第4話 名前
バラッドの名を呟けば、傍らに飛ぶ青い小鳥は小さく鳴く。
彼の無機質な言葉は聞こえなくとも、羽毛でふくらんだ丸っぽい愛らしいフォルムは見えているようで。連れ立って歩く騎士、イェシルが場の緊張をほどくように声をかけてくる。
「その鳥、ずいぶんとお前に懐いているな」「ぴ!」
「ああ。長い付き合いなんだ」
……もっとも、これから連れていかれる相手のほうがそれよりも遥か以前からの知り合いだ。それを何もいうことができないまま会うことになるとは思っても見なかったが。
今から向かうのは皇都から程近い森の付近の街、イーダルード。その駐屯地にいるとされるかつての私の部下であり、今は皇国の騎士団長となったネグロの元だ。
森を抜ければ間もなく動物よけの柵が見え、間の扉を開いて潜ればすぐに街並みが広がる。
イーダルードの街には幾度か訪れたことがある。大きな教会もあり活気のある街なのは相変わらずだが、同時に時折目を逸らしたくなるような惨状となっている場所があった。
(……扉が壊れたままだ)
雑貨店の扉が壊れていたり、井戸が随分と汚れていたり。決して大きく何かが壊れた様子はないが、それでも見過ごせないほどの荒れようだった。
《国が三つの立場に分かれたことで、先代皇帝ほどの秩序だった統治には綻びが乱れるようになります。指揮系統の混乱や癒着、税の取り立てに対する反発。そうしたものが国全体に蔓延し出したのがゲーム本編の時代になります》
無機質な青い鳥の言葉が状況を説明してくれる。……以前と思ったが空想演技、ゲームの治安というのはどこもこんなに悪いものなのだろうか。
「……ええと、ゴメンな」
急に聞こえてきた謝罪に隣を見れば、イェシルの茶色いまつ毛は伏せられ、碧眼に影がさしている。
「何がだい?」
「森の外まで案内するって言ったのに、何やかんやネグロ騎士団長のところまで行くなんてことになっちまったろ?……君を巻き込むことになった」
「何かと思えば。問題ないさ。そもそも俺がいてはならないところにいたことは事実だし、むしろこうして取りなす為に一緒に来てくれてありがとう」
「……ん。ええとさ、団長は仏頂面で全然表情が変わんないし一見怖いかもしれないけど、でも誠実にこっちが頼めば誠実に返してくれる人だから。心配しないでくれよ!」
「仏頂面……」
──むしろ表情豊かな印象の方が強いのだけれど。
私のいない十二年でなにかあったのだろうか。あるいは、それもバグの影響か。
《ネグロ騎士団長の表情の薄さはゲーム本編でも度々挙げられているのでバグではないと思います。といいますか、十二年前もおよそ表情が無か忠誠か怒りの三種でした。加えていえば変化を気取ることのできるヴァイス元皇太子殿下の方が稀有かと》
うーん、そうかぁ。
イェシルには伝わらないように心の中での呼びかけと他者には聞こえぬ無機質な音声のやり取りを交わす。自らの正体がバレてはいけない状態でこれが出来るのはありがたい。
「着いたぜ。ここが団長がいる駐屯所だ」
三階建ての建物へと入れば、皇宮にある上位騎士の詰め所と似た作りの部屋が広がる。
幾人かの騎士が談話や鍛錬をしていたようで、中へと入れば視線がこちらを向くのが伝わる。
「……あー、悪いな。よく考えたらその服のままいきなり団長のところになんて。せめて着替えくらい渡せれば良かったんだが」
「事情の説明の方が優先されるのは仕方がないさ。構わないよ。……そうだな、もし可能なら」
「ん?」
「羽織れるようなローブはあるだろうか?出来たらフード付きの」
なるべくこの顔は隠しておくほうがいいだろう。さすがに印象も何も変わっているから気がつかれないとは思うが。
法術隊のローブの予備を貸してもらい、向かったのは三階の一番奥の部屋。
「ネグロ騎士団長。皇都警護隊六十八番、イェシルが参りました」
ノックと共に彼が名を告げれば「入れ」と短い返事が聞こえてくる。……私が眠った頃は声変わりが終わってさほど間を置かないころだった。あの頃よりも落ち着いた、けれども懐かしい声音にフードの下で目を細めた。
「失礼します。すでに先駆けにて報告聞き及んでいると思われますが、鏡晶の森に迷い込んでいた男の処遇について陳情したく馳せ参じました」
扉が開いた先にいたのは、あの時の青年らしさを残したしなやかな姿から、より逞しく精悍な姿となったネグロの姿。赤い髪は燃えるように輝き、黒い瞳は細められている。
そういえば、この眠りを経て彼の方がはるかに年上になってしまったのだと今更ながら理解した。
「……という次第です。たしかにあの森は聖地ではありますし、近年野盗や密猟者が入り込んでいることは事実ですが、森に入った理由も覚えていない一般人まで禁錮を課すのはいささか酷かと思い陳情させていただきました」
「──事情は理解した。刑としての禁錮はなくとも構わない、が条件がある」
「条件? なんでしょうか、団長」
「元々あの地は聖地として数えるほどに属性エーテルが偏っている。慣れていない人間に悪影響を及ぼさないか経過観察の意も、刑には含まれている。刑をせずとも経過の判断は必要だろう。今晩だけでもここに泊まらせるように」
途端、イェシルの表情が明るくなる。主人に命令を受けた犬を思わせる愛嬌のまま胸元に手を当てる。
「分かりました! んじゃ悪いけど、今日はここで一泊してくれよ。ヴァイス」
「…………ヴァイス?」
「あ、こいつ記憶喪失って言ったじゃないですか。だから仮の名前です。……騎士団長の憧れの人の名前を勝手につけたのはすんません。でもぱっと思い浮かんだのかそれで……」
緊張が解けたのだろう。先ほどよりも砕けた物言いで事情を説明するイェシルの隣で、私は緊張で身を固くした。フードをかぶっているとはいえ、顔の全てを隠すことはできない。
彼は、こちらを見ている。
「確かに…‥、最近はよくある名前だ。不敬ではあるがそれだけあの方の名声が世界に轟いていると思えば当然でもある、が……」
ふらり。
体幹がしっかりとしている彼らしからぬおぼつかない足取りでこちらへと歩み寄ってきて、そのまま止める間もなく伸ばされた腕が、私の頬をなぞった。
ネグロの呆然とした黒い瞳が、痛いほどに突き刺さる。
「………………ヴァイス、様?」
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