覚醒者になったので、都会を離れて田舎でほのぼの商売を始めてみた

イコ

序章

序章

 都会の喧騒を離れて、ちょうど一年が経った。

 ビル群に囲まれた窓の外の景色が、今はトウモロコシ畑が広がっている。


 あの時に起きたゲート発生事件に巻き込まれたのがきっかけで、ブラック企業に勤めて過酷な日々を送っていた頃から抜け出すことを決意した。

 

 辞めることを決めた後、何をしようか悩んでいる時、田舎への移住計画の広告が目についた。


 その時に見たとびきりの宣伝文句が心に刺さった。


『家、土地、畑、庭、倉庫、ダンジョン付きであなたの移住をお待ちしています!』


 家も、土地も、ダンジョンも付いているなんて、どんな宣伝文句なんだよ! と思わずツッコんでしまった。


 精神的に参っていた俺としては、そのとんでもない広告がとても魅力的に見えて、騙されても良いからこの広告が描かれた場所に行きたいと思った。


 《境界村》へ。



 今の時期は朝日が昇る前に収穫が盛んなトウモロコシ畑に向かう。


「ふぅ、朝3時に目が覚めるのも慣れたな」


 のんびりとした生活になるはずが、畑での仕事に追われる日々。

 そしてダンジョンという非日常が、スパイスを添えてくれている。


「前よりも忙しいんじゃないか? これ」


 遠くで鳥のさえずりが聞こえ、日の光がゆっくりと昇っていく。


 深呼吸をすると、清々しい空気が胸いっぱいに広がり、自然の香りが鼻をくすぐる。都会では決して感じることのなかったこの香りが、心を穏やかにしてくれる。


 目の前には一面のトウモロコシ畑が広がっていて、広さは1000坪もあり、全てが俺のものだ。


 毎朝、畑の手入れをするのが俺の日課になり、土の感触を確かめながら一歩一歩丁寧に歩いていく。


 畑の真ん中に立ち、青々としたトウモロコシの葉が風に揺れる音を聞いて、手に持った収穫用のナイフで一つ一つの実を丁寧に切り取っていく。


「おはようございます。ユウさん」


 畑仕事に集中していると、背後から優しい声がかけられて、振り返るとそこにはハナさんが浮かんでいる。

 

 透けた体で宙に浮く彼女は我が家に憑いている守護霊だ。

 真っ白な肌と髪、そして着物の上に割烹着をまとった、とても美しい女性だ。

 

 あれだけの宣伝広告だから裏があると思ったが、こんなにも綺麗な守護霊と一緒に暮らせるなんて、逆にこちらの方がお願いしてしまったぐらいだ。


 もし彼女が生身の女性なら、間違いなく結婚を申し込んでいただろう。


 ハナさんは穏やかな笑みを浮かべ、彼女が俺に向ける白い瞳は優しさに満ちている。


「おはようございます! ハナさん」

「ユウさん、今日は畑の水やりと雑草取りをしてはいかがでしょうか? 天気も良いそうです。トウモロコシさんたちも喜びますよ。特に、あの辺りの雑草が多くなっているので気になります」

 

 収穫を終えたトウモロコシ畑で、ハナさんが提案してくれた作業をやっていく。

 水やりや雑草取りなど、俺の目が行き届かないところも、ハナさんがチェックしてくれるので二人三脚で、畑を管理している。


 畑の端には、ペットである妖怪の鬼火蝙蝠のヒバチが飛び回って害虫駆除をしてくれていた。


 小さな火の玉の妖怪であるヒバチは畑を守りながら輝きを放つ。

 仕事を一段落したヒバチが、俺の肩に降りてくる。


「キュピ!」


 嬉しそうに頬を擦り寄せる、可愛いやつだ。


 一年前の事件をきっかけに、俺の周りの環境は大きく変わった。


 守護霊のハナさん。

 妖精のヒバチ。


 人ではない彼らだが、俺のかけがえのない家族になった。


 ♢


 昼下がり、日本庭園の中庭で一休みする時間は特に贅沢なひとときだ。


 500坪の敷地には立派な屋敷、古びた倉、広々とした作業場、そして駐車場がある。その中心に、この美しい庭が広がっている。


 庭には澄んだ水が流れる池と、その上に架かる石橋、色とりどりの花々が咲き誇って、木々の間から差し込む陽光が、庭全体を柔らかな光で包み込んでいる。


 幻想的な雰囲気が漂うこの全てをハナさんが一人で管理してくれている。


「この庭、本当に心が和みますね。都会では味わえなかった贅沢です」

「ふふ、喜んでもらえて嬉しいです。私の趣味全開ですけどね」


 庭を褒めると嬉しそうに笑ってくれるハナさんを見ているだけで、こっちまで嬉しくなってしまう。


「そろそろお昼にしましょう。今日は、もう一つの仕事はお休みですよね?」


 いつもは早朝に畑仕事をして、そのままダンジョンに向かう。

 そして、午後から本職であるダンジョンで仕入れた物を売る商売は休みにした。


「はい、そうです。今日は夜にイベントがありますからね」

「そうですね。体が資本ですから、無理をしないでくださいね」


 石灯籠の前に佇むハナさんに目をやる。

 灯籠の柔らかな光が彼女の白い肌をほんのりと照らし、まるで幻想的な風景の一部のようだ。


 この静寂を楽しんでいるハナさんの姿に、思わず見惚れてしまう。

 彼女の存在が、この庭をさらに美しく感じさせる。


 ♢


 昼過ぎには作業場へ向かい、収穫したトウモロコシを丁寧に処理する。

 太陽が沈む頃には、すっかり汗だくになってしまった。

 葉を一枚一枚剥がし、実を慎重に取り分けていく作業も随分と慣れた。

 シンプルな作業だが、心地よい充実感がある。


 その夜は特別な日になった。


 この村にやってきて出来た友人たちを招き、賑やかな宴会を開いた。

 庭の大きなテーブルには、新鮮なトウモロコシや地元の特産品がずらりと並び。


 中庭の灯籠に火を灯すと、幻想的な輝きを放つ。夜空に広がる星々と合わさって、一層美しく感じられた。田舎は空が高い。星々が綺麗に見えて、月が俺たちを照らしてくれる。


「皆さん、本日はよく来てくれました。私こと堂本幽が境界村移住生活を始めて一年が過ぎます。それを祝してささやかですが、パーティーを開きました。皆様、本当に一年間ありがとうございました。そして、今後もどうぞよろしくお願いします」


 集まってくれた人たちが拍手をしてくれる。


「トウモロコシとお肉をメインに、たくさん料理を用意しているので、遠慮なく食べて飲んでください!」


 友人たちが次々と集まり、笑顔と笑い声が庭に溢れる。

 バーベキューグリルで焼き上げたトウモロコシは、甘くて香ばしい香りが漂う。

 ヒバチを撫でながら、友人たちが笑っている光景を眺め、本当に楽しくて今が幸福であることを実感させられる。


「先輩、このトウモロコシ、本当に美味しいですね!」

「ユウさん、お肉も最高です!」


 田舎にやってきたことで親密になった知り合いや、友人たちが声をかけてくれる。

 みんながバーベキューで焼いた肉やトウモロコシを楽しみながら酒を飲む。


 美味しそうに食べてくれる光景に満足して、ハナさんがそれを手伝ってくれる。


 みんなと一緒にこの楽しい時間を共有しているのが幸せだ。



 賑やかな時間が終われば、畑仕事を行うために眠る準備に入る。


 ただ片付けを終えた中庭で、星空を見上げて一年前のことを思い出す時間は日課のようなものだ。


「俺にこんなのんびりとした時間が訪れるとは考えてもいなかったな」


 友人たちと過ごすこの時間は、何よりの宝だ。


 都会の喧騒から離れ、自然と共に生きるこの生活こそ、俺が求めていたものであり、ここでの新しい生活に感謝している。


「眠れないのですか?」

「ハナさん」

「キュピ!」

「ヒバチも起きていたのか? どうしても思い出してしまうんです」

「ユウさんが、ゲートに巻き込まれた事件のことですか?」

「はい! 全てはそこから始まったので、どうしても考えてしまうんです。自分がゲートに巻き込まれて、覚醒者として力を手に入れたあの時のことを」


 そうだ。俺は覚醒者として普通ではあり得ない力を手に自分がゲートに巻き込まれて、覚醒者として力を手に入れたことで生活は一変した。


「はい、あの時のことを思い出すと、今がどれだけ幸せなのかを感じます」


 思い出が蘇る。


 そうだ。俺は覚醒者として普通ではあり得ない力を手に入れた。

 今はそれに感謝しているが、この幸せを手に入れるために色々あった。


『新たな覚醒者を確認しました。あなたは幽精霊師に覚醒しました』


 不意に、《世界の理》さんの声が聞こえてきたような気がした。



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