第15話 弱音
「ヴァイスさん、イェシルさんを見かけませんでしたか?」
怒涛の治癒手伝いの波が過ぎ去って、アカネが私に声をかけてきた時には到着時に山の上にあった陽が街向こうの森に佇んでいた。
「いや、私はここで薬品の整理と保護術式の整備をしていたから。……何かあったのかい?」
「何かあったと言いますか、何もないから気にかかるんです。……ヴァイスさん、よかったら探しに行ってくれますか?」
近くの荷物に留まる青い鳥へと視線をやれば、チチとさえずりを鳴らしたあとに無機質な音が聞こえてくる。
《これはイェシルとの連続イベントのフラグになります。模擬戦闘に敗北したイェシルが、様子を見に来た主人公に対して葛藤を吐露するシーンです。彼を励ますようなやり取りをすることで、その後のイベントにも繋がります》
人の感情の機微をイベントとやらに混ぜることに対して言われも知れぬ複雑さを抱くが、それなら尚のこと。
(いや、それは私が行ってはいけないだろう)
ただでさえ主人公が攻略──いわば救うための余地を奪ってはいけないとネグロに正体を明かさずにいるのだ。
彼でなくとも、アカネが彼らと関わる機会を横取りするわけにはいかない。たとえ当のアカネ自身から頼まれたのだとしても。
「私が行くよりも、アカネが行く方がイェシルも安心できるだろう。それに怪我をしていてそれを隠していたとして、ろくな治療も出来ないからね」
「でも、私だともし倒れてたらここまで連れてくるとか出来ませんし。ヴァイスさんなら担いだりなんだりすればいけるじゃないですか、ね!」
妙に熱意を感じる。
そう感じたのは錯覚ではないだろう。
元々丁寧な物腰の中にも芯の強さを見ることは幾度かあった。例えば彼女の手伝いを頼まれた時、例えばこの遠征に来ると決めた時。
それに近しいものをこのやり取りにも感じる。まるでそれこそが最善なのだと知っているように。
こうなってしまえば、彼女は決して引かないだろう。
「……分かった。なら一緒に行こう。幸いこちらもひと段落ついたのだから、休憩ついでに探しに行けばいい」
「えっ、でもそれはそれで……」
「いいから。ほら、行こう」
やんわりと彼女の手首を握りしめて歩き出す。
振り解こうと思えば出来るくらいの力だが、「はわ、」と小さな声をあげた彼女はそのまま一挙に言葉少なになった。
──淑女の手をいきなり握るのは失礼だったか。若干申し訳なさもあるが、今はそのまま押し通らせてもらおう。
《自分が攻略対象であることなどすっかり忘れたヴァイスは、そう言った意味深接触をするのでした》『ピィ』
(確かに忘れてたがそんな言われるほどのことか!?)
◇
イェシルがうずくまっていたのは、下り道を少し脇へとそれた先。よほど探さねば見つからない場所はずの場所を指したのは、バラッドとアカネの双方だった。
「多分ですけれど、あっちの辺り……あ、いました!」
《ゲームで出ていた描写と同じ場所になりますね》
賑やかな声に大仰にイェシルの肩は跳ねてバネのように顔が上がる。けれども眉が下がっていくのは、いやにゆっくりとした調子だった。
「あ…………、ヴァイス、アカネ」
「ん゛っ……、こほん。イェシルさん、こんなところにいたんですね。さっきの戦いで怪我をしてないかと心配で」
一瞬地を這うような低い声を押し殺してから、アカネが彼の横へと膝をつく。その半歩後ろで様子を伺えば、先ほどの模擬戦闘の名残りだろう。頬や手には擦り傷が出来ている。大きな怪我はないが、いつもの青空のような精細はない。
「それでわざわざ二人とも来てくれたのか? ありがたいけど大丈夫だって。これくらい、水で洗っときゃ勝手に治るさ」
「ですか……!」
「……先ほど戦っていた彼と、何かあったのかい?」
籠手に赤い一本線が特徴的だった男とのやり取りの後、急激に覇気を失っていた先ほどを思い出す。
そのことを指摘すれば、かろうじて浮かべていた笑みがみるみる内に萎んでいく。
そのまま静かに見つめていれば、四つの瞳の圧に耐えかねたのか。あるいは元々誰かに吐き出さなければ限界だったのだろう。堰を切ったように言葉があふれ出す。
「……オレが最初に騎士団に入った時、応援してくれてたのがさっき戦ってたあいつ、ポールでさ」
視線は遠くへと向けられる。その先には木々しか見えないが、彼の見えている光景はきっと違うものなのだろう。
ポールという名前には、一度だけ聞き覚えがあった。あの森でイェシルと話していた騎士たちの片割れの名前。
「丁度オレが騎士団に見習いとして入った三年前くらいから、国の各地で問題が頻発するようになったんだ。領主の蜂起とか、民衆の小さなクーデターとか。だからオレが入った年は特に、自分の故郷がひどいことになるのをなんとかしたいってやつが多かった」
《皇国騎士団が皇帝直属の一組織から、派閥争いを行うに至るまで拡大した理由の一つに各地の戦況不安は決して見逃すことができないでしょう。ブラン皇帝陛下は全霊を傾けていましたが、それでも教会を重用する彼の在り方に不満を覚えるものはいました。
各地で蜂起をあげる領主や、私服を肥やす税務官が現れ、治世に不安を覚えた人々が彼に反発したネグロ騎士団長に呼応し、騎士団の門戸を叩いたのです》
……想像以上に今の人々の心には影が落ちているようだ。影が心にさす。
「ポールはさ。村が圧政に苦しんでた時にネグロ騎士団長に助けられたって聞いた。それが理由で、国を変えるために騎士団に入ったんだって。でもさ、そんな境遇でもオレの正義の味方になれたらってガキみたいな理由を笑わないで応援してくれててさ。……あいつだけだったんだ、そうやって丸ごと認めてくれたやつ」
「……先ほどのやり取りを遠目から見ていた感じ、そんな和やかな雰囲気じゃなかったけれど」
「そこまで見られてたかぁ……。うん、この剣。これをネグロ団長から賜った後から、調子が変わっちまったんだ」
「剣を?」
口を挟まずに話を聞いていたアカネが不思議そうに目を丸くする。
「ああ。名誉ある剣をオレが手に入れたのが気に食わなかったのかもしれないけど……っと、ごめんごめん。変な話しちまったな!」
しゃがみ込んでいたイェシルが突如立ち上がる。顔を背けるように街向こうの森を見つめていた。
「こんなとこで油打ってたら将校に怒られちまう! アカネ、ヴァイス、呼びに来てくれてありがとな!」
早口で礼を告げれば、こちらの返事を待つ間もなく山道を駆け上がってしまった。
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