第12話 存在確認


「お久しぶりです。すみません、アカネは今外の依頼に回っていて、」

「構わない。ここに来たのはお前がいると聞いたからだ。ヴァイス」


 相談所の扉を閉じたネグロは、以前同様の姿勢の良さでこちらへと歩み寄ってくる。

 私も緊張しているが、彼も同様のようだ。眉間に普段以上にシワをよせていた。


「俺に? 何か御用でしょうか」

「…………ただの、個人的な確認だ」


 言葉を区切った男は、私の眼前へと歩み寄ってきたかと思えば、無言でこちらを見下ろす。白砂の文字を消していた私は椅子に座った状態だから身長半分ほどの距離が縦にある。影が刺す顔は一段と昏い。


「よく分かりませんが……もし長居するのでしたらそちらの椅子をどうぞ」


「…………ああ」


 生返事を返したきり向かいの席に座ることすらしない男は、ただひたすらにこちらを検分──検分と形容するのが最も相応しいほどの視線をよこす。


 眠りにつく前にも彼と共にいる時に沈黙が流れることは多かったが、その時も互いにリラックスしていたと思う。

 それが今は空気が重い。突き刺さる視線の圧を誤魔化すように曖昧な笑みを口元に浮かべた。


「数日お顔を拝見しませんでしたが、お仕事がお忙しかったのでしょうか」


「そうだな。他の街で住民と商会が小競り合いをはじめていて、放置していれば泥沼化しそうだと連絡が入り、速馬で対応に向かっていた」


 ……さらりと告げられたがおおごとではないか。少なくとも私が眠る前の頃にそんな問題はほとんどなかったぞ?


 詳しく状況や理由、対処の結果を聞きたいのはやまやまだが、『記憶喪失で聖女の手伝いをしている男』がこんな話に食いつくかと言われれば否だ。


「それはお疲れ様です。この五日でまさか他の街まで行かれていたとは。もうそちらは大丈夫なのでしょうか?」


「問題は片づいた」


 ──本来ならもう少し様子見が必要そうな案件だな。ネグロの声色から判断する。語尾の覇気がないのは一抹の不安が残っている証拠だ。それならば。


「一番近い街でも徒歩で半日はかかるのでしょう。どこに行かれてたかは分かりませんが……短い旅ではなかったはず。もう少しゆっくりされてもよかったのでは?」

「お前が」


 被せ気味に言葉を吐き出される。かと思えば続く言葉はなく、目線だけがただ熱で溶かした鉄を注ぐように向けられた。

 しばしの沈黙に落ち着かない心地になったところで、ようやく言葉の続きは紡がれた。



「お前が、どこかに行くかもしれないと思って」



 思わず絶句する。


 返答の余裕すら脳内をさらに侵食するように、その手が伸ばされる。以前のように触れることはなくとも、空気一枚隔てた頬を撫でるように指がすべった。


「ありえない」

「……なにがですか」


「あの方と似ているものが存在するなんて」

「……」


「お前がもしかしたらあの方かもと」


「だが、間違いだったらどうする?」「私は私の思い込みであの方に不敬を働いていることになる」「そうだあの方と同じものなどあるはずがない」

「だが」「本当に、そっくりで」


(ッ、……バラッド!?!?

 これもしかしてだいぶ不味いんじゃないか!?)


 虚な目をして呟き続けるネグロを見て脳内で悲鳴をあげるが、無機質な副音声で返事をしてくれる青い鳥は彼が入るのとほぼ同時に窓から逃げてしまっていた。

 薄情者めと恨めしい気持ちにもなるが、そもバラッドを下手にネグロが覚えていたらさらにややこしいことになるのも事実だ。



「お……落ち着くんだ、落ち着いてください。ネグロ殿。私はあなたの敬愛する人にお会いしたことはありませんが、たまたま他人の空似という可能性もあるでしょう」


 必死に言葉を絞り出せば、ぼんやりとしていた焦点が一瞬元に戻る。


「は?? そもそもヴァイスさまは天上天下に並ぶものなどいないほどに清廉潔白な方でその魂の美しさが容姿に滲み出ているようなお方だ。その方と似た顔のものなど本来存在するわけがなかろう」


 そうか……。

 そうか…………?

 弟は私によく似ていると周りの者からは言われていたのだが。


 若干複雑な感情には駆られるが、引き戻すのなら今が好機のはずだ。椅子に座ったまま僅かに背中を仰け反らせ、ゆっくりと言葉を区切って伝える。


「そうでしょう。なら俺をかつての皇太子殿下と重ねるのはおやめください。確かに同じ名ではありますが、この名前はイェシルが付けてくれたものです」


 勝手に名前を使ってすまないイェシル……。

 内心謝罪を遠方へと向けていれば、空気一枚隔てたところにあった指が離れていく。


「…………。…………分かっている。すまないな、急に」


「気にしていません。……といえば嘘になりますか。ですが、あなたがを大切に思っているのは伝わりますから」


 そのこと自体は本当に、心から嬉しいのだ。十二年の歳月を経てなお、彼がヴァイスを忘れなかったことは。


「俺はアカネの手伝いでしばらくはここにいますから。重ねるのではなく俺個人との交流を求めるのでしたら、いつでもどうぞ。昼食くらいはご一緒させて頂きます」


「!……はは。お前は人が良い」


「……よく言われます」


 一瞬だけその表情に見惚れる。

 目覚めてはじめて……それどころか目覚める前にも近年はあまり見せてくれなくなっていた。ネグロの衒いのない破顔だった。


「なら、また日を改めて誘いをかけさせてもらうとしよう。……ああ、それとこれを」


「?」


 羊皮紙の巻物を差し出される。

 正体を知らぬまま広げれば、この仕事を手伝うようになってから幾度も見た書式だった。


「この街に駐在している騎士団を対象に遠征訓練を予定している。まだ彼女の法力に不安は残る故、参加は任せるが……見合った働きをするのなら報酬は惜しまない。彼女にもそう伝えておけ」

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