第08章『気まぐれ』

第22話

 六月六日、木曜日。

 晴れ空の午後二時、京香は自動車を運転していた――後部座席に三上凉、助手席に両川昭子を乗せて。工場から、都心部へと走る。

 隣に座る新入社員が、ソワソワと落ち着かない様子だった。京香としては実に鬱陶しく、そして憂鬱だった。しかし、これから『仕事』に向かうため、強引に気分を上げていた。


「両川さんは、市場調査とマーケティングリサーチの違い、わかる?」


 ふと、凉が訊ねる。


「えっと……市場調査は何がどれだけ売れたかの販売データ、つまり『過去』を振り返ることです。マーケティングリサーチは何をどのように売っていくのかの計画、つまり『未来』を考えることです」

「うん。正解」


 つい最近まで大学生だったことから、教科書のような文言だと京香は思った。

 勉学で得た知識が記憶から薄れる前に、実践で身に付けなければいけない。その意図で、凉が現場実習中の昭子をわざわざ同行させたのだ。


「それじゃあ、売り場の視察はどっちになるんですか?」


 スティックケーキの開発状況があと一歩のところで煮詰まっている現在、打開策として店頭を確認する。本来であれば、京香と凉だけで向かうはずだった。

 この行動が市場調査とマーケティングリサーチのどちらに該当するのかは――時間で区別した場合、またそれぞれの意図で考えた場合、確かに難しいと京香は思った。


「どっちだと思う?」

「うーん……後者でしょうか。売っていくためのアクションです」

「違うわ。何が売れているのか、この目で実際に確かめるのよ」


 京香は運転しながら、つい口を挟んだ。売り場視察とは、結果に対しての過程を確かめる行動だ。


「え? でも、そのへんデータで貰ってますよね?」

「データだけじゃ、わからないこともあるのよ。店頭での扱いとか、顧客が何かと迷ったとか」

「なるほど。確かに、そうですね」


 昭子の主張は、間違っていない。商品開発は基本的にデータで進める。実際に店頭げんばを確かめるなど、最悪無くても構わない。


「というのを、頭の片隅に入れておいてくれないかな……。私らがこれからするのは、他社の動向というか売れ行きの確認というか……ぶっちゃけ、パクれるネタ探しだから」

「ちょっと、三上さん!」


 凉が苦笑しながら、本来の目的を打ち明ける。

 京香は慌てて制止するも、もう遅い。鬱陶しい新入社員でも、彼女の前では良い格好をしていたかった。


「そういうわけだから、探してね」

「はい! 妙泉部長のためにも、頑張ってパクリます!」

「ああ、もう……」


 昭子が白けるどころか、妙にやる気を見せた。

 新入社員がそこを頑張ってどうするのだと、京香は思う。頭が痛くなりながらも、運転を続けた。


 やがて、コインパーキングに駐車し、とあるデパートに入る。

 午後三時前の地下一階――食料品売り場は、とても混雑していた。

 立ち並ぶテナントの中に、妙泉製菓の販売店があった。全国に八店舗ある内のひとつだ。京香達三人は、立ち寄った。

 ふたり居る正社員の店員は、ひとりがレジで接客し、ひとりが棚に商品を陳列していた。


「どうも、お疲れさまです」

「あら、京香部長。お疲れさまです」


 京香は陳列している店員に挨拶した。

 訪問することを、わざわざ事前に伝えていない。本社の経営陣もよく立ち寄ることから、ここの社員は突然の訪問に慣れていた。


「そちらの方は?」

「ああ……新入社員の両川です」

「開発一課の両川です! よろしくお願いします!」


 昭子自身がこの売り場の存在を知っていたのか、京香はわからない。何にせよ、連れてきたのは初めてだった。商品開発部の人間としてこれから世話になるため、紹介した。


「売れ行きの方は……いつもの感じですか?」

「そうですね。ぼちぼちです」


 凉の質問に、店員がにこやかに答える。

 当たり障りのない返答だと、京香には聞こえた。いや、狭い店内を見渡しても、まさに最も適した表現かもしれないと思う。

 特別賑わっているわけでも、かといって全く客足が無いわけでもない。京香が訪れる度に見ている光景だった。

 ただ、陳列してある在庫状況から――二課の水菓子が売れているように感じた。初夏である季節的な現象だ。これからさらに暑くなるにつれ、より売れるだろう。

 そう。じき七月になる。スティックケーキの期限は、近い。


 自社店舗の販売状況がデータ通り、特に変わらないことを確かめる。

 それから三人で、菓子店の一角を歩いた。本来の目的である、他社製品の『偵察』だ。

 凉と昭子は私服姿だった。スーツ姿の京香は、奇妙な組み合わせだと思った。どんな格好でも店側から疑われないだろうが、仕事の同僚には見えないだろう。


「なんか……せっかくのデパ地下なのに、パッとしませんね」


 ふと、昭子が漏らす。

 焼き菓子や水菓子などの店はどこも、客の入りが疎らだった。とても行列は出来ていない。


「そりゃ、そうでしょ。両川さんも、お客の立場ならあっちが欲しいんじゃない?」


 凉が顎で指したのは、ケーキやシュークリームなどの生菓子店だった。客の行列が出来ているだけでなく、店によっては『本日完売』の文字が見える。

 このデパートだけに限った現象ではない。どこでも、デパート地下のスイーツ特集で取り上げられるのは、生菓子が多かった。


「そうですね。むしろ、買って帰りたいぐらいです」

「買って帰るなとは言わないけど……。生菓子は自分もしくは親しい人と食べる用、ウチが作ってる焼き菓子は専らギフト用。その違いよ」

「なるほど。言われてみれば、そうですね」


 京香の説明に、昭子は納得した。

 妙泉製菓として、生菓子を同業とは捉えていない。それでも、こうして店頭の売上で負けているのは、京香としても良い気がしなかった。とはいえ、張り合おうにも、こちらが不利であると理解しているが。


「ウチも生菓子作ればどうですか?」


 何も考えていないであろう――昭子の無邪気な提案に、凉が小さく笑う。

 京香は小さく溜め息をついた。


「そう簡単じゃないのよ……」


 妙泉製菓には生菓子に関する技術や流通経路が無いだけでなく、人員や製造場所の問題もある。手を出そうにも、全くの新規事業になるのだ。

 ふたりの反応に、昭子は首を傾げた。


 しばらく歩くと、ふと昭子が立ち止まった。

 京香は昭子の視線を追うと、その先にはマカロンの箱があった。


「あれ、凄くないですか? 十種類もありますよ」


 カラフルなそれは、見栄えがとても綺麗だと京香は感じた。味がどうであれ、贈り物として喜んで貰えるだろう。

 三人で店頭に近づき、詳しく確かめる。

 木イチゴ、レモン、キャラメル、塩キャラメル、カシス、紅茶、ピスタチオ、コーヒー、チョコレート、パッションフルーツ――それぞれのクリームが挟まれたマカロンだった。

 店員が近づいてきたので、適当に躱して店頭から離れた。


「なんていうか……けっこう強引でしたね」

「そうですね。無理やり十種類集めた感じで……」


 凉の感想に、京香は頷いた。

 似たような味が多いというより――味よりも、見栄えを優先したように感じた。


「ていうか、そこまで気にしますかねぇ。カラフルなら、それでよくないですか?」


 ふたりの意見を何気なく否定する昭子に、京香は少し苛立つ。

 しかし、それはもっともだと思った。むしろ、昭子が入社してまだ間もないからこそ、消費者に近いからこそ、説得力があるように感じた。


「それじゃあ、両川さん……カラフルさで考えるなら、最後のひとつは何になる?」


 京香は、その観点で意見を引き出そうとした。

 チョコレート、抹茶、チーズ、レモン――味で考えてきたスティックケーキを、色で考える。


「うーん……。ベリーはどうでしょう? あの中に赤系があれば、華やかですよね」


 先ほどのマカロンの、木イチゴとカシスから連想したのだろう。色で考えた場合、確かに他四つに対して良いアクセントになると、京香は思った。

 これまでも一度、ベリーが挙がったことはある。しかし、レモンと同じく酸味になるので却下したのであった。

 それを、色で改めて考える。


「良いじゃん、それ。私はしっくりきたよ」

「そうですか!? あたし、やりました!?」


 凉の感触は良いようだ。

 昭子個人はさて置き――京香としても、悪くないと感じる。ここまで昭子を連れてきて良かったと思った。

 賛同して採用、プロジェクト完了という流れに持っていきたいところだった。


「とりあえず、試作してみましょう。喜ぶのは、それから」


 しかし、京香はなんだか腑に落ちなかった。浮かれ気味のふたりを、落ち着かせる。

 これまで味で考えてきたものを、最後は色で考えていいのだろうか。それが京香の中で、引っかかっていたのだ。

 色だけでなく、味のバランスも五種類で取れているなら、採用したい。そのために、実際に確かめなければならない。

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