🌳実録 無音の世界

🌳三杉令

命の危機は登山の前にやってきた

 ―― この世とは思えない幻想的な夜の異世界でした。最後にこんな感動が待っていたとは……


 それは2018年だったと思います。7月下旬、私は急に思い立って、富士山に登ろうと思いました。知り合いの外人は4時間で往復したって言っていました。


 登山経験はあまりありませんでしたが、前々から一度は日本一の山に登りたかったのです。富士宮ルートならCT(コースタイム)より早い9時間くらいで往復できるだろうと踏んでいまいた。これが甘かったことを後で思い知らされます。 


 シーズン中の富士山はとても混むので、事前にルートを厳選し作戦を練りました。しかし結果的にはこれも凝り過ぎで失敗でした。


 『混まない欲張りルート』こんなコンセプトで編み出した奇抜なルートを紹介します。登りは富士宮口ふじのみやぐちを出発して、右に曲がり宝永火口ほうえいかこうを通って御殿場ごてんばルートに合流します。いわゆるプリンスルートです。そして帰りは空いている御殿場ルートをひたすら下り大砂走おおすなばしりを楽しみます。


 あれ? スタートとゴールの場所が違いますね。作戦はこうです。御殿場口に車を駐車する。そして自転車で水ヶ塚公園に移動してバスで富士宮口に行きます。9時に富士宮登山口から登り始めて18時に御殿場口に下山する。自転車は帰りに車で回収します。そんな計算でした。いわゆる弾丸登山と呼ばれる日帰り登山です。


 忠告しておきます。富士山の日帰り登山(弾丸登山)は止めましょう。無茶です。上級者以外は必ず山小屋に泊まりましょう。


 さて決行です。前日夜に自宅を出て、深夜2時頃に御殿場口の駐車場に到着しました。ここで3時間ほど仮眠します。日が昇ったら待っていました、絶好の登山日和。折り畳み自転車でいよいよ出発です。自転車は10年くらい前に買った安物です。


【第一の危機】

 それは自転車で出発後10分くらいでいきなりやってきました。下りのワインディングロードを楽々颯爽と自転車で下る私。スピードが出てきました。


「あれ?」


 先程まで利いていたブレーキが突然利かなくなりました。前も後ろもです。自転車の速度は時速40km近くになりました。足ブレーキ(靴で地面との摩擦でかけるブレーキ)も無理です。


「やばい、スピードがどんどん上がってきた。止まれない!」


 冷や汗が出てきました。カーブが曲がれなくなりそうでした。究極の選択を迫られます。


 A:わざと転ぶ。確実に怪我をして登山は中止だが命に別条は無い。


 B:このスピードのまま何とか乗り切る。しかし下手すると道路脇の木に激突して死ぬ。本当に死に至るような猛スピードです。


 みなさんはどちらを選びますか? 私はバカですよねえ。Bを選びました。1分くらいでしょうか、本気で死ぬかと思いました。やがて奇跡的に傾斜が緩くなってきて、最悪の事態は切り抜けられました。命の賭けに勝った! バカですよねえ。



 ―― 2時間くらいひーこらペダルをこいで水ヶ塚駐車場に着いた私。


 予定どおり今度はシャトルバスに乗り富士宮口まで行きました。9時、さあいよいよ登山開始です。最初は順調でした。若干CT(コースタイム)より遅めですが、宝永火口まではルンルン気分で進みます。


 宝永火口は大きなパラボラアンテナみたいな形で、落石の音がよく反響します。火口に近づいてみたい誘惑にかられましたがお利口(?)な私は、登山路を外れて火口に行くことなんてしません。ここで落石に当たることは避けられました。


 でもそのあたりからです。ジャリジャリ地獄が始まったのは。歩いても歩いても進みにくい、進まない。まるで砂漠の山を登っているようです。


 ジャリジャリジャリジャリ、ジャ・リ、ジャ・リ、ジャ・・リ、ジャ・・リ、ジャ・・・リ、ジャ・・・リ、ジャ・・・・・もうダメ、休憩だっ。


 汗をかきかき、ものすごくピッチが遅くなってきます。いつまで続くんだこれ?(結構上まで続きました)


 本当に苦行です。ドMの人でない限りこれはつらいです。あっという間に数時間が経過。8合目あたりまで登って気が付いたら、まわりで登っていた他の人達は山小屋かどこかへ消えています。


 この時間に頂上まで行こうとする人はわずかしかいません。私と、もう一人遅い女の人がいて二人で抜きつ抜かれつでした。17時が過ぎ、計画より2時間以上遅れています。体は悲鳴を上げ限界に近づいていました。

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