幕間二『夢の終わり——Teardrop——』
階層と階層を隔てる分厚い地盤の中には、光源装置や
一九七階層の天井にも、例外なくその空間は張り巡らされていた。
「『エルウェシィ』と通常個体の『現象妖精』、そして例の少年――ムロツキカナエを確認しました。どうやら行動を共にしているようです」
床に寝そべった
外された光源装置の代わりには、
『……よもや本当に、二九三階層から一九七階層まで逃げおおせたのか……
何をどうやって『フォネティック』の目を欺いたのか、全く検討がつかん……
まことに
「どうか『
『……まずは不確定因子たる少年を
……
……次いで待機させている
……それら一連の流れを観測部隊に監視させ、万が一の際は能力のカラクリを見極めよ……』
一旦通信が途切れると、今度は
「電子照準器の規格を四番に変更。上に三・五ポイント、右に一・七ポイント……」
観測手の傍らには、重器材を首に繋がれた黒衣の『現象妖精』が佇んでいる。
狙撃に際して、空に反転して浮かぶ『逆さまの街・神戸』では重力加速度と地球の自転作用の影響が地表とは全く異なるため、正確無比な弾道計算を行うためには、重力を司る彼女を使う必要があった。
「……上に〇・五ポイント、右に〇・二ポイント……、……確定条件は風速〇・〇メートル」
一九七階層の
観測手の的確な修正値を受けて、狙撃手が電子照準器の調整を逐一繰り返す。
狙撃手は告げる。
「充電しろ」
狙撃手の隣に座る黒衣の『現象妖精』が、
電荷変動に特化した彼女が、
初速二一五七メートル毎秒で撃ち出す
「スリィ、トゥ、ワン――
狙撃手は右人差し指に力を込めた。
+++++
「……あの……カナエ……レヴィ……、私は……、これ……から……も――」
「――時間を止めてっ!」
突如としてレヴィが悲鳴を上げた。
それは本当にいきなりのことで、カナエは理由を問おうとして――次の瞬間には声は音として伝わらなくなっていた。
――地球圏に『
――全『現象妖精』との連絡回路を確立
――
――いきなりごめんごさい、じっとしてて――
世界の質感が一変する。
空気分子すらも完全静止する世界で声が、
代わりにカナエは、『ストレンジコード』を介した
(いきなりどうしたんだレヴィ!?)
(カナエさまっ、慌てずに少し前に歩いてから、ゆっくりと振り返ってくださいっ。
……すぐ右横、左斜め後ろ、真後ろですっ)
常駐する『除外フィルタ』が、カナエに接触する空気分子の静止状態をその都度解除する。
結果として、カナエは振り向いてその光景を目の当たりにすることが出来た。
目に見える距離に、それらはあった。
そのうちの一つは、時間停止前ならカナエの右耳寸前まで迫っていた。
――大口径の銃弾が三つ。
空気を切り裂くような乱流の波紋を描いて静止していた。
(カナエさまは狙撃されました……。誰かが、カナエさまを殺そうとしたんですっ
……あともう少しで、カナエさまが死んじゃうところだったんですっ……うぅ……う、うわーん!)
思わずカナエは静止する銃弾から後ずさる。
手を繋いでいたゆきがつられて揺らぐ。
(……カナエ、ごめんなさい……、
私に、これからなんてものは、無かったのです……)
問題を先送りにして、見ないふりをして得た仮初めの日常――これから――があっけなく崩れ去る。
明確な殺意が込められた三つの銃弾は、カナエに日常の終わりを突きつけていた。
(見つかるにしても早すぎるだろ……!研究区画から九六階層分離れてんだぞ!
街一つ一つが直径一五キロの規模なのに、なんでこんなにあっさりと!)
冷静さを欠いたカナエは、音のない空間で怒鳴り声を出そうとしていたことに気づく。
すると急激に息苦しさを覚えた。
いきなりの事だから、時間停止の前に呼吸を溜めていないのだ。
(ともかく逃げるぞ!
あっちは知らないけど、ゆきは時間を止めれるんだからな……!)
(それもダメなんですっ!
空気分子の動きを追跡する観測用『現象妖精』がたくさんこちらを見ているんですっ!囲まれているんです!
――時間を止めて逃げてもバレますっ!)
その言葉にカナエは目眩を覚えた。
逃走において、カナエたちの優位点であり縋るもの。
それは敵が知らないもう一つの力。
あらゆる物理現象を
時間停止した中でカナエたちが動くと、接触面に『除外フィルタ』が働き、動いた分だけ空気分子は押しのけられる。
レヴィの言うことはつまり、その空気の変化を観測用『現象妖精』に追跡されるという話だった。
今逃げた所で、カナエたちの逃走経路が特定される。
――唯一の有利すら潰された。
(……カナエ、どうすれば……)
ゆきは繋いでいた手をぎゅっと握る。
伝わる不安。
そこでカナエは、守るべきものを思い出した。
――助けて。
後悔はしていない。
諦めはしない。
これからどうなるなんて分からない。
それでも、今はただ逃げるしか道はない。
カナエは、酸素が行き届かない脳をフル回転させた。
(ゆき、時間停止はあと何回出来る?)
(……一回だけです……。『
(レヴィ、三つの弾がどこから飛んできたか、その銃口の角度まで見えるか?)
(今三箇所とも確認しましたっ……、
天井裏から正確にカナエさまの頭部を狙ってますっ……)
話を聞いたカナエは、ふと静止する銃弾へと歩き出した。
つられてゆきも歩き出す。
(ゆきはもう少し左に寄って。レヴィも手の上に乗って、泣くのはやめていつもの笑顔だ)
(カナエ……、何をするつもりなの……?)
(カナエさまは、いったい何をっ?)
空気を引き裂いて静止する銃弾に、カナエは顔を近づけて振り返る。
三つの銃弾はすぐ右横、左斜め後ろ、そして真後ろに配置される形となる。
それは奇しくも時間停止前と同じ光景だった。
少しばかしは移動したがこれくらいなら
(いいか、これはゆきの能力と、レヴィの目の良さが無いと絶対に出来ない作戦なんだ――)
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