第一巻 首なし騎士団

はじまりのうた

うたわれない勇者たちがいた。

彼らは影の存在に徹し、仕事を成し遂げ、誰に知られることもなく消えていった。


これから詠唱うたうのは――、

彼らへの頌歌バラッドであり、叙事詩サガであり、鎮魂歌レクイエムである。


* * *


世界から魔法が枯渇し、

天変地異が起こり、世が乱れた時代があった。

この、帝国に神聖なる皇帝が不在だった百年近いあいだを大空位時代インテレグヌムという。


もはや、ドラゴンが空を舞うこともなく、森の妖精たちは姿を消し、男たちを惑わしたセイレーンの、あの美しい歌声は聞こえない。


世界は干からび、もしくは、嵐に襲われた。


帝国では皇帝と偽皇帝が両立し、その権威は地に堕ち、互いに争う公爵家たちは、神聖なる皇帝を引きずり下ろし、とうとう滅ぼすに至った――。


この長かった大空位時代、

人々は衰えて久しい魔法のよみがえりを願った。

そして、新しい皇帝が現われ、帝国に平和と繁栄をもたらすことを祈ったのだった。


そのあいだ舞台には、

大勢の役者たちが現われては、消えていった。


古い血筋の公爵、成りあがってきた悪漢、愛に殉じる女騎士、秘術に通じる魔術師、神々の言葉を告げる巫女、その他大勢の名もなき者たち――。


そんな日の当たる舞台の袖幕に隠れ、

終わりの見えない脚本を書き続けている男がいた。

男の脚本にしたがって、大空位時代の役者たちは動いていたと噂される。


その男の名は――、

イオアニス・クダウリウス・セウ。

むしろ、〈土蜘蛛のイオアン〉という悪名の方が知られているかもしれない。


彼の名前が歴史書にのることはなく、

酒場の吟遊詩人トルバドールがリュートの調べにのせることもないであろう。

影のような存在であるのだから。


だが、世界に魔法が蘇るのに、彼が大きな役割を果たしたことは間違いない。

だから作者たる私が、彼の頌歌バラッドを詠おうと思う。


数々の彼の冒険、陰謀、悲恋、愚行のすべてを。


しかし、彼の叙事詩サガには、無数の者たちの物語が流れこみ、蛇行し、枝分かれし、最後には大河となって海に注ぎこむ。まずはその源流――しずくがぽたりぽたりと垂れ落ちる時空ときから語らなければならぬ。


では、それはいったい何時いつなのか?

イオアンが伯爵家の嫡男として生を受けた瞬間か?

それとも、宮廷から追放され、帝国巡察使ミッシ・ドミニとして各地を遍歴した期間であろうか?


僭越ながら作者としては――、

イオアンがエルと出会ったあの夏の日を、この物語の始まりとしたい。

なぜなら、首なし騎士団トリステロの見習いであったエルが、セウ家の秘宝〈綺麗な首飾り〉を欲しいと願った瞬間から、過酷な運命の歯車が動き出したからだ。


そして同時に――、

彼をいたむことは、作者にとっての罪滅ぼしでもある。

この物語が、彼への鎮魂歌レクイエムとならんことを――。


* * *


さあ、前置きはもう十分だ。

ふたりの出会いから物語を始めよう。


舞台は、タタリオン公爵家の首邑しゅゆうであるイグマス。

新市街にあるヤヌス神殿の市場にて、まだ未熟で臆病だった若いイオアンが、ひとりの清らかな少女と会うところから始まる。

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