第96話 老魔法使いは倒れない
「ふんっ」
ウヌムが剣を振るう。
邪剣と化した神剣ヘカトオラクルの生み出す衝撃波は凄まじかった。
ヘルートの全身のあちこちから血が舞い、髪が乱れた。
だが、ヘルートは先ほどのように吹き飛ばされはしなかった。そのまま、何事もなかったかのように歩を進める。
ウヌムはわずかに怪訝そうな顔をした。
もう一度剣を振るう。発生した衝撃波は、またもヘルートにぶち当たった。ローブが千切れてその痩せた傷だらけの上半身が露わになったが、老魔法使いの表情は変わらない。
ヘルートは血塗れの手で乱れた髪を掻き上げた。
「あと何発、そいつを撃つんだ」
ヘルートは言った。
「どっちみち、そんなもんは効かねえぜ」
「そうかな」
ウヌムは笑う。その手に握られた剣が、さらに渦を巻くようにして黒さを増した。
ウヌムが剣を振るう。周囲の地面を全てめくり上げ、空に巻き上げるほどの衝撃波。だが、ヘルートはそれを無表情で受け止めた。
「効いていないわけがない」
ウヌムは言った。
「やせ我慢だろう」
「知らねえのか」
ヘルートは答えた。
「気合いだよ。大抵のことは、気合いで何とかなる」
「旧時代に過ぎる」
ウヌムは苦笑した。
もう一度剣を振り上げたが、ヘルートはすでに自分の間合いに入っていた。
それまでの悠然とした歩みが嘘のように、鋭い踏み込みでウヌムの懐に飛び込む。
だが、ウヌムも最強の戦士と呼ばれた男だけのことはあった。素早く反応して、剣をヘルートに叩きつける。
甲高い金属音が響いた。
「……へえ」
ウヌムは微笑む。彼の剣はヘルートの身体を両断する寸前で止まっていた。剣を受け止めていたのは、小さな白い塊。
永久氷壁の欠片だった。
「もしかしたら、と思ったが」
ヘルートは漆黒の剣に目を向ける。
「やっぱりそんな濁った剣じゃ割れやしねえか。期待して損したぜ」
「ふん」
ウヌムは鼻で笑うと、流れるように剣を横薙ぎに叩きつけた。ヘルートは、氷の欠片で再びそれを受け止める。衝撃を受け止めきれずに後方に飛ばされたヘルートに、追いすがったウヌムの斬撃は止まらなかった。
唸りを上げる剣。
鈍い金属音が響き続ける。
ウヌムの人知を超えた速度の斬撃を、ヘルートは全て氷で受け止めた。衝撃を殺すように、身を左右に動かしながらウヌムの攻撃をいなし続ける。
そして、氷の表面にはやはり傷一つ付かない。
「さすがだな」
ウヌムは称賛した。激しい戦いを続けながら、まだその言葉には余裕があった。
「魔法使いの戦い方ではないけれどね」
「俺の知ってる魔法使いはみんな前線で戦ってたよ」
攻撃をさばきながら、ヘルートは答える。
「お前の知ってる戦いが全てじゃねえんだ」
「へえ。じゃあ今の若者からも新しい戦い方が生まれるかな」
「多分な」
「私は、そうは思わない」
ウヌムの剣が鋭さを増す。
「堕落した時代に生まれるのは、堕落したものだけだ」
ウヌムは全く疲れを見せない。ヘルートの受けが徐々に間に合わなくなってきた。
「あなたも戦士ならば、武器を捨てるべきではなかった」
ウヌムは言った。
「私の剣は、そんな氷の欠片でいつまでも受け止めきれるほど甘くはない」
ウヌムがその戦士としての卓越した実力を発揮し始めた。
「……すげえ」
魔物と戦っていたニドックが手を止めて呟く。誰もが思わず見入ってしまうほどの、美しさと激しさを同時に併せ持つ攻撃だった。
「これが本物の英雄の戦いかよ。シャレにならねえ」
「ああ、まずいな」
血塗れで二人の戦いを見守っていたサークスが、舌打ちした。
「均衡が崩れてきた。しっかりしろよ、ヘルートさん」
ラヴァノールを杖にして、よろよろと立ち上がる。
「引き戻してくれ、その人は俺の恩人なんだ」
ついにウヌムが本気を出し始めたのだということが、周囲の人々にも分かった。剣の一振りごとに、周りの魔物どもも巻き込むような衝撃波が発されていた。
この世の誰であろうと、敵することのできない剣。
それを受けるヘルートは、もはや満身創痍だった。
白いはずの髪や髭は、すでに真っ赤に染まっていた。
それでも、致命的な一撃だけは許さない。
「残念だ」
ウヌムは言った。
「戦士としてのあなたを、見てみたかった」
ひときわ速い斬撃が、ヘルートの防御を上回った。
邪剣ヘカトオラクルが、ヘルートの胸を斬り裂いた。
鮮血が噴き上がる。
「おじいちゃん!」
「ヘルートさん!」
ファリアとヒルダが悲痛な叫びを上げた。
「さようなら、ヘルートさん」
ウヌムが剣をもう一度振り上げた、その瞬間だった。
噴き上がるヘルートの血に遮られ、ウヌムにごくわずかな死角ができた。歴戦の老魔法使いはそれを狙っていた。
赤い血が突然歪むようにしてウヌムに伸びた。返り血を避けようと、ウヌムが反射的に身を引く。だが、伸びたのは血ではなかった。血の中から同じ色の何かが飛び出してきたのだ。
飛礫の魔法。
ウヌムはよけきれなかった。
ウヌムの胸に深々と食い込み、地面に落ちた真っ赤なそれは。
「炎王龍の、核?」
身体を折って喘ぐウヌム。ヘルートは血を滴らせながら、その胸ぐらを掴み上げた。
「言っただろう。俺は魔法使いだって」
「黙れ」
ウヌムの右腕に掴んだ剣が振られるよりも、さらに速く。ヘルートの叩きつけた永久氷壁の欠片が、その肘を破壊していた。
「ぐああっ!?」
「いいか、教えといてやるよ」
氷を握ったまま、ヘルートはウヌムを殴りつける。一撃ではない。それは何度も、何度も繰り返された。
見守る仲間たちが絶句する。ヘルートの攻撃には、一切の容赦がなかった。
ウヌムのような優雅さも華麗さも、微塵もない。ただ野獣のような苛烈さで、ウヌムの肉体を破壊していく。
それが、ヘルートの戦いだった。
「魔法使いになった俺は強い」
特務部隊で繰り返された、非人間的な戦闘の数々。それを乗り越え、生き残ってきた男の強さが白日の下に晒される。
「勝たなきゃならねえ理由があるからだ」
ウヌムが反撃しようと身をよじる。だが、ヘルートは許さなかった。身体のどこかが動けば、そこに氷を叩きこむ。
最後にみぞおちを貫いた一撃は、まるで背骨まで砕くような威力を持っていた。
「……がはっ」
ついに、ウヌムは倒れた。
地面に横たわるかつての英雄を、血塗れの老人が見下ろす。その身体から、煙のような蒸気が立ち上っていた。
それは、壮絶な光景だった。
「名声も栄光もくれてやる。恋人の遺体も残らなかったお前には、それくらいあってもいいだろう」
ヘルートは言った。
「だが、俺の邪魔をするんなら、話は別だ。踏み潰すぞ、若造」
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