第75話 炎王龍


「炎王龍の皮かぁ」

 廃墟の崩れかけた壁の陰で、カテナは懐からクインクの手紙を取り出した。

「確かに大神官様はそう書いてきたけど。そんなの、まだ残ってるのかなぁ」

「まあ、実際に行ってみないことには分かりませんですな」

 ヘルートは自分の背嚢から魔導器とともに赤黒い石を取り出した。

 太陽の石は、軍の洞窟で最初に見たときよりも鮮やかな赤色を呈していた。

「魔導器の効力がだいぶ弱くなっておるようです」

 その言葉に、カテナも太陽の石を覗き込む。その拍子にぽたりと石の表面に落ちた汗は、石に滲み込むようにして消えた。

「ほんとだ。赤くなってる」

 そう言った後で、カテナは魔導器を撫でる。こちらも熱を持っていた。

「これ、そんなにすぐに壊れちゃうものなの?」

「リガ殿の話では五年は持つということでしたが、呪紋で守られた部屋から出してしまいましたからな。負担が大きくなってしまったのでしょう」

「じゃあ、もうすぐ暴走しちゃうかもしれないんだね」

 カテナはヘルートから太陽の石を受け取る。カテナの手にも、石の拍動が伝わってきた。

「どくんどくんっていう心臓の音みたいなのも、前よりも大きくなってる」

「ええ」

 ヘルートは頷く。

「ですから、何かが起きる前に炎王龍の皮でくるんでしまいませんとな」

「うん。急ごう」

 廃墟の陰でしばし休憩した二人は、再び砂漠を進んだ。焼き尽くされたとはいえ、元は温潤な気候の土地だ。ところどころにはオアシスのような池もできていて、二人はそれを頼りに進んだ。

 やがて。

「また廃墟だよ」

 彼方に見えてきた白い壁に、カテナは言った。

「ワンデルガルの北だから、モルペンの街の廃墟かな」

「いえ、モルペンはもう少し北ですな」

「じゃあ、あれはただの集落跡か」

「よく見てみなさい、カテナさん」

 ヘルートは目を細めた。

「あれは、街ではない」

「……え?」

 カテナは目を凝らした。

 砂の海の向こうに見え隠れする白い壁。

 それは確かに街の壁にしては、ずいぶんと曲線が多い気はした。

 徐々に近づくにつれ、その全体像がカテナにもぼんやりと掴めてきた。

「……もしかして」

 カテナは言った。

「あれ、骨?」

「ええ」

 ヘルートは頷く。

「あれは、炎王龍の骨です」

「噓でしょ。あんなに大きいの?」

「そうですな」

「すごい!」

 カテナは歓声を上げた。

 城塞にも匹敵するかのような巨躯。

「あんなに大きな魔物を、“光の剣”は倒したんだよね」

「ええ」

「……すごいね」

 カテナはヘルートを振り返った。その目に、純粋な感動の色があった。

「人間って、すごいことができるんだね」

「そうですな」

 ヘルートは頷いた。

「人間は、魔物の王にも負けなかった。だから、今のこの世界がある」

「うん」

 カテナは嬉しそうに頷く。

「こんなことなら、大神官様にもっとちゃんとお礼を言うんだった。あの人たちがどんな苦しい戦いをしてこの世界を救ってくれたのか、今やっとわかった気がする」

「カテナさんのそのお気持ちだけで、彼らも嬉しいでしょう」

「私、もっと近くで見てくるね!」

 カテナが砂を蹴って駆け出した。

 ヘルートは足を止め、その背中を見つめた。それから、巨大な白い骨に目を向ける。

 どんな苦しい戦いをして、この世界を救ったのか。

 きっと、今のカテナのような純粋な感謝と感動のこもった目を、“光の剣”のメンバーたちは多くの人々から向けられてきたのだろう。

 それは、ヘルートには向けられることのなかった感情だった。

 誰にも、知るすべはなかったからだ。

 ヘルートが、一体どんな戦いをしたのか。

 どんな思いで、あの巨龍を討ったのか。

 王龍。

 魔物の王。

 それを討つために、何を捨て、何を失ったのか。

「俺が戦ったわけでもねえのに、こいつを見ると背筋が伸びるな」

 ヘルートは呟いた。

「まあそれも当たり前か。俺は、こいつらの怖さを知っている」

 ヘルートの脳裏に、若かりし日々がつい昨日のことのように思い出された。



 かつて。

 ヘルートは、護民兵団に所属する衛兵だった。

 粗末な革鎧を身につけ、短い槍を手に街の治安を守るのが彼の任務だった。

 特に大きな志はなかった。

 成人し、何か仕事をして食っていかなければならないとなったときに、身体が頑丈だったので軍を選んだというだけのことだ。

 街をパトロールし、時には犯罪者と対峙することもあるが、普段の仕事にはそこまでの緊張感はない。非番には気の置けない同僚たちと酒を飲む。

 自分はこうして平凡に生きていくのだと思っていた。

 そんな毎日に変化が訪れたのは、同僚のガザムが特務部隊への異動通知を受け取ってからだった。

 ガザムは同僚たちの中でも特に恵まれた体躯を持ち、目の覚めるような剣の腕を持っていたので、仲間内でも、あいつをただの衛兵にしておくのはもったいないとよく冗談交じりの話をしていた。

 それが突然、兵士長待遇で特務部隊への栄転が決まったのだ。

 特務部隊は、同じ軍人とはいえ末端中の末端であるヘルートたちにはその任務内容すらほとんど知らされていない、謎の多い組織だった。ただ、相当に激務であるという噂だけはあった。

 もちろん、軍内での待遇はただの護民兵団の衛兵とは天地の差だ。

 別に希望したわけじゃないんだけどな、と戸惑ったように笑うガザムを、ヘルートたちは励まし、盛大に送り出した。

 ガザムが死んだ、と聞かされたのはそれからわずか一月後のことだった。

 魔物との戦いで命を落としたのだという。

 当時は徐々に魔物の数が増え始めた大魔物期の初期に当たる時期だった。

 最近魔物が多いし、危険な任務でもやらされたんだろうなあ、とヘルートたちは話し合い、ガザムを悼んだ。

 それから数か月おきに、ヘルートの部隊から合わせて三人が特務部隊に引き抜かれた。

 いずれも、衛兵の中では比較的腕の立つ男たちだった。彼らがどうなったのか、ヘルートは知らない。いずれにせよ、その後彼らと二度と会うことはなかった。

 次に指名のかかったギゼーロという同僚に、ヘルートは泣きつかれた。

「頼む、ヘルート。俺のかみさん、来月出産なんだ。特務部隊への異動、俺と代わってくれないか」

「ああ。構わんぜ」

 ヘルートは快諾した。早くに両親を亡くしたヘルートは、どうせ天涯孤独の身だった。

 話の分かる上官にかけ合い、ギゼーロは負傷したことにして代替要員としてヘルートを推薦してもらうと、意外にすんなりと許可が下りた。

 ヘルートは住み慣れた街や仲間と離れ、特務部隊に異動することになった。

 ヘルートが衛兵になって六年目、二十四歳の時のことだった。


 当時、特務部隊を仕切っていたのはグルバンという男だ。

 トップの総監にはお飾りの王族が据えられていたが、組織の全てを掌握していたのは参謀長の彼だった。

 元々高貴な生まれだったグルバンは、幼少時から優れた才覚を発揮し、それゆえに人を人とも思わないところがあった。

 護民兵団から特務部隊への頻繁な引き抜きには、グルバンが秘密裏に行っている何らかの計画が関わっているらしいという噂はヘルートも耳にしていたが、それ以上のことは末端の衛兵である彼には分からなかった。

 特務部隊に着任したヘルートは、同じようにしてかき集められた元衛兵たちとともに数人でチームを組まされ、人里離れたダンジョンの攻略を命じられた。

 攻略の意図や理由は説明されなかった。

 特務部隊の任務とはそういうものだ、と上官は言った。説明されることが当たり前だと思うな。意味など考えなくていい。与えられた任務を、全力で遂行することだけを考えろ。

 慣れないダンジョン探索に疲弊しながら、ヘルートたちは必死に戦ったが、所詮は寄せ集めのチームだった。地下第二層で魔物に敗れ、仲間たちは命を落とした。かろうじて一人生き残ったヘルートは仲間の遺骸を回収することすらできずに脱出した。

 傷が癒えるとすぐに、ヘルートは別のチームに編入された。上官はそのチームを、“レベル2”と呼んでいた。

 ヘルートのチームは、再び人里離れた他のダンジョンの攻略を命じられた。その際に、ヘルートはこのチームの仲間たちが皆、自分と同じように最初のチームを失っていることを知った。つまり、彼らは生き残りだけで構成されたチームだったのだ。

 魔法使いも神官もいない戦士だけのチームはやはり、ダンジョンの核までは辿り着けなかった。

 獣じみた生存本能を発揮したヘルートは奇跡的に生き残ったが、他の仲間はだめだった。

 原隊に帰還したヘルートは、“レベル3”のチームへの編入を命じられた。

 レベル3からは別格だ、と上官がヘルートに告げた通り、次のチームには魔法使いもいた。護民兵団から集められた人間に魔法使いなどいない。つまり、ヘルートは本来の特務部隊員とチームを組むことになったのだ。



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