シン型神話物語

独駝海栗坊

第一章「かつて神話があった」

1-1『素晴らしき哉、勇気!』

 かつて神話があった。

 神や悪魔、精霊や妖怪、怪奇現象が跋扈し、人間達は神話を恐れ忌避し逃げ惑い時に敬い崇拝し畏敬し時に調伏し超克し討伐しながらも神話を信じ憎み愛していた。

 しかし、悠久の歴史の中で人間達は科学を信じ発展させることで神話を克服し超越し脱却することに成功した……かに思われた。

 しかして尚、現代でも神話は人間達の傍にある。

 そして今また一つ、新たな神話が幕を開けようとしている。その、神話の名は――


 シン型神話物語


 夜空に輝く星の灯りを打ち負かすネオンサインが色付き始める夕暮れの街。高層ビルが黄昏色に染まる頃、バベルの塔もかくやといわんばかりのビル群の隙間、本来の主である野良猫や野良犬、鼠たちよりも我が物顔でそこにいるのは魔王ファロゥマディンである。

 人がすれ違うのがやっとの狭さの筈のとあるオフィスビルの谷間の路地裏は、魔王ファロゥマディンがいることで空間が歪み、魔王の巨躯を収めるのに相応しい暗黒の死の谷へと変貌していた。無機質なコンクリートの壁は不気味な模様が蠢く崖に、黄昏の快晴の空模様は暗雲立ち込める不穏な空に、それぞれ

 魔王ファロゥマディンは恐るべきドラゴンである。その全体像は所謂伝統的なドラゴンだが、その身を構成しているのは人骨と柘榴の香り、そして暗黒である。人の子なら丸呑み出来る程に巨大な口は聖剣よりも鋭利な牙が生え揃っており、死神の鎌の如き爪を備えた手足は岩山をも砕くパワーがある。破滅を運ぶ枯れ枝の如き骨の翼は広げれば絶望が天を覆う程。尾は地獄蠍の尾部であり、その猛毒は英雄はおろか神をも殺すと謳われる。

 そんなファロゥマディンの前にはたった一人、ボロボロの少年――確か、ガドウ・シンガと言ったか――否、勇者が立っていた。

 勇者は見るからにズタボロだ。顔は腫れ上がり腐った骸が如く青黒く変色している。伝説の鎧には大きな穴が穿たれ、その穿孔から見える腹部からは臓物が今にも溢れ落ちそうだ。手に持った神剣は中程で折れて輝きを失い、ただの棒切れと化している。立っているのがやっとの筈の勇者の少年は、前髪で隠れた両の目に血と涙を浮かべながらも、精一杯両手を広げて魔王ファロゥマディンの前に立ちはだかっている。

「もう…もう、やめろ!」

 口の端から血を滴らせながら勇者が叫んだ。

 勇者の数十歩ほど後ろには3人の青年が倒れている。ボロボロの勇者は自分魔王からこの人間たちを守ろうとしているのだ。

(これぞまさしく勇者!)

 魔王は勇者の勇気に感嘆する。

 高次情報思念体である魔王ファロゥマディンの本性は、本来普通の人間には正確に知覚すら出来ない。その莫大な量の情報圧は人間の脳に抗い難い本能的な恐怖を与える筈だ。

 立っているのもやっとのはずで、顔面は血と涙と鼻水と冷や汗の体液フルコースでありながら、その瞳は、眼差しは、意思は、勇者らしい勇気に満ち溢れているではないか!

「我は背理にして真理、不条理にして理不尽、そして誘惑の魔王にして堕天の主!逆天竜魔神王ファロゥマディンなり!儚き人間よ、吹けば飛ぶ塵芥よ。何故なにゆえ我が前に立ちはだかるのか!」

 魔王はその恐るべき鼻先を勇者の目元まで伸びた前髪から優し気な瞳が見えるほどに寄せ、吼える。勇者の目元を隠す前髪のカーテンが魔王の声で揺れ、額のバツ字の焼印がふわりと顕になる。

 恐るべき牙を前にしてなお、勇者は、その勇気はどこか悲しげに前髪の隙間から魔王を変わらず睨み付けている。

「もういいだろ、魔王」

 絞り出すように、あるいは自らを鼓舞するかのように勇者が呟く。

 その時である。

 それは奇跡であるかのように

 それは祝福であるかのように

 それは運命であるかのように

 それは神話であるかのように

 それは勇者の勇気に応えるかのように

 中程から折れて輝きを失っていた筈の神剣が、再び尊い輝きを取り戻す。火山が噴火するかの如く、あるいは噴水が水を吹き出すが如く、折れていた刀身から新たな刀身が生える。炎をモチーフとした意匠が施されたロングソード程の大きさ神剣は、更に黄昏色のオーラを纏う。神剣の輝きに呼応するかのように、伝説の鎧もみるまに修復された。

 新生した神剣が発する煌めきは勇気の煌めき、ヒトの発する意志の輝き。ダイヤモンドよりも固く太陽よりも眩しい、ヒトだけが持つもの。

(素晴らしき哉、勇気!)

 魔王ファロゥマディンは勇気ある者の魂が好きだ。同族の中には恐怖と混乱と後悔で味付けされた魂を好む者もいるが、ファロゥマディンは違う。暗黒の夜を切り裂く流星のように、恐怖に打ち勝ち光輝く魂が好きだ。黄金を溶かす程の情熱と宝石よりも眩い光持つ瞳が好きだ。魔法では作れぬ心の波動が鼓動が脈動が大好きだ。故に思う、この少年の何より価値のある魂が欲しい!と。

 この勇者の魂はきっと、自分のコレクションの中でも最高峰のものになる!

 魔王ファロゥマディンはうっとりとして思わず気が緩む。そして、僅かに覗いた魔王のスキを見逃す勇者ではない。

 勇者が、新生した神剣を手に大きく跳躍する。

 大上段から降り降ろされた神剣の一撃は、魔王の巨大な頭部を確実に捉えた。神剣が魔王が無意識化で張っている、大魔法の直撃すら耐え得る防御魔法を薄紙を割くが如く易々と切り裂いていく。咄嗟の判断で頭を横にずらした魔王であったが、躱しきれずに、巨大な左の角が一本、宙を舞う。

 激痛、という久方ぶりの感覚が体液と一緒に勢いよく噴き出す。

 久方ぶりの激痛に驚愕したのは刹那の一瞬。瞬時に、自由落下中で満足に身動きが取れない勇者に向かって、神剣をへし折った蠍の尾針による一撃を再び見舞う。

 しかし、勇者は一度受けた攻撃を再び受けるようなまぬけではなかったようだ。咄嗟に突き出された尾針に対して神剣を斜めにすることで衝撃を逃がし、吹き飛ばされながらも致命傷を避けた。

 着地した勇者は神剣を中段に構え直し、呼吸を整える。顔色は人間らしい肌色に戻っていた。

 対する魔王ファロゥマディンもまた獲物を前に気を引き締める。

 睨み合う両者。静寂。静粛。閑静。言葉は要らぬとばかりに魔王と勇者の間の空気が張り詰める。

 沈黙という名の緊張の糸を引き裂いて先に仕掛けたのは魔王ファロゥマディンであった。

 その地獄の入口にも似た絶望覗く恐るべき口を大きく開き、暗黒の魔力を集結し始めたのだ。

 勇者の勇気に敬意を表して、せめて痛みなく一撃で屠るため、必殺のドラゴンブレスを放とうというのだ。

 対して勇者はまるで宇宙に飛び立つロケットの如く、勇者は神剣から噴射する焔を利用して大きく大きく高く高く垂直に飛び上がる。

 勇者の背後にはまだ3人の青年が倒れたままだ。このままでは魔王の一撃に巻き込んでしまうと判断し、自ら囮になろうというのだろう。

 そんな勇者の心意気を察した魔王は益々勇者の魂が欲しくなった。自然と込める魔力もより高まる。

 勇者の眼前に暗黒の魔力の奔流が、魔王の眼前に黄昏色の焔が、それぞれ迫る。

 魔王のドラゴンブレスが放たれ勇者を焼き尽くすが早いか、勇者の神剣が魔王の頭を叩き割るのが早いか……


 勇者の勇気が、世界を救うと信じて――

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