第84話 ウヌムという男


「ウヌム公の名は、儂も存じておりますよ」

 ヘルートは言った。

「炎王龍を討った後は、王女と結婚して国を継ぐというような噂もありましたが、結局は国王特別顧問という職に就かれているのでしたな」

「ええ」

 クインクは頷く。

「肩書は立派ですが。実際に何か大きな権力があるわけでもない。空虚な閑職です」

「そうですか。……しかし、いったいなぜ」

 ヘルートは尋ねた。

「世界を救った英雄であるウヌム公が、そのようなおかしな真似を」

「ウヌムは、純粋すぎる男でした」

 クインクは言った。

「光神ケルムの神官である私よりも、はるかに純粋な魂を持っていた。だからこそ、闇を切り裂く神剣ヘクトオラクルがその所有者に彼を選んだのでしょうが」

「優れた剣は、所有者を己で決めると言いますからな」

 ヘルートは頷く。

「純白に輝く刀身の、神剣ヘクトオラクル。儂も一度はお目にかかりたいと思ったものです」

「ええ。ヘクトオラクルの真っ白な輝きは、そのままウヌムの魂の穢れのなさを表しているかのようでした。ケルムの神官として、彼とともに戦えることが誇らしかったものです」

 クインクは過ぎし日を思い出すように目を細めた。

「世に蔓延る魔物を倒し、人々を救う。ウヌムはそれこそが己の使命であると純粋に信じていた。富にも名声にも惑わされることなく、ただそのためだけに剣を振るうことのできる人間でした」

「一つのことに迷いなく打ち込むことができるというのは、大きな才能です」

 ヘルートは同意した。

「それが、なぜ」

「炎王龍との戦いで、“光の剣”は二人のメンバーを失いました」

 クインクは静かに言った。

「一人は、戦士クワトル。クワトルはウヌムに劣らぬ優れた戦士でしたが、その性格は大きく異なっていました。ウヌムは自分の思いを人に伝えるということの苦手な男でした。もっと言えば、人に思いを伝える必要性を感じていなかった。自分の理想は、自分が剣を振るうことで実現する。誰かにそれを伝える必要などない。そういう自己完結した人間でした。一方のクワトルは、ウヌムと同じように魔物を倒して平和な世を作るという理想に燃えていましたが、彼にはそれを言語化する力があった。誰にでも、その理想を熱く語って同志にすることができた。分かりやすく平易な彼の言葉には、人の心を滾らせる熱があったのです。もしも生きていたならば、間違いなく多くの人を動かすことのできた男でした」

「惜しい人を失くしたのですな」

 ヘルートの言葉に、クインクの隣でトリアが遠くを見るような目をした。

 クインクは、ええ、と頷く。

「炎王龍との戦いで命を落としたもう一人は、治癒神キベルに仕える神官デューオ。彼女は我々パーティの紅一点、そしてウヌムの恋人でした」

 クインクは目を伏せた。

「純粋すぎるがゆえに、周囲と衝突することがウヌムにはあった。ウヌム本人には一片の悪気もなかったが、人は皆、彼のように純粋ではない。その軋轢に、ウヌムは人知れず苦しんでいました。彼の苦しみを最も理解し、その心を癒せるのはデューオしかいなかった。ウヌムは本当に心から、彼女を愛していた。けれど、彼女も炎王龍との戦いで命を落としました」

「生き残った我ら三人は、戦闘力という面ではほかの二人よりも優れていた」

 トリアが言葉を継いだ。

「しかし、死んだ二人はパーティの精神的な支柱だった。彼らを失い、我々はばらばらになった。“光の剣”というパーティは、その名だけを残してこの世から消えたのだ」

「……そうでしたか」

 ヘルートは静かに頷いた。

 余は選んで殺した。

 炎王龍の残像が最後に残した言葉が、ヘルートの心にも影を落とした。

 狡猾な魔物の王は、自分を討たんとするパーティを支えているのが誰なのか、的確に見抜いていた。そして、そのメンバーの命だけを奪ったのだ。

「そのウヌム公が、なぜ再び魔物を呼び出すような真似を?」

「ウヌムの心はウヌムにしか分からないでしょうが、ある程度の推測をすることはできます」

 そう答えたのはクインクだった。

「ウヌムは炎王龍を討った英雄ですし、容姿も端麗でした。凱旋当時の凄まじい人気ぶりから考えて、彼が王宮で要職に就くことになるのは誰の目にも明らかでした。事実、王女との婚約の話もあったのですから」

「私にも要職の話はあったが、私は自分がそういう華やかな場所には不向きだと自覚していた。だから、さっさと田舎に引っ込んだ」

 トリアが言った。

「だが、ウヌムにはそういうことが分からなかった。純粋な男だからな。言い方を変えれば、世間知らずのバカだったのだ」

「王女との結婚が何故白紙になったのかは私も詳しくは知りません。ウヌムはデューオを忘れられなかったのかもしれません。いずれにせよ、あらゆる欲望の渦巻く宮廷のような場所で生きていくには、ウヌムは純粋すぎた。おそらく彼は絶望したのでしょう、人間そのものに」

「ふうむ」

 ヘルートは腕を組んだ。

 しばらく、重苦しい沈黙が部屋を包んだ。

 ヘルートは、

「個人的な都合ばかり話して申し訳ありませんが」

 と口を開く。

「ウヌム公の絶望とやらも、分からないではない。ですが、その企みは永久氷壁ではなくどこかよそでやってくれというのが、本音ではありますな。ようやく太陽の石を手に入れたというのに、そこで何かよからぬ企てをされるのは非常に迷惑です」

「まあ、あんたにとってはそうだろうな」

 トリアが苦笑する。

 とはいえ、とヘルートは息を吐いた。

「永久氷壁を選んだのには、それ相応の理由があるのでしょうな」

「ヘルートさん。あなたは知っているのですか。あそこに何があるのか」

「何って……」

 氷の中で手を差し出す美しい女の残影がヘルートの脳裏をよぎった。

 一瞬口を開きかけて、それから小さく首を振って苦笑する。

 彼らが聞いているのは、そちらのことではない。

「タルセニア砂漠と同じですよ」

 ヘルートは言った。

「氷王龍の死骸が、残っています。とはいえあちらの炎王龍と違って、そうと知らずに見れば気付かないほどささやかなものしか残っていないはずですが」

 その言葉に、クインクとトリアは顔を見合わせた。

 二人ともおおよその事情を察していたのだろう。もう一頭の王龍の話を聞いても大きな動揺はなかった。

 ヘルート自身からその話を聞いていたカテナも、小さく頷く。

「ならば、それだ」

 トリアが言った。

「ウヌムは、氷王龍の死骸を何かに使おうとしている。炎王龍の核を狙って果たせなかった、その代わりの何かを」

「それなら、急がねばなりませんな」

 ヘルートは言った。

「軍が儂を、あ、いえ、ヘルートという男を指名手配してから、もうだいぶ時がたっている。特務部隊の動きの速さを考えれば、もう永久氷壁にいると考えた方が良さそうですな」

「特務部隊についてはグリモールさん、あなたのほうが詳しいようですね」

 二人の言葉に、トリアが呆れたようにため息をついた。

「ヘルートという男、とか、グリモールさん、とかもうその茶番はやめたらどうだ、面倒くさい。クインク、さっきお前がヘルートさんと呼んだ時に、この老人は返事をしているぞ」

「おや、そうでしたかな」

「ならもうヘルートでいいよ」

 カテナが言った。

「でも、私はしばらくおじいちゃんって呼ぼうかな」

 クインクはカテナを優しい目で見る。

「ええ。あなたは呼びたいように呼べばいい。ヘルートさん。あなたも特務部隊に在籍していたんですね」

「昔の話です」

 ヘルートは淡々と頷くと、自分の過去をかいつまんで話した。

 かつて特務部隊では最強の戦士を作る実験のような任務が繰り返され、自分もそれに参加させられていたこと。

 最終的には、ウヌムたちが炎王龍を倒した陰で自分たちは氷王龍を倒したこと。

 そして、その功績は誰に知られることもなかったということも。

「別に名声が欲しくて戦っていたわけではありませんので、それはいいのですが、ただ」

 とヘルートは言った。

「一緒に戦った仲間の女が、今も氷の中にいるので」

「アウラさんという方ですね。あなたはそのために太陽の石を探していた」

 その名前を聞いていたクインクが頷き、トリアも合点した顔をした。

「特務部隊総監のレジオンは、おそらくウヌム公と組んでいるのでしょうな」

 ヘルートは言った。

「永久氷壁では、彼らと戦いになるかもしれませんな」

「ウヌム自身も、現在の所在は分からなくなっています」

 クインクはそう言うと、わずかに表情を曇らせた。

「同じパーティだったとはいえ、あの男の戦闘能力は我々とは隔絶しています。戦いになるとすれば、相当に厳しいと覚悟しておいてください」

 その言葉に、カテナが不安そうにヘルートの袖を握った。

「大丈夫ですよ、カテナさん」

 ヘルートはカテナの頭を優しく撫でた。

「このじじいが、今まで一度でも誰かに負けたのを見たことがありますかな」

「ううん、ない」

 カテナは首を振って、それからヘルートの肩に顔をうずめた。

「私、知ってるよ。ヘルートが誰よりも一番強いって」



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