元皇太子は正体を隠したい〜皇家教育と青い鳥の裏情報を使いつつ、バグの原因を解決せよ〜

仏座ななくさ

第1話 そう、またなのである

 小鳥の鳴き声と木漏れ日から差し込む光に目を開く。


「……ここは…………」


 まばたき。外の涼しい風とあたたかな陽射しは二度寝すらしたくなるほどのどかな陽気だ。……外の?

 寝転がった状態で周囲を見やれば、青い空が眼前に広がるのに気がついて慌てて起きあがる。


 横たえられていたのは薄絹の布が敷き詰められている硬い棺。首を真横に動かせば空とは異なる青色、湖が広がっている光景に息を飲んだ。

 天蓋どころか壁も天井もない空間で眠る異常さ。困惑を引き戻してくれたのは蹴り出された枝がしなり、翼がはためく音だった。

 どうしてここに寝ていたのかを思い出す。



「……目が覚めた。と……いうことは、今はあれから何年後なんだ?」



 ──私、ヴァイス=フォルトゥナ・イラ=グレイシウスはグレイシウス皇国の第一皇子であり、皇太子としていずれは国を導く立場にあった。


 だがこの世界は空想遊戯……乙女ゲーム『戦華の聖女〜忘れ名草と誓いの法術〜』の物語の上に成り立っているのだと、火に飲まれて死ぬ夢を見た朝に私は知ることになった。

 女神ではない何者かに作られたこの世界を維持するためには私は死なねばならないということを。



「ブランや……ネグロは、ここにはいないようだが」


 人影はどこにもない。眠る前に傍にいてくれた弟も、部下の騎士も。


 本当は私は、あの時死を覚悟していた。死にたくなんてなかったが、仕方がないと諦めていた。

 けれども彼らが、家族たちが生きることを望んでくれたから私は今ここにいる。……私一人で。


 ゆるく首を横にふる。


「だめだ……状況が何も掴めない。せめてバラッドがいてくれれば」


《お呼びですか?》


 木々の合間から声が聞こえる。無機質な言葉と愛らしい小鳥の声が交互に響き、青い鳥が顔をのぞかせた。


 この世界の裏の真実を知る青い鳥。

 またの名を副音声解説NPC、バラッドだ。

 かつて私が眠る前に死の運命を告げ、その救済のために力を貸してくれた親愛なる友鳥でもある。


 鳥は旋回し、私の肩へと着地する。

 人差し指の腹でその頭を撫でれば、もふんとやわらかな心地が伝わってきた。思わず頬をゆるめる。


「バラッド。……良かった、お前はここにいたんだね。今はあれからどれくらい経ったんだい? 空想遊戯……ゲームだったか。その物語がはじまるのは眠ってから十二年ほど先だと聞いていたけれど」


《はい。ヴァイス皇太子……元皇太子殿下が眠られてから丁度今年で十二年となります。ゲームとしては聖女が召喚されて間もないタイミングとなります》


「…‥そうか。良かった」


 無事に物語としてはじまっていると言葉を受けて、深く息を吐き出した。

 ならば無事、世界は成立したのだろう。

 聖女として召喚された主人公が、国と攻略対象を救う物語が。


「私が目覚めたのもその影響なのだろうか」


 眠った時と変わらぬ衣服。曲がりなりにも皇太子として身につけるに相応しい上等な生地は、十年の間雨風に晒されたせいか元の面影もなく擦り切れていた。ぼろきれと呼んで差し支えない服に加えて靴も穴が空きそうだが、代わりがあるわけでもない。


 棺を跨いで外に出れば、今は陽が昇って間もない時間帯。皇都ではそろそろ朝の市が開き出すくらいの時間だろうか。


 ここから離れた懐かしき故郷の一角に想いを馳せていれば、チチと鳥の囀りと合わせて声が聞こえる。


《いいえ。ヴァイス元皇太子ルートのアンロックの条件は現在満たされておらず、本来ならあなたが今目覚めることはあり得ないのです》


「…………なんだって?」





 女性向け乙女ゲーム『戦華の聖女〜忘れ名草と誓いの法術〜』はグレイシウス皇国が年始に国事として行われる召喚の儀にて聖女として異世界からヒロインが召喚されるところから物語がはじまる。


 三つの派閥に分かれ、その争いが激化しそうになっていたところに現れた繁栄の聖女。彼女はそれぞれの派閥で起きている問題の悩みに寄り添いながら、次第に攻略対象たちと惹かれあっていく……。



《依頼を受諾して攻略対象に助けを求め、国を善くしていく過程で愛を育むシステムです。

 今回リメイクで追加された……あなたが生きる為に皆さまが勝ち取ったヴァイス元皇太子ルート。こちらは知識ステータスを上げたうえで国の歴史を一定以上知る必要が条件ですが、まだそれを満たせるほどの時は立っていません。ゲームの進捗としては決して悪くありませんが》


「つまり……本来なら私はまだ眠っているはずだったのに、なんらかの理由で目覚めてしまったと? 問題はないのかい?」


 問いかけには無機質な声が端的に答える。

 青い鳥の愛らしさとは相まって無機質にすら見える姿だ。……眠る直前よりも一層、無機質さが上がっているようにすら見える。


 何せ、私の問いかけに返ってきたのは短い『あります』という首肯だったのだから。



「……なるほど。詳しく状況を聞いてもいいかい?」


《はい。今この世界は重大なバグが起きた状態にあります。あなたが目覚めたのも、バグの根幹ではありませんがその帰結となります》


「バグ?」


《この世界には類する表現がありませんか。物語における綻びのようなものです。あるべき物語の道筋が辿れておらず、あなたが目覚めたのもその連綿たる影響。

 放置していればそれは取り返しのつかないヒビになり、世界は崩壊してしまうでしょう》



「……………………またかぁ」



 肩をすくめてしまった。そう、なのである。


 私が死なないと世界が成り立たずに崩壊すると言われて、それを避けるためにあらゆる手段を用いて古代の法術と海を隔てた魔法の国から伝達された魔法を用いて。十余年の長きに渡って寝て起きたらこれだ。


 だがこの世界に愛しい家族と親愛なる民たちがいるのならば、それを救わぬ理由はない。口を開きかけたその時、少し離れた茂みが大きく音を立てて揺れた。



「君!なんでこんな森にいるんだ!?」



 聞こえてきたのは人の声だ。


 振り返れば、そこにいたのは明るい茶色の髪を持つ青年。身に纏う鎧に刻まれている紋章には見覚えがあった。


「…………皇国騎士団の。どうしてここに?」


 皇帝に忠誠を誓い皇国を守る騎士団の鎧だ。飾りの橙は彼がまだ騎士団の中では下位の立場にいることを示している。


「どうしてここに? はこっちのセリフさ。数年前に禁足令は解かれたとはいえ、ここは皇家の私有地だ。なんでこんな所に足を踏み入れたんだ?」


 切れ長の碧瞳は真っ直ぐにこちらを向いている。猟犬を思わせる鋭さに唾を飲み込むが、だからと言って事情を詳らかにしていいのだろうか?


《ヴァイス元皇太子殿下。彼はゲームの攻略対象キャラクターである、素直ワンコ騎士のイェシルです。皇国騎士団に入って一年程の新人で、尊敬する騎士団長に追いつくべく日々研鑽を重ねる青年です》


 青い鳥バラッド、解説用NPCの言葉を信じるならば、彼もまた攻略対象のようだ。

 眠る前には会うことのなかった、本来なら部下の立場になるはずの存在。


 ……それは良い。良いんだが。


(その、素直なんとか騎士というのは……いやいい、説明しないで)


《キャラクターの属性になります。攻略対象のキャラ被りは乙女ゲームを売り出す際に客層を狭めることにしかなりません。

 そのため余程多数のキャラクターが登場するものでなければキャラ被りは避けるのが鉄板です!》


(説明しなくていいと言ったんだが……)


 不要な知識が身についた気がする。

 それはそれとして、このままだとまずいのではないか?

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