1-4 Artificial God
EXCのダウンロード待ちの間に、ブロンドヘアの少年は公式サイトを開く。待望のフランス語版は、正しくはEU版がフランス語に対応していると云うものだ。
ゲームが事件の引き金とは世も末、しかし日本は何が起きても不思議ではない。アルスはそう思っている。
EXCはネットニュースでも話題だった。特に経済面で注目されているのは、AIだけで24時間体制の運用を実現させた世界初の事例だからだ。ゲーム運用に特化したAIによる、エネミー等のクリエイトやサポートにより運用コストを抑え、ゲームの競争力向上に寄与すると云うものだった。
だが、AIの挙動は誰も予測できない。どんな出力結果をもたらすか、その瞬間まで読めないのだ。ディープラーニングが進んだ結果、何時かAIが自我を持つようなことは起き得ないだろうが、予測不能な出力で社会を混乱させる危険は十分有る。EXCと云う社会も、そうなるのか。
そう思っているうちに、ダウンロードが終わった。
「AIが創世主か……」
とフランス語で呟くアルスに、赤毛の少女が
「EXCのこと?」
と言って近寄る。
アリシア・ヴァンデミエール。アルスの幼馴染みで恋人。赤いロングヘアが目印。今日はアルスの家に泊まる。
「珍しくゲームに手を出すから何かと思えば」
「遊びたいワケじゃないからな」
と答えるアルス。
「気になることが有るだけだ」
フランスを含むEUと日本、仕様の違いとしては言語だけらしい。運用も完全AIなら、日本で起きている問題はEUでも起き得る。そう思ったから、ダウンロードしてみようと思ったのだ。
「すぐ飽きると思うわ」
「俺も」
そう言ったアルスは、自分の登録名をキャタスと入れた。災厄を意味するカタストロフィーが由来だ。
彼が信仰する宗教が、敵対する教団からは災厄をもたらすと言われている。ならば、寧ろ活用するだけ。それに合わせたアバターは、やや死神に寄せた。
「アンタらしいわ」
と言ったアリシアは、ベッドに座る。
……アルスが何を思っているか、彼女には判る。ルナがEXC絡みの何かで無関係ではいられなくなった、それがEXCに興味を示したきっかけだと。答え合わせでもするかのように
「俺はルナの味方だからな」
と言った少年は、アプリの起動は明日に回そうと思い、スマートフォンを机に置いた。
……アルスが属する教団が起こしたテロの脅威、それから避難するために流雫は両親と離れ日本に移った。言い換えれば、流雫を祖国から追い出した。
だが流雫は、アルスが事件を引き起こしたワケじゃない、と言い続ける。だからアルスに憎しみを感じたことは微塵も無い。それどころか、その見た目と美桜の死で煙たがられてきた流雫にとって唯一の、同性のフレンドとして慕っている。それはアリシアから見てもよく判る。
「創世主はシステムとベースモデルを開発した人間よ。ただその先をAIに委ねてるだけ」
とアリシアは言った。
「とは云え、AIがGMを担う以上、一種の神として扱われても不思議じゃないわね」
「神か……」
とアルスは呟く。
……人間は、神と悪魔を生み出した。神を拠り所とすべき存在とし、悪魔は神を引き立てるために汚れ役を担う。人々の行動を律する意味でも、神と悪魔の概念は絶大な影響を与えた。
そして人間は、AIを生み出した。それは瞬く間に様々な形で社会に浸透し、人間の行動に変化をもたらしている。EXCのように大規模MMOを統べるGMとして君臨するのも、必然だった。
GMはゲームを統括する意味で、神のような存在。だが、一部のゲーム依存症にとっては神そのもの。崇めると云っても、或る一線さえ越えなければいいのだが。
昨日事件で打ち切られたEXCのイベントは、今日も開かれるらしい。悠陽と別れたカップルは、折角だし少しだけ寄ってみようと思った。本来なら、彼女と知り合うことは無かった一方で平和にイベントを覗けていたのだ。
2人の視界に、少女2人が近寄ってくるのが見えた。
ライトブラウンのショートヘアで詩応に似たボーイッシュと、2本の三つ編みが目印の黒いロングヘアに眼鏡を掛けた才女。正反対の見た目の2人の名は立山結奈、黒部彩花。澪の同級生で、流雫との面識も有る。
同性の恋人同士だ。
「EXCのイベントだから来ちゃった。でも偶然だね」
と結奈は言い、彩花は
「流雫くんも変わり無さそうで」
と続く。流雫は軽く頷くだけだったが、この同級生2人に苦手意識を抱えている。尤もそれは、単に同世代の人と話す経験そのものが欠けているため、どう接していいのか迷っているだけの話だが。
それ故か、流雫は澪以外の女子には必ず名字に敬称を付けて呼ぶ。澪に対してでさえ、二人称で呼んだことは一度も無い。
「EXC、あたしもやってみることにしたんだ」
と澪が言い、そこからはゲームの話題になる。
2人揃ってオタクだが、特に結奈はゲーム開発に興味が有り、EXCは或る意味新機軸のコンテンツだけに最も注目している。
2人だけのコミューンを形成しているが、澪はそこに誘われた。しかし断り、昨日起きたことを語った。
「……澪らしい」
と結奈は言った。ゲームでのこととは云え、自分たちへの影響を心配している。それが澪の優しさでもあり、弱さでもある。
その遣り取りを見つめる流雫。この何気ない日常を過ごしていられることを感じていられるからだ。
結奈や彩花と会った流れで、4人でイベントを見ることになった。エグゼコードの主演声優によるトークショーとデモンストレーションが盛り上がっていた。
ただ、プレイに関しては澪の方が上……流雫はそう思っていた。澪の意識が宿ったかのようなミスティの挙動は、今のプレイよりもっと繊細だった。
昨日も、銃撃事件さえ起きなければこうして平和に過ごせたハズだ。悠陽と知り合うことは無かった、それはまた別の話で。
イベントは何事も無く終わった。それがごく普通の光景なのだが、流雫が吐いた安堵の溜め息は条件反射だ。
流雫がゾンビと言ったアバターの謎には、当然ながら触れられていない。
悠陽が思うように中の人が勝手に動かしているのか、流雫のそれのようにAIが動かしているのか。後者の場合、中の人はそのことを知っているのか否か。
そのうち色々判るだろうが、何だかんだでこれ以上は無関係であってほしい。流雫はそう思っている。だが、遠目に見えた光景は、その期待を一瞬で破壊した。
複数のカメラを向けられ、構える少女。天王洲悠陽ではなくアウロラとしての今が、充たされる。こうして自分を囲む連中と、恋に落ちることは有り得ないが。
撮影が一区切りついた。カメラを持った連中の背中を見ながら、悠陽は流雫と澪がいないことに一抹の寂しさを覚える。
……何がきっかけかは覚えていないが、周囲から疎外感を感じる日々。時々配信するゲーム実況とコスプレは、そのつまらない日常からの脱却を夢見させた。
確かに、フォロワーは増えた。しかし、フレンドと呼べる存在は誰一人増えなかった。EXCにも少しは期待した、しかしゲーム内でストーキングされただけだ。
経緯が経緯とは云え、コスプレ以外で初めて知り合ったのが流雫と澪。今のところ楽しい話はできていないが、仲よくできると期待したい。
「やっと見つけた……アウロラ」
突然聞こえた声に、悠陽は身体を震わせた。
聞いたことが無い声色だが、思い当たる節が有る。
「まさか……!」
「どうして避けるんだ?」
と男は声を被せる。厚手のダウンジャケットを着て、顔は普通。
「そろそろ認めろよ、俺のオンナだとさ」
「誰が……!」
「お前がだよ、アウロラ」
男は悠陽の言葉など全く聞いていない。
EXCでストーキングされ、ブロックと通報をした。だが、SNSではカップル成立と勝手に投稿され、そのフォロワーもそう思い込んでいる。
ドイツ語で強いを意味するハンドルネーム、スタークに相応しく、痛烈に爽快に敵を薙ぎ倒す銃の使い手。そのためかフォロワーも多いが、コミューンには属さない孤高の戦士。
イキったその態度も、強さが伴うだけに魅力とされている。ただ、悠陽は何の魅力も感じなかったが。
「男らしさは強さだ。お前は俺の強さに、守られていればいいんだよ」
と悠陽の肩を掴み、不敵な笑みを浮かべる男の声に
「……男らしさ、ね……」
と少年の声が被さる。男がその主に目を向けると、2人の男女がいた。
「強さの本質を履き違えて語っても……」
「邪魔するな!これはカップルの痴話喧嘩だ!」
と怒鳴った男は怒り心頭だ。しかし
「どう見てもカップルらしくないけど?」
と、今度は少女の方が言葉を被せる。
「アウロラのフレンドとして、見過ごすワケにはいかないわ!」
その言葉に、悠陽の鼓動は一際大きくなった。
フレンドと明確に言った。その言葉が偽りでないことを願いたい。
「フレンドだと?ならば判るだろ、こいつは俺に相応しいと」
「面識は無かったのに、急に近付いてきて勝手に……」
その悠陽の声に、流雫は
「とにかく離れろ」
と続く。予想外の邪魔者に苛立つ男は、
「……アウロラ。次は期待に応える返答、待ってるぞ」
と言って離れながら、流雫と澪を睨み付ける。
「このままで済むと思うな」
そう言い残して去る男の背中を見る流雫の隣で
「悠陽さん?」
と名を呼ぶ澪。悠陽は沈んだ表情で言う。
「……EXCでストーキングされてて……まさかリアルで迫ってくるとは……」
アバターと、SNSでのコスプレが同じ。それで今日池袋にいると突き止めた。
「……澪、アバターの設定方法、教えて?」
と流雫は言う。それはつまり、専用SNS以外の目的でEXCに触れると云うこと。
「……でも流雫は……」
「EXCに触れていれば、何か掴めそうな気がする」
と流雫は言った。ゲームは苦手だし、銃火器を扱うのは以ての外。プレイする気にはならない。ただ、澪まで絡まれるとなると話は別だ。
「そうまでして、プレイする必要は無い」
と悠陽は言った。
ゲームの本質は楽しむもの。配信も楽しさを共有するためのもの。楽しむものではなく、捜査ツールと同列に見る流雫は、その使い方を間違っている。
「でも、それじゃアウロラさんが……」
と流雫は言う。
先刻、澪がハンドルネームで呼んだ。相手が相手だけに、迂闊に本名を洩らすワケにはいかないと思ったからだ。
一方で流雫は、恋人以外名字で呼ぶ癖が有る。詩応ですら伏見さんと呼ぶほど。呼び捨てにするなど以ての外だ。逆に言えば、名字が判らないからと、悠陽を下の名前で呼ぶ気にはならない。
「これは私の問題だから」
と悠陽は言った。
先刻は助かった、しかしこの2人に余計な心配をさせるワケにはいかない。特にこう云う最悪な理由で。
「……更衣室に戻るわ、じゃあね」
とだけ言って2人に背を向ける悠陽。しかし彼女は知らない。それが逆効果でしかなかったことを。
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