14.わたしが沢山いる部屋

 時間が経過し土曜日の午後過ぎ。

 もうすぐで夕方を指す頃となる。実家に行く準備をしていた筈の美藍は困惑した様子で目の前の光景を見つめていた。


「いやいや、ハナとハルが行くのは分かる。婆ちゃんもきっと驚くだろうし、二人も喜んでたし。だけど、アンタまで着いてくる理由はマジで分からん」


 花子と花太郎、そして兄妹の隣には例の御曹司獄が満面の笑みを浮かべて佇んでいた。美藍は車に持って行く工具箱を思わず地面に落としてしまいそうになる。

 人の戸惑い事をお構いなしに獄は笑顔のまま美藍を宥めた。

 

「まァまァ、そんな固いことを言わないでください」

「そういう問題じゃねえっつーの。なんで、数日前に知り合ったばっかの奴を祖母の家に招待しないとけないんだ」

「まァまァ、家庭訪問みたいだと思って」

「アンタ臨時担任である前に御曹司だろ?!」


 美蘭は訝しげに獄を睨む。その後、眉間に皺を寄せながら花子を咎めた。

 

「て言うか、ハナも。切開四獄信用ならない奴にベラベラ人の事情喋っちゃダメだろー?」

「今、ワタシのことを信用できないと言いましたねェ?」

「当たり前だ。その胡散臭さダダ漏れの格好と口調、その他諸々全部の奴なんかに任せる訳がないっての。つーか、なんでそんな展開になったわけ?」


 花子は無表情のまま答える。


「美藍さんの話をしたら」

「うんうん」 

「切開四さんが気になるって言って」 

「気になるって言って……それで?」

「着いていくって」

「ほうほう、そうかそうか。着いていくかぁー……ってそんな簡単に納得できる訳あるか!」


 美藍の突き刺すような声が花子の耳に劈く。その威勢に兄の花太郎も肩を震わせた。瞳と眉を固まらせ怖気付き、覗くように見つめる。

 花子は顔を俯かせた。表情は変わらず仏頂面のまま瞳を地面へと落とした。


「だって」

「だって、それがどうした?」

「だって、美藍さん困ってたから」

「アタシが?」

「うん。助けたかった」


 コクリと頷く花子の目には嘘偽りがない。静かに淡々と話す姿に美藍は再び眉間に皺を寄せる。だがしかし、美藍は声を唸り上げると次の瞬間には仕方ないなと笑みを含めた呆れ顔になっていた。


「全く、アンタは本当に世話の焼ける子だよ」

「美藍さん……?」


 花子は徐々に顔を上げる。いつもの声色に戻ったことで安心さを得られた。花子の顔が完全に美藍の方に向いた時には既に機嫌が直っていた。

 

「確かに花子の気持ちも分かる。だけど、そこまで深刻な顔しなくて平気だし、アタシ自身大丈夫だよ」

「そうなの?」

「あぁ。でも、アタシのこと心配してくれてありがとうな。それは凄く嬉しかったよ」


 美藍は花子と同じ目線になるようにしゃがみ込む。花子は一歩後退りをするも目の前に伸びた手に捉えられ惜しくも逃げそびれた。叩かれると身を縮こめるも、美藍の大きな手は花子の頭をそっと撫でた。


 そして、美藍は小さく「ありがとな」と呟いた。花子は微かな優しい声に更に瞳を固まらせる。隣を見ると花太郎はほっと安堵の息を漏らしていた。何度か花子の髪を触ると、美藍は頭から手を離しゆっくりと立ち上がった。


「まぁ、アタシもあの部屋には少し聞きたいことがあったし。不気味だとは思ってたから良いんだけど」

「ほほォ?」


 獄がすかさず興味を持ち始める。愉快気な声に嫌気がさすも喉の奥へと押し込み話を続けた。


「所でアンタ、アタシの婆ちゃん家の場所知ってんの?」

「あァ、そういや知りませんでしたねェ」

「……コイツ、そう言った話以外の部分は変に抜けてやがる」

「まァ、から」

「は? まさか、アタシの車に無断乗車ってこと?!」

「キミ、随分とワタシのことを信用してませんねェ」

「当たり前だろ? 所で、アンタに引っ付いてた執事はどうしたよ」

「もうすぐですこちらに着きますよォ。……あ、あちらです」


 獄は道路の奥めがけて大きく手を振った。

 遠くから車のエンジン音が響き渡る。花子はその方向を凝視していると、黒い車のボンネットが現れた。


 車は段々こちらに向かってきておりその全体像がはっきりとしてゆく。

 しかし、目の前の車の胴体が長く後部座席ドアあたりが曖昧に現れていた。


「はぁ?! これリムジン?!」


 頭上から美藍のあり得ないと鋭い声で叫ぶ。花太郎も息を呑みながら奇異の目で見つめていた。


「り、リムジン……?! ホンモノ?」

「りむじん?」

「凄く長い車だよ。しかも高級……! ドラマとかでしか見たことなかったんだけれど本当にあったんだ……!」


 黒い車、リムジンは花子の自宅前へゆっくりと停車する。埃や指紋一つ見当たらない真新しさの漆塗りされた濡羽色が視界一面に広がる。後部座席ドアは胴体の一番後ろの方に取り付けられている。

 運転席付近のドアが開き、中から執事の荊樹が現れた。済ました表情のまま両手をお腹の位置に当て、丁寧なお辞儀を見せた。


「お待たせしました! 獄様、美藍様、花子様、花太郎様」


 荊樹は顔を上げると花が咲いたような笑顔を振り撒く。花子の凝り固まった眉毛が緩やかになる。美藍は息が詰まるような突っ掛かった声を漏らした。


「な、な、なん……」


 両肩がわなわなと震え出し顔を俯かせ、金髪が揺れる。


「さぁ、どうぞこちらに」


 気付くと花子の目の前に獄が現れた。彼は片膝を地面に付かせ、初めて出会った時同様に手を差し出した。相も変わらず大きな手である。

 花子は恐る恐ると自分の指の短い手を乗せようと腕を伸ばした。


「ちょっと待て」


 美藍の地を這う声が響く。途端に伸ばしかけた手を止めて腕に力が籠る。花子と獄は同時に顔を上げ、美藍の方を見やる。

 それは花太郎と荊樹も気付いたらしく一斉に美藍へと視線が集中する。


「こんな……こんな……」

「美藍さんどうしたの?」

「こんな……こんなの……」


 その数秒後だった。


「こんな住宅街の中で、こんな馬鹿でかい車に乗るアホがいる訳ねぇだろー!! 悪目立ちにも程があるわー!!」


 美藍の怒号が花子たちを捲し上げた。高く力強い声は自宅周辺にまで反響する。微かな声の残骸がこだました。

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