嘘つきたちの春一番

鳥尾巻

風が吹けば桶屋が儲かる

 春一番が吹いた日に、誰かが私にキスをした。

 

 4限目の体育の後、係の私は道具を片付け、1人で水飲み場にいた。もう昼休みだから、校庭は無人で、校舎の中から生徒の声が聞こえてくるだけ。

 私は「今日のお弁当好きなオカズだといいな」なんて考えながら、手についた砂埃を洗い流していた。


 ちょうどその時、強い風に煽られて舞い上がった砂が目に入った。同時に後ろから誰かが私の肩を叩く。何か言ってるけど、風の音でよく聞こえなくて振り向いたら。

 砂が入ったせいで涙にぼやけた視界いっぱいに広がる太陽の光、透ける金の髪、そして、陰になった肌色。柔らかいものがふにゅりと唇にぶつかって、私は驚いて目を見開いた。そしたらその人は、くぐもった低い声で何かもごもご言って、走って行ってしまった。それが誰かの唇だと気付いたのは、少し経ってから。


 え、ちょ、誰!?私のファーストキス返して!!



美湖みこちゃーん!」


 私は、先に戻っていた友達の野々原ののはら美湖みこちゃんに抱きついた。私を待たずに窓際で焼きそばパンを頬張っていた美湖ちゃんは、綺麗なショートボブの頭を傾けて、嫌そうに私を見た。


「どしたの、咲那さな。またなんかやらかした?」

「やらかしてないもん!やらかされたの!」

「声でかいって」

「ごめん」


 美湖ちゃんは背が高くて、シュッとした美人だ。シュッてよくわかんないけど、多分切れ長の目とか薄い唇とかが「シュッ」だと思う。

 美湖ちゃんとは高校に入ってから知り合った。今年も同じクラスで、大体いつも一緒にいる。私の苗字が根本ねもとだから、GW明けに席替えがあるまで、出席番号順で席が前後なのもたすかる。でも頼りっぱなしだと呆れられちゃうかな。


 とりあえず落ち着こうと思い、鞄からお母さんが作ったお弁当を取り出した。

 何かやらかしたってすぐ言うの酷くない?そりゃ、私は美湖ちゃんみたいに落ち着いてないけど。背だってこの1年で1cmしか伸びてないし、せめて大人っぽく見せようと髪を伸ばしたのに、いまだに中学生と間違えられる童顔だ。

 すらっとしてても出るとこ出てる美湖ちゃんが羨ましい。「咲那はその小動物みがいいの」って美湖ちゃんは言うけど。それ褒め言葉?なんか比べたら落ち込んできた。

 しょんぼりしてお弁当の蓋を開け、ちまちま食べ始めると、美湖ちゃんが揶揄からかうように私の顔を覗き込んだ。


「で?何があった?」

「そうだった!」


 私は周りを気にしながら、小声でさっきの出来事を話した。


「ええ!?キ……!」

「しーっ!!」


 いつも物静かでクールな美湖ちゃんが珍しく大声を上げたから注目浴びてる。私は慌てて彼女の口を手で塞いだ。私達は額を寄せ合ってひそひそ声で話を続ける。


「誰?」

「わかんない。目に砂入って見えなかった」

「少しくらい分かるでしょ?シルエットとか、背の高さ、あとは声とかね」

「うーん……声は低かったと思う。太ってはいなかったかなぁ」

「背は?」

「多分、高いかも?」

 

 要領を得ない私の答えに、美湖ちゃんは頭を抱える。それから考える人のポーズで、顎に手を当てた。


「髪色は?」

「……金?」

「え、留学生とか?ハーフ?」

「全然接点ない」


 そういえば、詳しくは忘れたけど、ヨーロッパのどこかの国からやってきた杏璃あんり・ルシャトリエ君がいた。お母さんは日本人。金茶の髪でスタイルも良くて人当たりもいいという女子の噂。まるで絵本から抜け出た王子様みたい。でも遠くから見て知ってるってだけ。同じ学年だけど、話した事もない。


「逆光だから透けてたのかもね。茶髪かな」

「そんなのいっぱいいるよぉ」

「だよね……じゃ、咲那の知ってる男子は?」

「うーん。よく話すのは、同じ中学だった石川 浩太こうたと、同じ図書委員の仙波せんば 彰弘あきひろ君かな?でも2人とも茶髪じゃないよ?」

「たしかに」


 私も美湖ちゃんも再び頭を抱えてしまった。と、その時、教室の後ろのドアの方で、女子の悲鳴が上がった。なにごと?


「根本さん、いる?」

「へっ?」


 思わず変な声が出てしまった。教室のドアの所に、今話してた杏璃君が立ってる!オマケに突き刺すような視線が一斉にこっちを向く。こわい!

 笑顔でチョイチョイって手招きされて、恐る恐る近づいた。足長い。背高い。ドアの上に頭ぶつけそうだけど大丈夫かな。

 妙な心配をしていたら、杏璃君が体を屈めて、私に顔を近づけた。ほえぇ、近くで見るとド迫力の美形だあ。睫毛なっが!毛穴どこ!


「これ、校庭に落ちてた」

「あ」


 杏璃君が差し出していたのは、私のタオル。さっき慌てて走ったから、落としたの気付かなかった。


「ありがとう。どうして私のだってわかったの?」

「クラスとフルネーム書いてあったから」

「ぎゃあ!」


 そうだった!やめてって言ってるのに、お母さんが小学生の頃みたいにデカデカと名札付けてたんだ。恥ずかしさのあまり叫ぶと、杏璃君はおかしそうに笑った。わあ、白い歯がキラキラしてる。歯磨き粉のCM出てそう。


「なんで『ぎゃあ』なの」

「だって、こんなの子供っぽくて恥ずかしい」

「お陰で戻って来たし、いいんじゃない?」

「……そうか」

「うん。じゃあね」


 杏璃君は、ひらひらと手を振って廊下を歩き始めた。初めて話したけど、気さくで話しやすい……あ、そうだ。私はふと思いついて、杏璃君の背中に声をかけた。


「あの、タオル拾った時、校庭で声かけてくれた?」

「校庭?いや、落ちてたの拾っただけだよ」

「そっか。他に誰かいた?」

「いや、サッカー部の昼練の後だし、あとは野球部がいたくらいかな」


 杏璃君は不思議そうに私を見る。緑がかったはしばみ色って言うの?目もキラキラ。そりゃ、王子様って言われるよね。

 さっきこの人と唇がぶつかった?まさかね。平然としてる。でも半分外国の人だから、習慣も違うのかもだし。女子慣れしてそうだから、口がぶつかったくらいなんとも思ってないのかもしれない。だけど誤魔化すにしたって顔色が普通すぎる。

 頭の中がぐるぐるして、思わずじっと唇を見つめてしまう。すると彼は大袈裟に眉を上げ、悪戯っぽく笑った。


「誰かに声かけられた?」

「へ?いいいや別に?誰にも!」


 杏璃君は何か知ってるんだろうか。怪しい。いや、怪しいのは挙動不審な私のほう!しかも話してると、周りの女子から何か不穏な気配を感じる。これ以上モテ男を引き留めてはダメ。


「根本さんて面白いね」

「ぎゃあ!」


 こわい!少女漫画でよく見るみたいに「おもしれー女」認定されたら、今度こそファンに殺される!私は埃っぽいタオルを握り締め、グイグイと杏璃君の背中を押した。


「だから、なんで『ぎゃあ』なの」

「もう、いいから行って。タオルありがとね!」

「自分で引き留めたくせに……おも」

「ごめんね!その台詞ダメェェ!」


 私は半泣きで教室の中に駆け戻り、再び美湖ちゃんに突進した。お弁当半分しか食べてないのに、もう昼休み終わっちゃう!

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