異世界Zero to hero
蜜漬ミツキ
第1話 寝起きワイプ
『目が覚めると、そこは見知らぬ部屋だった』という展開は現実的に考えるとホラーそのものだけど、一度も望んだことがないかというと、誰しもが首を横に振るだろう。
目が覚めたら、どこか遠い場所にいたりしないかな。
目が覚めたら、ここじゃないどこかに横たわっていないかな。
そう願い、両手を擦り合わせながら眠りについた夜は数え切れない。
また同じ天井か、と落胆した朝は数えるのも億劫になるほどだ。
勘違いしないでほしいのだけど、どこかに行きたいとは言っても、俺はそこまで不幸な人生を送っているわけじゃない。『人生』と書いて『ハードワーク』と読むブラック企業勤めではないし、日夜金貸しに戸を叩かれる借金まみれの日々でもない。
じゃあ何が不満なんだって?
自分自身に不満があるのさ。
周りじゃなくて自分だ。
俺は俗に言うコミュ症だ。口を開けばどもるし、当然ながら他人の顔を直視するなんてことは不可能に近い。『あの時、○○と言っておけばよかった』なんて後悔はもはやテンプレートと化した。
独り言は上手なんだけどな。対人となると舌が麻痺してしまう。
どうしたら良いんだろう?
問うても、意見を求める相手がいないんだけどさ。
結婚どころか交際も経験したことがない。
結婚に関して言えば、『当事者』どころか『参列者』としてさえ経験がなかった。
お呼ばれしたことがないというか。
呼んでくれる友人がいないので、まず有り得ない話だった。
誰か結婚式に招待してくれねぇかな。
とぼやいても、そもそも友人がゼロの俺にとってはそれどころじゃない。
年賀状さえ望むべくもないのに、結婚式なんて夢のまた夢だ。
まあ……そんなこんなで。
「俺は、やり直したかった」
恋人も友達もおらず、両親は何処へ行ったのやら音信不通。青春時代を生真面目に過ごしてしまったせいで輝かしい思い出なんてものは無い。空っぽの人生を無理くり埋めるべく手を出したオンラインゲームにうっかりハマり込み、今では仕事とゲームがすべて。
やり直したかった。
今の『俺』を知る人がいない新天地で。
新たな『俺』として、本に書けるような人生を作りたかった。
「——とは言ってもさぁ」
目の前に広がるのは大海原のような青空。久々に直視した太陽は記憶にあるものよりもずっと光り輝いていて、思わず目を細めた。
背中に感じるのは地面だ。だけど不思議と固くはない。草を下敷きにしているからだろう。寝心地の悪さはなく、何万円もするベッドより遥かに気持ちが良かった。
スン、と鼻を鳴らす。
鋭く吸い込んだ空気はキンッと引き締まっていて、寝起きの霞みがかかった意識が、だんだんと鼻を中心に冴えてくる感じがした。
ぐっと伸びをして身体をほぐす。
言いようのない快感が全身の筋肉をふるわせた。
すがすがしい気持ちでもう一度青空を見上げる。
「天井くらいは用意されてるもんだと思ってたよ」
見知らぬ天井、もとい見知らぬ空。
ドーナツ型に真ん中がくり抜かれた太陽は、どう見ても地球が属する太陽系のお天道様ではなかった。ここはどこか? 決まっている——異世界だ。
奇形の太陽がすべてを物語っている。
「はてさて、俺は一体どうやってこの地にやって来たんだ?」
昨日、飲み会をつっぱねて帰宅した俺は……シャワーで汗を流し、寝間着に着替えてパソコンの前に座ったはずだ。
MMORPG『メテオライフ』をプレイするために。
『隕石のようにどデカいセカンドライフを』が売り文句のオンラインゲームだ。
アプリを起動したまでは覚えているんだが、そこから先の記憶がない。
「……ま、考えても仕方がない。今や世界が違うんだから。向こうのことを考えたって答が出るはずがないんだ」
そんなことより。
異世界に来たならば先ずやるべきことがあるだろう。
右腕を、ゆっくりと空に突き上げる。
握り締めた手をじれったく解いて、口を開く。
「ステータス・オープン」
ヴンッ——パソコンが立ち上がったような音がして。
おおむね期待通り、手のひらの前に半透明の板が現れた。
『ノン・リミアート』十八歳 ヒューマン LV0
ジョブ:【なし】
スキル:【なし】
称号:【Zero to hero】
機械で形作ったような精密な長方形は触れても感触がない。ホログラムみたいだ。
ところで『おおむね期待通り』なーんて、『期待通り』と素直に言わなかったのには理由がある。「この画面、どこかで見たような……」
はっと目を見開く。
これは『メテオライフ』のステータス画面じゃないか?
「うん……確かにそうだ。だけどレベルがゼロっていうのは一体どうしてだ?」
名前はノン・リミアート。これは分かる。『メテオライフ』内で使用しているキャラクターの名だ。由来は『無制限』。ノーリミットを名前っぽく改変した結果こうなった。
ゲーム内のノンはレベルがカンストしていた。
それなのに今はどういうわけかゼロだ。
称号の欄にある【Zero to hero】が関係しているのだろうか。
おぼろげな記憶だが、たしかZero to heroは縛りプレイの一種だった気がする。SMだとかのマニアックな話ではなくて。ゲームのプレイスタイルの話だ。
可能な限りアイテムを所持せず、文字通りその身一つで成り上がることを目的とした、言うなればハードモード。装備品がないため、力任せなプレイが困難になる。力よりも知識が物を言う縛りだ。達成するには、そのゲームに精通していなければならない。
試しに指先を当ててみると詳細が表示された。
「獲得条件『すべてを失いその身一つで異界の地に転移する』……効果、なし」
効果なしって……。
あくまでもゼロからってことか。
さすがに衣服は着ているが、これだって軽く指先でつまんだだけでシワがつく、防御力ゼロって感じの薄っぺらいやつだ。他に持ち物はない。
これからどうしたもんかな。
「ひとまずは——天井が欲しいな」
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