエコロのすべての能力について知っているようでしたし、それ以上があるような言い方をしていました。第4の能力について知ったとき、キミの身の安全が心配だ、とかなんとか。しまいにはナプキンに電話番号まで書いて渡してきたんですよ」
後ろめたい過去については、ぼかしつつ。早口に言葉を並べ立て、言外に聞いてみる。『第4の能力ってなんなの?』
エコロの表情は優れない。けれど、致命的な問いではなかったようだ。答えかねているけど、嫌悪まではいかない。いける。引っ込みがつかずに通学カバンに入ったままのナプキンを取り出して、丸テーブルに置く。
「……ジップロック、普段から持ち歩いてるの?」
夢生にちょっと引かれたけど、誤差だ。
《井上正幸》と書かれた名前と電話番号を見つめて、姉妹は顔を見合わせて押し黙る。エコロが頷いた。夢生は、肩をすくめて、ため息をついて、三つ編みをいじりながら、「まあ、下姉さまは気を許してるみたいだし、教えてあげましょう」
「その人は私たちのパパでは無いわ。《井上》姓じゃない。でも、親代わりではある。下姉さま、手紙取ってくるから、説明よろしくね」
そう言って、立ち上がって、自分の部屋へとんぼ返りする。エコロに視線を向けると、「さっきの、イヤホン使えば耳が聞こえるっていうの、正解なんだけどさ」と呟いて。
「そのことにずっと早くに気付いて、ボクに言葉を教えてくれた人がいた。それがその人、梶さん。井上正幸じゃなくて、梶正幸」
──『喋る練習は、ずっとしてた。その成果を正しいって言ってくれる人が、一人だけいた。でも、自分じゃ正しいか分からなくて、不安で。これまでずっと、諦めてた』
「つまり、あの人が、『一人目』ですか」
エコロが頷く。
ずっと申し訳ないと思っていた。若さに任せた情熱で、教育を台無しにしてしまったかもしれないと、後悔していた。尊敬と、悔悟が両立していた。
(それが、あんな、良く分からない人)
ショックを受ける傍ら、夢生が戻ってくる。ホームセンターに500円くらいで売られていそうな布製の箱に、大量の手紙が詰め込まれている。その中身をいくつか取って、「それが今やロクデナシよ」と怒りのままにぶちまける。宛名は梶正幸、とある。
「一時は陽菜子姉さまと同居までしてたっていうのに、姉さまが死んだら私たちをほっぽいて雲隠れ。きっと世話が億劫になったのね。責任感ってものがないのよ」
「世話」
一つ分かるたび、三つ気になる。底無し沼だ。キリがない。
自他の境界は、どこに置けばよいのだろう。あんまり聞きすぎると、くっついて後戻りができなくなりそうで、でも、止まらなくて。
「その、本当のご両親は」
「……今更だけど、陽菜子姉様のことは言っておいてパパとママのことは言ってなかったの?」
「……だってそんなの言う機会ないし。ヒナ姉のことはホラ、インチョーも面識あるから」
嫌な予感がした。
後悔する暇は無かった。
顔を見合わせた2人は、大して気にも留めていない様子で、こちらを見てにっこり笑って。
「両親は日本にはいないよ。物心ついたころから海外で、生活費を毎月振り込んでくれてる」
「この家は、下姉さまと私の2人暮らしね」
ただただ、言葉を失った。
想像の範疇ではあった。考えられるケースではマシな部類で、似たような状況になった人間に姉がいた。けれど、この年で親がいない、自分を受け入れる存在がいない状態で過ごしている友人がいることに、言葉にならないショックがあった。
呆然自失で、家に帰った。ご馳走になった夕飯の味も、「梶さんにはもうやらないように私からキツく言っておくから」という夢生の言葉に送られて、どんな表情を返したかも覚えていない。心内は、それどころではなく大荒れだった。
(なんで、なんで、こんな苦しい)
僕たちはお互いに、相手の知らない過去を通って、今を生きている。
それでも、目の前で笑顔を見せてくれている人は、少なからず幸せに生きていると思っていた。
(……つまり、なにか。上機嫌の仮面をつけてくれていたことを、気に食わないと思っているのか、僕は。全部吐き出してくれって、そう思っているのか。赤の他人が)
傲慢だ。とことん傲慢だ。腹立たしい。
自分が分からなくなって、勢いよく布団に飛び込んで、枕に顔を押しつける。そうしていると、これまでのエコロが思い浮かぶ。小学生時代、動物園、学校、イルカプール、そして、今日の夢生と共にいる姉としての──
(……あ、ジップロックに入ったナプキン置いてきた)
なんか急に冷静になって、僕は仰向けになって、天井に向けてため息をつく。円形の蛍光灯が眩しくて、目を閉じる。そういう自己陶酔は中学2年生で卒業しておけと言うのだ。礼儀のれの字もなっていない人間が、人付き合いを論じようとするな。
不機嫌を上機嫌の仮面で覆い隠すことは、誰にだってあるだろう。それはむしろ誠実な行いだ。自分の機嫌で他者に迷惑をかけないのは、むしろ必要なマナーと言える。だから、今日のことは、ショックを受けるようなことじゃない。
(そうは言い聞かせても、この感情は誤魔化せない)
動物園であの日、引き返した時に、真っ先に彼女のことを思い出した。僕にとって理想の振る舞いをする人間とは、尊敬すべき強さを持つ友人は、どちらかといえばゴードンなのに。
そのときの感情に、いま整理がついた。同情だ。
──『人間、欠点がある人のことも、そういうもんかって受け入れられるもんだよ』
たぶん僕は、再会した彼女の振る舞いに、ときおり見せる、憂鬱そうな振る舞いに、牢獄に囚われた魂を救わんとする言葉に、シンパシーを感じたのだ。自分と同じように、罪悪感で、牢獄に囚われた魂を見たのだ。
それが実際は、いじめを止め、両親がいなくとも生きて行ける、苦手な姉のような強さを持った人間だった。
単純な話、未熟な僕は嫉妬したのだ。仲間だと思っていたのに騙されたと、身勝手にも身体が叫んでいるのだ。
「…………あーやだやだ」
自分の器の小ささに虚しくなって、不貞腐れて、僕は寝た。
明日、とりあえず謝ろう。家に不審者のゴミを置いてきてしまったことを。
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