星の奇跡 ―4―

「って、いやいや、そうじゃなくて!」


「うん? どうかしたんですか?」



 ぴこぴこと、耳が動いている。再びモニカの理性が崩壊する直前で、咄嗟に頬をつねり、現実かどうか確かめる。モニカの頬は真っ赤に腫れ上がり、それを見た謎の狐は心配そうに顔を傾げた。



(うん、痛い。すごく痛い。なんなら、まださっきのお腹の痛みも、崖から落っこちた時の足の痛みも残ってる)



 じんわりと目から涙が溢れてくる。



「ほっぺ痛いくないですか……?」



 見かねた狐がスカートの裾を掴んで言った。まるで自分事のように目をうるわせている姿を見て、モニカは気丈に振舞った。



「ううん、大丈夫。それより……」



 モニカはしゃがみこんで狐の顔を覗き見る。やはり、今まで見てきた幽霊の類とは何かが違う気がした。先程まで毛玉のように見えていたのは、キツネの髪だったようで、こうして冷静になって見てみると、艶やかさの方が目立っているようにも見えた。モニカは全身をくまなく触り、顔、手足、耳、腹部ときて、最後に尾を確認した。



「あれ……?」


「うみゅ?」



 狐の尾は、1本しか無かった。頭の中に思い描いていたのは、9本の大きな尾だったのだが、何故かこの狐にはそれがない。モニカは小さな耳と体格に似合わない大きさの白い尾を撫で回しながら考え続ける。



(ってことは、この子は九尾の狐じゃないってこと?)


「しっぽがどうかしましたか?」


「いやっ……あのね、この尻尾って9本あるものじゃ……」



 モニカが何かに気づき、空を見上げた。そこには、いつもの何ら変わらない、月だけが浮かぶ藍色の夜空が浮かんでいる。モニカの手がプルプルと震えているのを見て、狐は腕にしがみついた。モニカと同じ何かを感じたのか、狐の顔からは不安の表情が伺える。



「大丈夫……」



 小声でそう呟いた。しばらくモニカたちが暗闇に身を隠していると、どこからか急に誰かの話し声が聞こえてきた。



(やっぱり……隠匿魔法で姿を隠して……なんでこんな所まで)


「落下物が落ちたのはこの付近のはずですが……」


「くまなく探せ。どこかにあるはずだ」


(……!! この子を探しに……?)



 5人ほど居る黒い装束に身を包む何者かは、それぞれ散らばり、辺りを散策し始めた。心臓の拍動が速まる。バクバクと鳴る鼓動が胸を破裂させそうになるほどだった。モニカは、まだ幼いように見える狐を守らなくては、という思いだけでなんとか冷静さを保っていた。

 足音が近づく。見つかるかもしれないという恐怖で様子を見ることもできなくなっていたモニカは狐を抱きかかえて、ただじっと身を隠しているだけだった。


 がさりと、草木をかき分ける音がすぐそこまで来ている。ふと目を開けると、モニカの足元を月明かりが照らした。意識的に、モニカは後ろを振り返る。まずいと思考がよぎったのは、行動が終わってからのことだった。



(やば……っ!)



 目が、合ってしまった。

 三日月に照らされた黒い装束を身に纏う鋭い目付きをした女性。首に巻いたスカーフには見覚えのある紋章が描かれていた。目に焼き付くほど見たことのあるもののはずなのに、その瞬間に思い出すことは出来なかった。突き刺すような瞳から、目を離すことができない。



「ね〜! こっちには落下物なんてないよ〜。やっぱりなんかの勘違いだったんじゃない?」



 女性の後ろから大きな声がした。すると、女性は小さくため息をついてモニカから目を離した。



「そうだな。私の見間違いだったかもしれない。早く帰ろう。今日は冷え込みそうだ。撤収するぞ」


「もう10月だもんね〜。そろそろ衣替えでもしようかな」



 しばらくして声が遠くなると、空に黒い影が走った。周囲を確認し、誰もいないことが分かると、どっと肩の力が抜けていった。息を止めていた反動だろうか、途端に呼吸が早くなった。

 狐は心配そうに背中をさすり、絶えず声をかけていた。どこかから、モニカの名前を呼ぶ声がしたが、その声に応えることはできなかった。動悸が収まることはなく、モニカの意識はそのまま途絶えた。



 *



 ノーチェス郊外の上空



「何てしかめっ面してんのさ。探し物が見つからなかったのがそんなに不服かい?」



 女は今どきには中々見ないほうきに乗って空を駆ける。新しい好きな性格がよく分かる。



「お前は、この空に星を見た事があるか?」


「……ないけど、それが見られたから興奮してたってのかい?」


「そうじゃない」



 見間違いなはずがない。この目で見たもの以外は信じないタチだが、だけは疑わざるを得ない。あんなものが存在していいわけがない。あれは、この世の理から逸脱したものだ。



「例えば……この世界を揺るがすほどの存在が、お前の目の前にいたなら……どうする?」


「そういう場面にあったんだね。例えが下手だよ」


「早く答えろ」


「ん〜、そうだな」



 ほうきに乗ったまま、女は紅い蝶と戯れている。まるで全てを見透かしているかのような態度が、気に食わない。



「残念だけど、私はその問いに答えられない。そんな力は、個人の私利私欲で使っていいものではないし、私たちはそういう立場にはいない」



 紅い蝶が、スカーフに付いた紋章を奪って主人の元へ帰っていく。女は憎たらしい笑みを浮かべ、三日月と共に照らされている。



「だから私たちは使だ」


「……あぁ、お前はそういうやつだろうな」



 少しづつ、少しづつ。ノーチェスの空から星が消えていく。今日のことは無かったことにしようと、面倒くさがり屋な魔法使いは心に決めた。

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