第87話 邪剣


 激しい攻防がひと段落すると、さすがのクインクとトリアも肩で息をしていた。

 かつては最強の名をほしいままにした冒険者だったとはいえ、全盛期を遠く過ぎ、老境に差し掛かった身体では無理もなかった。

 一人、ヘルートだけが平然としていた。

 鍛え方が違う。

 その圧倒的な異質さは、もはや誰の目にも明らかだった。

「ヘルートさん、やはりこんなところまでやってきたのですね」

 レジオンは低い声で言った。

 彼の背後に控えるのは、ライファでも見た湾刀使いの男と、初めて見る漆黒の槍を持つ男。

「もう余生もそう長くないでしょうに。静かに暮らすという選択肢はなかったのですか」

「俺の戦いはまだ終わってねえんだよ、レジオン」

 ヘルートは言った。

「だから、邪魔するな」

「それはこちらの台詞ですよ。あのお方の遠大な計画を、あなたのような無分別な年寄りに台無しにされるわけにはいかないのです」

「何が遠大だ」

 ヘルートは鼻を鳴らす。

「人のぶっ殺した魔物の死骸を引っ張り出してきて、何かくだらねえことを企んでるんだろうが」

「あなたには理解できませんよ、ヘルートさん」

 レジオンは憐れむようにヘルートを見た。

「あなたのように、あたら強大な力を持ちながらその生かし方も知らず、いいように人に使われ、結局何も手にしないまま時代に取り残された、そんな憐れな負け犬にはね」

「俺が負け犬かどうかは、俺が決める」

 ヘルートは言った。

「俺とお前じゃ見てるものが違い過ぎる。話は平行線だ。そこをどけ、レジオン」

「どうやらそのようですな。最初からあなたに理解できる話だとも思ってはいませんがね」

 レジオンが白く光る剣を構えたその時だった。

「レジオン総監」

 涼しい声に、レジオンは振り返る。

「私にも紹介してくれないか。その人が、例のヘルートさんなんだろ?」

「はっ」

 レジオンが剣を下ろした。ヘルートは面倒そうに眉を寄せる。

 姿を現したのは、すらりとした長身の男だった。金色の髪が風になびくと、年齢不詳の整った顔が露わになった。

「ウヌム」

 クインクが言った。

「やはり、君もここにいたのか」

「久しぶりだね、クインク。それにトリアも」

“光の剣”のリーダー、ウヌムはかつての仲間二人に顔を向けて微笑んだ。

「わざわざこんなこの世の果てまで、私に会いに来てくれたのかい」

「君を止めに来たんだ、ウヌム」

 クインクは言った。

「まだ間に合う」

「もう手遅れだよ、いろいろと。じきにそれが分かると思うんだけど」

 そう言って、ウヌムはちらりと空を見上げた。

 空の青さに眩しそうに目を細めてから、ヘルートに顔を向ける。

「初めまして、ヘルートさん。ウヌムといいます」

「ヘルートです」

 ヘルートは律儀に腰を折った。

「炎王龍殺しの英雄、ウヌム公。お会いできて光栄ですな」

「私の方こそ」

 ウヌムは優雅に微笑む。

「氷王龍殺しの、知られざる英雄。その武勇伝はレジオン総監からお聞きしましたよ」

「なあに、今ではこの通り」

 ヘルートは両腕を広げてみせる。

「ただの元気な老いぼれです」

「ご謙遜を。先ほどの戦いぶり、とてもそうは見えませんでした」

 ウヌムは、ですが、と付け加えた。

「私が相手するほどでもないようだ」

 その言葉に、ヘルートは片眉を上げる。

「できれば、氷王龍を討った頃の本当に強かったあなたと戦ってみたかったな」

 そう言うと、ウヌムはレジオンを振り返る。

「レジオン総監、この人の相手は任せるよ」

「はっ」

 レジオンは恭しく頭を下げる。

「何を企んでおるのですかな、ウヌム公」

 ヘルートは、氷漬けとなった氷王龍を顎でしゃくってみせる。

「あんなものを引っ張り出してきて」

「私はこの腐った世界を一度浄化する必要があると考えています」

 ウヌムはあくまで穏やかに言った。

「あなたの持つ炎王龍の核。ああ、あなたは太陽の石と呼んでいるのでしたね。それを拝見しても?」

「これですかな」

 ヘルートがローブの袖から炎王龍の皮にくるまれた赤黒い石を取り出すと、ウヌムは目を細めた。

「ああ、懐かしい。そうでした。そんな姿でした」

「これは儂にとって大事なものですので、お渡しするわけにはまいりませんぞ」

「ええ、承知しています」

 ウヌムは頷く。

「それが手に入っていれば、私は王都の中心を丸ごとそれで吹き飛ばすつもりでした。腐敗しきった既得権益層を一掃するには、それが最も手っ取り早いですからね」

「やはり、そんなことを考えていたのか」

 クインクが言った。

「魔人ユーバーガングを召喚して私を殺そうとしたのも、君なのか」

「いつも君の独断専行には手を焼かされていた」

 ウヌムは微笑む。

「だから、きっと君なら一人で来るだろうと思ったんだ。でもまだ生きているところを見ると、少しは君も成長したのかな」

 その言葉に、クインクは不機嫌に黙り込む。ヘルートが来なければ彼はヤヌアルの洞窟の最深部で、ウヌムの見立て通り、魔人に敗れて命を落としていただろうからだ。

「私の計画にとって、君は絶対に邪魔になるだろうと思ったからね。トリアは、こちらに取り込める自信があったんだけど」

 ウヌムは、“光の剣”の魔法使いに目を向ける。

「偏屈な君なら、きっと今の世の中に不満を溜めこんでいるだろうと思った。でもクインクと組むなんて。こちらの見立ても外れたのかな」

 トリアもむっつりと押し黙ったまま肩をすくめた。

 やはりそれもウヌムの見立て通りだった。彼の現状への不満はヘルートの圧倒的な力の前に霧散したが。

「まあいいさ。ああ、ほら」

 不意に、ウヌムが頭上を見上げた。

「来たよ」

「な」

 クインクやトリアがそれに釣られたように空を見上げる。

 突如、空間そのものを切り裂くように何かが降ってきた。

 ウヌムの目の前に突き立ったのは、一振りの剣だった。

 それは、どす黒い刀身にべったりと血をこびり付かせた、あまりにも禍々しい剣だった。

「……何だ、それは」

 クインクの声が上擦った。

「その邪悪な剣は。どこで手に入れた」

 ウヌムは笑って答えない。

「君がおかしくなったのも、その剣が原因なのか」

「……いや、よく見ろ。クインク」

 トリアの顔もわずかに青ざめていた。

「あの柄に、見覚えはないか」

「何」

 剣の柄を見たクインクの身体が、小刻みに震えた。その呼吸が荒くなる。

「まさか」

 クインクは悲痛な顔でウヌムを見た。

「まさか、その剣は」

「そうだよ、クインク」

 ウヌムは笑顔で剣を手に取る。

「これは炎王龍を討った私の愛剣。神剣ヘカトオラクルさ」

「……ばかな」

 誰よりも純粋な魂を持つ戦士ウヌム。だからこそ、手にすることができた純白の刀身を持つ神剣。

 その刀身が、いまや漆黒に染まっていた。

「その血は」

 ヘルートが口を挟んだ。

「一体誰のものですかな」

「よくぞ聞いてくれた」

 ウヌムはヘルートに笑顔を向ける。

「王とか王妃とか王子とか、それから大臣とか、まあそういう人たちの血だよ」

 その表情も口調もまるで変わらないまま、ウヌムは言った。

「とりあえず、この国を牛耳ってる人たち。全部殺してきたよ」



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