楽園は唯一人のために

@Altfuture

その目覚めは突然に

 今日は善い日だ。ぽかぽかとした柔らかな陽射しと、火照った体を、吹き抜ける爽やかな風。ただ歩くだけの時間だったが、とても心地良い気分だった。信号待ちの最中、ふと、空を見上げる。わたしを覆う天蓋はとても澄みきった青色をしていて、雲がまばらに散った様子には、日常的な美しさがあった。その眩しさに目を細め、次に目を開けたら――――そこは異世界だった。


 そこはどこかの部屋のようだった。壁と床は深い蒼色に染まっていて、よく磨かれているのか、真昼の星のように辺り一面きらきらとした輝きを放っている。わたしは椅子に座っているようで、座面は私が座っていてもなお、1回り以上のスペースが余っており、わたしを覆うような装飾が圧迫感を醸し出している。前方には広々とした空間が広がっていて、奥には両開きの豪奢な扉がある。察するに、西洋の城や宮殿にある謁見の間、といったところだろうか。でも、どうしてわたしがここに?

 ふと、床を見る。鏡のようにぴかぴかに磨きあげられた床には、一人の見知らぬ少女の姿が映っていた。大きな目、左右対称の顔つきから、客観的に見てかなり整っていると言える。よく手入れされた灰色の髪を高いところで括っており、頭には巨大な銀色の飾りが仰々しく乗っかっていた。服装は深い青色をしたファンタジーなドレスで、いくつも重なった布から作られるシルエットが華やかながら威厳ある雰囲気を作り出している。高級感あふれる生地には、銀の装飾が星のように輝いていた。現れた少女の姿に驚いていると、床の向こうの彼女も驚いたような顔をした。まさかと思い顔に手を当てると、床に映る少女も寸分違わず同じ仕草をする。このことを鑑みるに、この少女は自分ということだろう。まるで自分とは思えないが。

 一通り周囲を観察したところでこれからどうするべきだろう。そうこうしている間に外部から誰かがやってきて事態を動かしてくれないかとも思ったが、そうはいかないようだ。そこで、ふと気づく。周囲から人の声が一切しない。仮にここがわたしの見立て通り城や宮殿なのだとしたら、召使の一人や二人いそうなものだが。耳を澄ましても、人の声はおろか足音、生活音すら聞こえてこない。

 

(つまり自分で動くしかないわけか)

 

 思考を巡らせる。状況から察するにこれは憑依型の異世界転移といったところだろう。転移に一切の予兆がなく、見た目が変わっていることから、わたしは小説やゲーム、そういった世界の登場人物に憑依しているのではないか、と思う。その割にはSNSなどで見たことのない姿をしているが。ともかく、これがかつてよく見た異世界モノだというのであれば――まずは【あの言葉】を唱えるべきではないか? 唱えることが、できるのではないか? 内心ニヤつきながら手を前へと掲げ、息を吸い込む。そうして、一息ついてから、堂々と【あの言葉】を口にする。

 

「……………………ステータスオープ『おや、お目覚めになられたようですね』うぎゃあああぁぁぁ!」

 

 思わず汚い悲鳴をあげてしまった。驚きと恥ずかしさのあまり顔が熱い。仮にこの世界がステータスオープンしない世界観だったら一生の恥である。誰だってドヤ顔でステータスオープンしているところなんて見られたくないだろう。わたしもそうだ。よって、この声の主を何らかの方法で口止め最悪消さなくてはならない。

 視線を動かし急いで声の主を辿ると玉座(仮)の手すりのあたり――そこにはスマホがあった。玉座には不釣り合いな、スマホを立てておく充電器のようなものがあり、真っ黒なスマホが設置されている。裏面はここからではよく見えないが、少なくともこのファンタジーな空間にはあまりにも似つかわしくないものだった。そのディスプレイには極めてデフォルメされた顔のようなものが写っており、簡素な記号だけで笑顔を作り、自分に敵意がないことを巧みに表している。

 

「…………あなたは?」

「失礼、驚かせてしまったようですね」

 

 礼儀正しいスマホだ。やけに流暢な喋り方をしており、無駄に声も良い。聞いていると落ち着くような、そんな声をしている。

 

「私はあなたの従者、このスマートフォンに入っている超! 高性能AI、メモリ。貴女様の忠実なしもべにございます、姫様」

 

 やけにいい声でなんか言っているが、スマホである。ディスプレイのデフォルメ顔もそこはかとなくキリっとした感じに変わっているのが何かムカつく。というか出会って3秒で自称しもべは怪しすぎるだろ。たとえスマホであってもだ。何らかの罠ではないか? そう思うが、この世界で最初にあったモノ、言わば第一村人である。まずは対話をすべきだろう。

 

「わたしって姫なんですか?」

「……便宜上は」

「便宜上は、って何だよ」

 

 思わず突っ込んでしまった。

 

「それと、敬語は使わなくても結構ですよ。私はあなたの従者ですので」

「それじゃあ――まず、ここはどこ?わたしは誰?わたし多分異世界転移したばっかで訳がわからないの、だけど」

 

 敬語は使わなくて良い、と言われても、どこか遠慮がちになってしまう。

 

「なるほど、かしこまりました。ここは俗にいう異世界というもの。貴女がいた地球とは異なる、別世界。そこに存在する、あなたのための楽園です。そしてあなたはあなたです」

 

 あなたはあなた、つまりわたしは誰かに憑依をしたわけではなく、わたし自身ということ? でも、姿は変わっているし……。それに、わたしのための楽園、とはどういうことだろうか。結局どこなんだ。

 

「さっぱりわかんない」

「でしょうね」

 

 ディスプレイに絶妙にムカつく顔が浮かぶ。こいつ案外いい性格してんな。

 

「わかっているならもっと要点を絞って話してほしい」

「――そうですね。その前に、まず問わせていただきます。姫様、今は西暦何年ですか?」

 

 ディスプレイは一転して真剣な顔を浮かべる。わたしはというと、思いもよらない単語の登場に、頭の中に疑問符が浮かぶ。西暦? 先程の話も考えると、つまりこの世界には地球やその歴史の概念があるということだろうか。わたしが転移した時の年代に、一体なんの意味があるのだろうか――とはいえ、まだ全然情報が足りないので、素直に質問に答えることにする。

 

「今は――西暦2024年、きっと、たぶん」

 

 西暦を意識して生活していないせいか、答えは少しあやふやになってしまった。それを一切気にした様子もなく、メモリは言葉を重ねる。

 

「――そうですか、ではもう1つ、質問を。あなたは今、何を望みますか?」

「わたしはもちろん――元の世界に帰りたいよ」

 

 先ほどとは異なり、澱みなくわたしは答える。だって、家族にこのまま会えないのは嫌だし、わたしの人生だってまだまだこれからと言える。思ったことをそのまま口にすると、先ほどまですらすらと話していたのが嘘のように、スマホ――メモリは言葉を詰まらせた。

 

「残念ですが、姫様。大変申し訳ありません。その願いは、叶わないのです、決して」

「……………………なぜ?」

 

 今度はわたしが言葉に詰まる番だった。

 

「今は地球時間で西暦12685年4月20日、20時38分。――姫様は数千年もの間眠りについていたのです」

 

 わたしは言葉を失った。メモリの言葉が表す意味より、そのスケールの大きさに驚いてしまう。

 

「その通りでございます。そのため、肉体の稼働にはかなりのブランクがあると考えられます。ご注意ください。それでは、ここはどこなのか、なぜ姫様がこのような場所にいるのかですが――」

 

 メモリが説明を重ねようとしたところで、ちょうど大きな音が鳴る。音の発生源はわたし自身で、つまるところ腹の虫が鳴ったのである。まさか異世界転移? 直後に恥を二度塗りする羽目になるとは。流石に少し落ち込む。

 

「……まずは空腹を満たすことが先ですね。姫様にも、整理する時間が必要でしょうし。少しずつ、わかっていただければと。では、移動しましょう。食事がある場所へ案内いたします」

 

 しょうがない、と思う。さっきの腹の虫ですっかり場の空気が変わってしまったし、何よりもわたし自身、少し混乱してきたから。メモリの言葉に従い、わたしは玉座から立ちあがろうとする。さっきメモリがいった通り、体がすこぶる鈍っているらしく、立ち上がるだけでもかなりの体力が消費される。体が重い。まるで全身に鉛でも乗っかっているみたいだ。装飾過多から極めて掴みにくい手すりを頼りにようやく立ち上がったところで、わたしの体は重力に負けべしゃっと崩れ落ちた。

 

「大丈夫ですか姫様!」

「頭が……というか服が! 重い!」

 

 床に這いつくばったまま叫ぶ。そうしてわたしの、あまりに先行き不安な異世界ライフは始まったのだった。

 

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