14 深夜の面談


 フィランダーとキムに早い夕食を振舞い、ブロウズの街へ戻るため、エウフェミアたちは道を急いでいた。この日作ったのはごく普通の家庭料理だったが、キムはとても喜んでくれていた。フィランダーの反応はよく分からなかったが、「いつもあんな感じだから気にするな」とアーネストに言われた。


 今夜ブロウズでまた一晩泊まり、明日の朝帝都に戻る。


 寮をタビサに任せて丸一日以上。彼女なら大丈夫だと思うが、今の彼女の気持ちを思うとどうしても心配してしまう。明日、早く帝都に戻りたかった。


 夜。エウフェミアはベッドに横になっていたが、なかなか寝つけない。それは明日帝都に戻るからなのか、それとも日中の出来事からなのかは分からない。


(……自分で好きなほうを選ぶ)


 その発想は今までのエウフェミアにはなかった。思い返してみれば、いつも自分は流されて生きてきた。


 家族の死後、伯父の下に留まったのも。

 イシャーウッド伯爵に嫁いだのも。

 離縁されたのも。

 ハーシェル商会で働くようになったのも。


 全て、誰かに何かを言われたからだ。伯父が屋敷に残ってもいいと言ったから。伯父が縁談を持ってきたから。夫が離婚届を持ってきたから。会長が雇ってもいいと言ってくれたから。


 一見、エウフェミア自身が選んだように思えるものもあるが、実際のところはそれしか選択肢がない状況だった。幼いエウフェミアが屋敷を出て一人で自立するのは不可能だし、離縁後ガラノス邸に戻れない以上どこかで雇ってもらう必要はあった。すべて誰かに与えられた選択を選んでいるだけだった。


 ベッドの中でエウフェミアは眼を閉じる。しかし、一向に睡魔は訪れない。そのまま眠ることを諦めて、水を飲むことに決めた。ダイニングキッチンへ向かう。


 コップに一杯水を汲み、ダイニングテーブルのところに座る。ぼんやりとコップを眺めていると、「おい」と声がかけられた。


「こんな時間に何してるんだ」


 振り返ると入り口にアーネストが立っていた。


「少し眠れなくて。会長はどうなさったんですか?」

「物音がしたから見に来ただけだ」


 そう言うと、彼はエウフェミアの向かいの椅子に座る。戸惑いながらも、「何か飲むものを――」と立ち上がろうとすると、「いい」と制された。アーネストは煙草を取り出す。


「そういや、ろくに個人面談をやってなかったと思ってな」

「個人面談、ですか?」

「商会で働いてる奴らには月一で一人一人話す機会を設けてるんだよ。不在にすることが多いと、どうしても把握できないことが増えるからな。――で、最近どうだ?」


 そう言って、会長は世間話のように話題を振ってきた。戸惑いながらも答える。


「そうですね。以前もお話ししましたが、タビサさんはすっかり寮の仕事を覚えてくれて――」

「タビサじゃなくて、お前だよ。お前の話をしろ」

「私ですか?」

「当たり前だろ。お前の個人面談なんだからな。自分のことを話せ」


 そうは言われても何を話せばいいのだろうか。日々、必要な報告や相談は食事を運ぶ際にしている。仕事の中で困っていることなんてそう多くはないし、会長に伝えるようなことは今のところ思いつかない。


 少し考えて、思ったことを言葉にする。


「……何で、最初にお会いした時に『大馬鹿野郎』と言われたのかは分かったような気がします」

「ほう」


 アーネストはどこか感心したような声を出す。


「なんでだと思った?」

「…………私が自分自身の置かれている状況を何も分かっていなかったからです」


 今思い返せば、本当にあの頃の自分は世間知らずだった。


『少なくとも、俺は何も知らない幼気な子供をいいように使って、その癖まるで自分は善行を積んだような言い草をする野郎は最低だと思ってる』


 それは以前、親戚の子供を引き取った際の対応ことを訊ねたときに返された言葉だ。


「私は伯父様にいいように使われていたんですね」


 アーネストは鼻で嗤う。


「どんな命令にも従う使用人がいるってのは便利だと思わねえか? しかも、給与は要らねえ。タダ働きしてくれる奴隷だ。年頃になれば高値で売れる。金の卵を産む鶏だ」

「…………私は、伯父様達のこと家族だと思っていました」


 エウフェミアはポツリと呟く。笑われるかもしれない。それでも、それが本音だった。


「お父様も、お母様も、お兄様もいなくなって……精霊たちも見えなくなって、寂しかったです。だから、あの屋敷に置いてもらえて嬉しかったんです。どんなに任される仕事が大変でも、私の持ち物を欲しいと言われてあげることになっても、全然苦ではありませんでした。伯父様たちが喜んでくれるならそれで良かったんです」


 だから、エウフェミアは努力をした。しかし、その結果がこれだ。尽くした結果、売られた。アーネストの言い方は悪いが、言っていることは正しいのだ。


「覚えておくといい。世の中には自分の利益のためなら、他人をいくらでも犠牲にできるヤツがいる。そういう相手はお前をいくらでも搾り取ろうとする。何の見返りもなくな」


 それは伯父のことを指しているのだろう。――いや、それだけじゃないのだろう。エウフェミアより商人である彼の方がよっぽど世間を知っている。アーネストも今までの人生の中でそういった人間を見てきたのだろう。


 沈黙が流れる。アーネストは窓を見ながら煙草を吸うだけだ。エウフェミアもゆっくりと自分の中で先ほどの言葉を反芻する。


 煙草を一本吸い終えたアーネストは灰皿で火を消す。もう一本煙草を取り出すと、彼はまた話し出した。


「キーナンの街に話したとき、お前はガラノス邸に帰ろうとしていたな」

「はい」


 そのときはそうするしかないと思っていたから、そういう話をした。


「今も考えは変わらないか。もし、お前の伯父と連絡が取れるようになったら、ガラノス邸に戻りたいか?」


 それはこの半年ですっかり忘れ去っていた選択だった。


 確かにエウフェミアがハーシェル商会で働き始めたのは伯父との連絡手段がないためだ。実家の場所も分からず、行き場がないため、雇用契約書にサインをした。


 働き始めの頃は帝都にいればいずれ伯父に連絡する方法も、伯父に自分がここにいることを知らせる方法があるのではないかと考えもしたが、寮での暮らしに馴染んでいく中で伯父一家のことを思い出すこともどんどん減っていった。


 なぜ、今その質問をアーネストがしてきたのかが分からない。それでも、素直に答えた。


「いいえ。もう、あの屋敷に戻るつもりはありません」


 エウフェミアは静かにほほ笑む。


「あの屋敷には家族と過ごした大切な思い出があります。今も私にとって特別な場所です。……でも、もうあそこは私の居場所ではありません。いえ、あの屋敷が伯父様たちの物になったときから、あそこは私の居場所ではありませんでした」


 伯父がガラノス家を継いだ時点で、あそこは伯父一家の家となった。元々彼らの家族でなかったエウフェミアにとって、あの屋敷は他人の家になってしまっていたのだ。今更戻ったところで伯父が自分のことを受け入れてくれるか分からないし、受け入れてくれたとしてもお互い居心地が悪いだけだろう。


「このまま許されるかぎり、エフィとして会長の下で働きたいと思っています」


 今のエウフェミアの居場所は間違いなく、あの寮だ。


 ハーシェル商会の皆と一緒に過ごしたい。精霊貴族の令嬢だった過去も、伯爵夫人だった過去も捨てて、ここで新しい人生を歩んでいきたい。それが嘘偽りのない本心だ。


 そう思って、気持ちを伝えたつもりだったが、なぜかアーネストには嫌そうな顔をされた。


「この間も話したが、お前には別の仕事を任す予定だ。今のところ、解雇するつもりはねえよ」

「そうですか。それは安心しました」


 では、なぜ先ほど彼は嫌そうな顔をしたのだろうか。そんなことを疑問に思っていると、「エフィ」と改まった声で名を呼ばれた。

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