1-1 Girl Of Dawn
土曜日の朝、東京行きの特急列車は満席。その端の席に座る少年は、コンビニのホットコーヒーを啜り、紅葉を撫でる冬の気配を纏う車窓を一瞥して目を閉じる。
ヘアスタイルは、シルバーの外ハネショート。そして瞳は、アンバーとライトブルーのオッドアイ。全体的に日本人らしくないルックスは、フランス人である母の血が濃いからか。
ネイビーのUVカットパーカーを羽織る中性的な顔立ちの少年が、目を覚ましたのは20分後。新宿到着を告げるアナウンスだった。
世界最多の乗降客数を誇る駅で、冷えた空気に包まれながら最後に降りる少年を
「流雫!」
と呼ぶ少女が、オッドアイの視界に映る。
肩丈のボブカットと瞳はダークブラウン、デニムジャケットとミニスカートはブルー。控えめながら、年頃のナチュラルさが際立っている。
「澪!」
と呼び返した流雫は、少女の前で立ち止まり微笑を浮かべた。
少年の名は、
少女の名は、
背中を安心して預けていられる存在、高校生2人は互いの存在をそう思っている。それはこの1年半変わっていない。
3週間ぶりに東京でのデート。流雫が東京に出る時は必ず、澪は新宿のホームで出迎える。それが2人のセオリー。そうすれば、最も長く一緒にいられるからだ。
2人は池袋に行くことにした。流雫は意外と行ったことが無く、偶には悪くないと思った。
副都心の一角、池袋。その中心となる池袋駅は常に混雑しているが、今日は駅前の広場でゲームのイベントをやっているらしい。近年ではこの界隈でもサブカルチャーが活発なのは、一応知っている。
「エグゼコードクラウド……?」
流雫は大々的に飾られたロゴを読む隣で、澪は
「最近流行りのMMOね」
と言った。
アニメ発のクロスメディアコンテンツ、エグゼコード。このSFアクションは、2年前の放送開始と同時に破竹の勢いで話題を独占し、今でも様々なプロジェクトが動いている。
その目玉となるのが、EXCことエグゼコードクラウド。エグゼコードの世界に突入せよ、をコンセプトとした派生作品だ。
マルチプラットフォームのMMOで、今は日本語版のみ。配信開始から3ヶ月でユーザ数は780万人。
それに関連したイベントが池袋駅前と少し離れたエリアで開かれている。何やら、後者はコスプレのイベントとタイアップしているらしい。
ゲームには興味が無い流雫。一方の澪は、同級生からこのゲームの存在を知らされただけ。だが、互いに一緒ならイベントを楽しめるだろう、と思っている。
「折角だし、行ってみる?」
と誘った澪に、流雫は微笑んだ。
赤毛のボーイッシュな少女が目立つキービジュアル。それがポスターとして飾られる駅前のイベント会場は、コンソールゲーム機が設置されプレイ出来るようになっていた。
自分のキャラを俯瞰で見ながら行動するタイプで、操作としてはオーソドックスなもの。他者とのコミュニケーションは、専用のボイスチャット機能を使うか、テキストチャットで対応する。
「画面酔いしそう……」
とだけ言った流雫の目には、目まぐるしく動き回るアバターが映し出されている。狭い空間を走り、跳び、そして銃火器を手に戦う……。その光景に脳が追い付かない。
軽く画面酔いを起こした流雫に
「流雫は弱いんだから」
と言った澪だけが、その真の理由を知っていた。ただ、それはこの場では相応しくない。だから戯けるしかなかった。
それでも、ゲーム画面から目を逸らすと楽しめるものは有る。そう思った2人は、メイン会場を求めて交差点を渡った。
10分ほど歩いたか、ビルに挟まれたサニーパークと呼ばれる公園に辿り着く2人。
イベントのメイン会場は、駅前のそれより大きいブースを敷地の端に構える。小さなステージも有り、トークショーも開かれるらしい。そして、少しずつコスプレイヤーも出てくる。そのうちの数人は、ポスターと同じ衣装を纏っている。
「賑やかだね」
と流雫は言う。
流雫はサブカルチャーには疎い。澪は、スマートデバイス用のパズルRPGで遊ぶが、無課金のライトユーザ程度。このイベント自体、ただデートで出会しただけの興味本位での寄り道でしか無い。ただ、それはそれだ。
試遊台の前でスタッフに誘われた澪は、パイプ椅子に座り、コントローラを握る。初めてのゲーム専用機に戸惑いながら、ボタンの説明のラミネートに目を通していると
「うあ……」
と声が漏れる。
十数個のボタンを全て駆使するらしい。画面をタップするだけのパズルRPGしか遊んだことが無いのに、ハードルが高過ぎる。試遊時間5分の間にキルされなければ上出来。そう思った澪がスタートボタンを押そうとすると、突然罵声が響いた。
「な!?」
澪が反射的に立ち上がる。隣で澪のプレイを見ようとしていた流雫も、その方向に顔を向ける。その瞬間に銃声が響いた。
悲鳴と怒号と罵声が、幾重にも重なる。
「流雫」
澪の声に頷く流雫は地面を蹴る。澪もそれに続いた。
EXCブースの近くの人集りを
「退いて!!」
と掻き分ける2人の目には、腹部を赤黒く染める女子が仰向けに倒れている。先刻から何度も見るEXCのポスターと同じ、白と赤の衣装を纏っている。コスプレイヤーだと一目で見て判る。
澪は撃たれた赤毛の女子の首筋に触れる。脈は有り、体温も有る。
「救急車は!?」
澪は声を上げる。その周囲への問いに、別の衣装を纏う同行者が慌ててスマートフォンを取り出す。澪もスマートフォンを取り出し、
「池袋で銃撃!サニーパーク!」
と通話相手に叩き付ける。
流雫が顔を振ると、銃を持った男が1人。カーキのダウンジャケットを着ている。明らかに私服だ。
「何故撃った!?」
流雫が声を張り上げると、男は銃を日本人らしからぬ少年に向ける。否、珍しい見た目だから未発表の新キャラか、オリジナルのアバターの私服コスプレにしか思われていないだろう。
流雫の言葉に返答は無い。期待すらしていない。その代わりに銃口が向けられる、それまでが1セットだからだ。
「流雫!」
澪が声を上げる。
「仕方ない……」
と言ったオッドアイの少年は、黒いショルダーバッグから銃を取り出した。
2年前の2023年8月に、東京の空港と渋谷で起きた東京同時多発テロ、通称トーキョーアタック。未曾有の無差別テロを機に、日本国民に銃の携行と使用が認められた。条件は、護身目的に限定すること。究極の自衛手段は賛否両論を生んだが、結果的に国民の半分以上が所有している。
そして流雫も、持つことを選んだ1人だった。
共通仕様として、オートマチック銃で装填された銃弾は6発。銃弾の補填は、特定の場所で所定の手続きを踏んだ場合のみ可能だ。違いは銃身本体と口径の大きさだけだ。
流雫のそれは最も小型で小口径。銃弾の火薬も少なく、威力は弱い。しかしその分反動も小さく、扱いやすい。携帯性とユーザビリティを求めてそうした……のではないが、結果的にそれで正解だった。
「何故撃った!?」
流雫は再度問う。
その言葉は相手を追い詰めることを、流雫は知っている。ただ、相手の心理的に説得が通じるとは思っていない。何しろこの衆人環視、見世物じゃないと云う苛立ちも相俟っているだろう。
どう出てくるか読めない。しかし、今は自分が手を汚してでも、周囲に被害を出すこと無く、犯人を殺さず仕留めること。そのためには、相手が冷静さを欠けばよい。
「五月蠅い!!」
そう怒鳴り、男は銃口をオッドアイの瞳の持ち主に向ける。……流雫に撃つべき理由が生まれた瞬間だった。
スライドを引きながら両手で構えた銃、その延長線上には男の太腿。流雫は躊躇せず、引き金を引く。
「ぐっ!?」
皺だらけのデニムを突き破った2発の銃弾が太腿に刺さり、男は
「ああああっ!!」
と醜い声を上げる。銃を持ったまま太腿を押さえるが、激痛に力が入らず、その場に膝から崩れる。
「ぐっぅっああ……!」
男が殺意を帯びた目で、流雫を睨む。しかし、それに動じない少年は2歩の助走から男の背後に向かって跳び、その背中に足を伸ばして踏み付ける。
「がっ!」
激痛と同時に視界が地面を捉え、俯せになる。銃を持った手が露出すると、流雫は手首を押さえて銃を離させる。
同時に、立ち上がった澪が駆け寄り、肩を掴みながら腕を背中に回して拘束する。これで反撃はできない。
「そこまでだ!!」
と声を張り上げて近寄る、スーツを着た2人の男は、高校生の男女に代わって犯人を拘束し、手錠を掛ける。
「またお前らか……」
と呆れ口調で言った中年の男に、澪は
「仕方ないじゃない!遭遇したんだから」
と言い返す。
「悪運の持ち主なのは認めるけど」
こう云う時、澪は目の前の刑事に対してのみ生意気な態度に出る。ただそれは、寧ろ平常心を欠いていない証拠だ。
流雫は担架に乗せられるコスプレイヤーを見つめている。命に別状は無いことを願うしかない。
中年刑事の名は、
その場で何が起きたか、数人の目撃者が別の刑事から聴取を受けている。その近くで常願が2人の聴取を始める。それは十数分で終わったが、EXCブースの展示は事件の影響を受けて打ち切りだとアナウンスが流れる。コスプレイベントはこの公園を封鎖し、それ以外のエリアで続行するらしい。
聴取が終わった澪の父が2人に一言告げて去ると同時に、1人の少女が近寄る。
ブラウンでストレートのロングヘア、瞳の色は赤。着ているのは私服ではなく、エグゼコードのコスプレ。直接作品を知らないが、ポスターと同じ系統の衣装だから、そうだと判った。ミニスカートの戦闘服にケープを羽織るが、とにかく白とオレンジが鮮やかだ。
「……あの……」
と少女が澪を呼び止める。
「……先刻は、有難うございます。救急車……」
と澪が言葉を返すと、少女は言った。
「……彼女、私のフォロワーで……」
その言葉に、澪は眉間に皺を寄せ、問う。
「……あの犯人に見覚えは?」
「私は直接。ただ今朝、メッセンジャーで……」
と言い、少女はその遣り取りを見せる。
……コミューンで知り合った人に、オフ会で迫られた。追放したけど、これでよかったかな?それが大まかな相談の中身だった。
ギルドやパーティーは、一般的には規模で区別されるらしいが、EXCではコミューンと云う単語で一括りにされる。つまり、ゲーム内での対人問題がリアルでの銃撃事件に発展したことになる。
「……そのこと、警察には?」
「話したわ。でもまさか……こう云うことになるとは……」
と少女は答える。
イベントを楽しもうとして、出鼻を銃撃事件で挫かれた。しかも、フォロワーが被害者。今日1日、楽しめるとは思わない。
「私と一緒に行動してほしいの」
と少女は言う。
本来は、同行するにもイベントの登録証が必要だが、既に前売りの時点で完売している。しかし、彼女がスタッフに話をして、撮影しないことを条件に特別に認められた。
受付に近いイベントエリアの、公園の端に座る3人。
「私はアウロラよ」
と少女が名乗ると、流雫は
「夜明け……?」
と呟く。流雫の由来、ルナと同じラテン語だ。その通り、と言わんばかりに頷いたアウロラに
「僕は流雫」
「あたしは澪……」
と名乗る2人。本名だが、ハンドルネームを持たないだけに仕方ない。
……夜明け。詩的な名前のように思えるが、流雫にはそれが引っ掛かっていた。
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