第二話 7.謁見の間にて

 心臓が口から飛び出しそうだ。口から出なかったとしても、絶対に胸を突き破って出てくる!


 皇城内の中央門を感無量で潜り、豪華絢爛で広々とした皇城内をテッドに連れられ、最終的に辿り着いた謁見の間。緊張が高まるところまで高まったレオーナは、跪いて頭を深く下げた姿勢で少しばかりグロテスクな想像をした。ゾッとして多少正気に戻ったが、現実の方が夢かもしれないと頬を抓りたくなった。


 ずっと心の中に居続けた人物。いつからか仕えたいと強く願うようになった憧れの人。そして、自らが暮らす帝国の皇太子が旋毛の向こうに座っている。緊張しないで居られるかと問われれば答えは否一択。けれども、どんなに心臓が暴れまわり手汗が止まらずとも、果たさなくてはならないことはある。レオーナは自らを叱咤激励して、なんとか気力を保っていた。


「改めて説明すると、彼女はレオーナ・オーブリル。歳は十九だったかな。パロルドフ領出身。驚くべきことにアウル様の護衛になりたいと言って雨の日も雪の日も欠かさず中央門に通い続けた猛者。そして、昨晩大の男三人に絡まれて、一対三の勝負を持ちかけられて路地裏に行ったにも関わらず、相手全員を戦闘不能にした可能性のある人物。アウル様に関してはちょっと引くくらい詳しい。そんな感じのかなり風変りな女の子」


 おい、待て。その説明では自分は風変りどころではなく危険人物もしくは変人みたいじゃないか。


 慌てて数か所訂正を入れたい衝動に駆られるが、声を上げるどころか顔を上げることも許されない状況。レオーナは内心でテッドに恨み言を言いかけ、やめる。何故なら、当人から説明されずともレオーナは悟っていたからだ。テッドが平民にして皇太子に直々に専任近衛隊長に選ばれた男、テッド・フリックその人であると。


 テッドはデューアではありふれた名前だ。よって名前しか名乗られていなかったレオーナがその正体に気が付ける訳がない。テッドが軍人であろうことには気が付いていたが、その地位は精々小隊長くらいだろうと予測していた。年若い平民出の軍人ならば小隊長でもエリート枠だ。にもかかわらず、蓋を開けてみれば雲の上のそのまた上の上。デューア史上最も出世した平民と言っても過言ではない。そう自ら散々語りつくしていた人物が飲み友達の正体だったなんて誰が思おうか。なんなら、テッド本人にテッド・フリックのように召し抱えられたいと語っていたかもしれない。思い出すだけで赤面ものなのでレオーナは敢えて記憶を探ることを放棄した。


 テッドのことだけでも頭の中身が膨らみきって破裂しそうな状態なのに、現状はより過激だった。テッドが一応の敬語を使いつつも、かなり気楽な態度でレオーナのことを説明している相手が三人。彼らの入室と同時に跪いてしまったので、その姿はほとんど見えていない。しかし、自他共に認める皇太子マニアはその三人が誰だか予想がついてしまう。


 巷に出回る情報を掻き集めた結果、皇太子の側近は三人だとレオーナは認識していた。一人は専属近衛隊長のテッド。もう一人は皇太子主席補佐官であるダジル・セグアーク。さらに、もう一人はレオーナであっても名前を知ることが出来なかったかなり特殊な人物が側近として認められていると噂に聞いている。姿をほとんど見ずとも、その三人が今レオーナと同じ空間にいるのだと悟った。何故なら――


「さぁ、レオーナ。これから来る三人に認められたら夢が叶うよ」


 右も左もわからないレオーナを謁見の間まで案内してくれたテッドが三人の入室前に発した一言。そして、今レオーナの前に置かれた一脚の椅子に腰かけている人物の存在感。一瞬見ただけでもその人が皇太子アウル・デューアであると判断できた。そのアウルを守るように一歩手前で左右に立つ二人の人物。護衛かと思ったが、一瞬しか見ていなくとも軍人の装いではないことはわかった。となれば自然と予想は出来てしまうということだ。


「面を上げよ」


 つむじに向かって一声。レオーナは迷うことなく顔を上げた。見上げた先に昨晩の暗闇でははっきりと見えなかった端正な顔。濃紺の髪に紫紺の瞳は幼き日に見たままの色。まごうことなきアウル・デューア本人が目の前にいると視認する。


 途端、様々な思い出が蘇ってきた。これまでに出会った多くの人々の表情、辛い修行、理解されない思想。乗り越えたり、迂回したり、道を戻ったり。様々な経験が今この場に辿り着くための布石だったのだと、胸が熱くなった。ただ、感極まっている場合ではないのは明白。レオーナは気を引き締め直し、胸の高鳴りより室内に響く声に耳を傾けた。


「まずは、こちらの話を聞いてもらう。ダジル報告を」


 アウルに促されて、向かって右側に立つ人物が口を開く。貴族らしい装いに真っ直ぐに伸びた背筋、文官の割にがっしりとした身体つきは如何にもデューアの筆頭補佐官。アウルの呼びかけに応じたこの男は予想の通りダジル・セグアークだったようだ。


 ダジルはものすごく不服そうに眉を顰めつつレオーナを見下ろした。


「……昨晩、暴行容疑で憲兵によって拘束された三人の男を取り調べた結果、彼らが中央門に配置されていた守衛の一人に雇われていたことが判明した。脅迫と暴行によってレオーナ・オーブリルに皇城通いを諦めさせるように命じられとのことだった。この事態が発覚した後、件の守衛も他の男三人と同様に投獄された」


 予想外の報告にレオーナが目を丸くする。すると、さらに驚くべきことが語られる。捕らえられた三人のゴロツキ達の罪状はレオーナとジフに対する暴行。だがレオーナもジフにも擦り傷程度の怪我しかない。よって、数日間の拘留もしくは罰金が科されるとか。それにはすぐに納得出来た。


「暴行を教唆した守衛に関しては、他の三人と同じ拘留もしくは罰金が科されると同時に軍籍の剥奪が決定された」


「……軍籍の剥奪ですか?」


 思わず許可もなく声を出してしまい、はっとして口を閉じる。基本的に貴族社会では公式な場で目上の者の許しなく下位の者が発言するのはご法度だと聞いていた。それでも、レオーナが声を出してしまうのも仕方がない状況ではあった。何故なら、あり得ない程の重い罰が下されていたからだ。


 守衛を務めるのは軍人だ。崇高な職とされる軍人は貴族であっても平民であっても同じ身分の者と比べて上位の存在とされている。よって、軍人から他職の平民に対する問題行動はもみ消されるか罪としても扱われない事が多い。強者であり崇高な魂を持つ軍人の行いは劣悪な魂を宿す平民を正すための試練だとかなんとか言って、ありとあらゆることが見て見ぬふりをされる。魂が劣化すると弱者に落ちると考えられているため、正しい行いをしようと心掛ける軍人も勿論存在する。しかし平民を見下し、低次元の者として扱う者が大半。だからレオーナは今回守衛が一枚嚙んでいたと聞いたとほぼ同時に、罰せられたとしても精々数か月の減給がよいところだと考えていた。にもかかわらず、他職の平民同様の罰を与えられるだけではなく軍籍まで剥奪とは、過去に聞いたことのない裁量だった。軍は自身で脱退するのなら出戻りも可能だが、そうでなければ再度軍籍に入ることは許されない。帝国内で最も崇高とされている職を失い、二度と戻れない。恐らくこんなことになるとは本人ですら微塵も考えていなかっただろう。


 大きな驚きが表情に出ていたのだろう。レオーナを感情の読めない視線が真っ直ぐに射貫く。


「罰が重すぎる、と思うか?」


 低くゆっくりとアウルに問われてすぐに返事が出来なかった。デューアの常識的には重い。重過ぎるくらいだ。けれども、その考えを口にはしなかった。無言のレオーナに対してダジルが答えないかと詰め寄った。それにアウルは構わないと手で合図して、自らが口を開く。


「私益の為に他者を利用し、自らの手を汚さずに標的を脅しや暴力で排除しようという行いは、頭の中身が腐った人間がすることだ。腐った人間が軍にいれば民は命を預けられぬ。そして仲間は背中を預けられない。人として信用できぬ者は災いを引き起こす。よって軍には必要ない。そうは思わないか?」


 今度の問いには返事が必要なようで、黙して真っ直ぐ見据えられる。テッドもダジルももう一人からも注目されていることが嫌でもわかった。


 どう答えるべきか。


 最適解を探し出して答える、それが通常の正解だろう。レオーナがこの場で試されているのは明白であり、気に入られなければ後が無い状況。慎重になって当然の場面。しかし、レオーナは考えはじめるとほぼ同時に声を張った。


「皇太子殿下のお考えに賛同致します。私を排除したいと思ったのなら、直接説得すればよいだけの話です。軍は帝国の中枢といっても過言じゃない組織。然るべき人が然るべき地位に就き、その責務を果たすべき場所です。心根が腐っているのなら除籍されて当然かと」


 視界の隅でダジルが目を見開き、テッドが手を口元に持っていくのが見て取れた。アウルは表情一つ変えない。


「罰せられる守衛は貴族だ。それでも同じことが言えるか?」


 強者主義・強者信仰において貴族は軍人同様に平民より崇高な魂を持って生まれたとされる。悪しきを働いた者がいれば当然罰せられるが、それは必ず更に上の立場の者による采配によって下される。下位の者、つまり弱者は強者からの理不尽を天罰として受け入れるしかない。そんな考え方がデューアの根底にはある。当然弱者にあたる平民はそんな理不尽に遭いたくないし、受け入れたくないのが本音という者が大半だ。よって貴族と距離を取り、触らぬ神に祟りなしと平穏を享受する。けれども、レオーナはそんな平穏などまやかしだと知っている。


「被害者の立場からはっきり申し上げます。私は自分の信念にしたがって中央門に通い続けていただけ。多少の面倒を掛けた自覚はありますが、業務を妨害したことなどございません。排除される謂れなど微塵もありません。よって暴行や脅しを仕方なしと受け入れるつもりは毛頭なく、その地位に関係なく適切な罰を受けるべきだと考えます。まして、今回の罰則は皇太子殿下もしくはその配下によって決定されたものと推察致します。その采配を私は全幅の信頼をもって支持致します」


 異例な処罰と発言内容からアウルが一枚噛んでいると予想し、感情の読めない紫紺の瞳を真っ直ぐ見返してはっきりと自らの意見を述べる。


「今の発言は強者主義や強者信仰を否定したも同然に聞こえたが」


 デューアは強者主義によって国土を広げてきた大帝国。当然国のトップである皇族がその思想を支持していないわけかない、と考えるのが一般的だ。たがしかし、レオーナは迷わなかった。


「私は反強者主義者です。否定したも同然ではなく、否定したのです」


 部屋にこれまでにない沈黙が落ちる。その沈黙の意味することがわからず、自身も黙っているしかない状況。発言する相手がもし強者主義者だった場合、不敬とされ鞭打ちくらいの罰は受ける可能性だってある。自信を持って口にした言葉であっても、あまりにも長いこと黙られると不安になるもの。レオーナが何かしくじってしまっただろうかと、脳内で反省会を開く直前。人の身動きの気配すらなかった部屋の空気が一気に弾けた。


「なるほど。テッドがこそこそ城を抜け出して会いに行く相手だけある。価値観のすり合わせに無駄な時間を費やす必要がない人間は貴重だ」


 僅かに上がったアウルの口角に全身の強張りが緩む。アウルに関する情報ならばその内容の真偽・善悪に関わらず余すことなく収集してきたレオーナは当然その思想がデューアで主流のそれと逆行していることなど当の昔に把握済みだ。しかし、全ての情報は伝聞。収集を始めて以降、本人の口から語られた真実など一欠片もなく、最悪全てがデマだという可能性もゼロではなかった。


「強者主義など下らない。お前のように自ら目を覚ませばこちらも少しは手間は省けるというのに。特に貴族の腐敗は酷いから困る。それを統べる皇帝陛下もしかりだ。お陰でこちらは毎日休む間もない」


ほっと安心したレオーナはデューア国民であれば百人いれば九十九人以上の顔を青ざめさせるであろう台詞を聞いても晴れやかな気持ちを保っていられた。


 貴族どころか最高権力者にして自身の父親である皇帝をも困り者扱いしたアウルに視界の隅でダジルが頭を抱えた。次期皇帝たる皇太子のこの発言を聞けば国民のほとんどは目を剥いてひっくり返るに違いない。ただ、自他ともに非常識を認める女はこの場面でひっくり返るどころか胸を張って前のめりになった。


「ならば、私に皇太子殿下のお手伝いをさせていただきたく存じます。護衛として私を使って下さい!」


 十年前から胸にあり続ける想い。それは強い願いであり壮大な夢。もう、諦めるという選択肢など当の昔に選べなくなっていた。故に進むしかないレオーナは積年の想いを込めて嘆願した。

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