初歩魔法しか使わない謎の老魔法使いが旅をする

やまだのぼる

第一章 古代の王のダンジョンと老魔法使い

第1話 破格の契約金


「この、ジャイアントリザードの肝焼きというのを一つ」


 肝焼きですって?


 ウェイトレスは思わず眉をひそめる。


 さては、うちの店をよく知らない客ね。


 注文してきた客の風体を見て、彼女は顔を曇らせた。


「その料理、うちの名物は名物なんですけど、お客さんのお歳だとちょっと」


 客は、かなりの高齢に見えた。後ろに撫でつけた白髪に、骨と皮ばかりの筋張った腕。


 まとっているくたびれた濃紺色のローブからして、旅の魔法使いか何かのようだ。


「だめかね」


「だめじゃないですけど」


 ウェイトレスも一応はこの店で働いている手前、「それ、この世のものじゃないくらいくそマズいからやめた方がいいですよ」とは言いづらかった。


「ボリュームあるし癖も強いから、若い人でも結構大変そうに食べますよ。お年寄りじゃ厳しいかもしれません」


 丁寧に真綿にくるんだ警告。


 これで伝われ、伝われ。


 びびびびび、とウェイトレスは客に念力を送る。


 親切で言ってるんですよ。他意はないですよ。


 中には、いるのだ。

 若いウェイトレスにそう言われると逆にむきになって「大丈夫だ、まだ若い者には負けん」なんて言って、結局、運ばれてきたゲテモノを前に呆然とする年配の客が。


 私の言わんとすることを察して、おとなしく「じゃあやめとこうかな」って別の料理を注文しなさい。


 他の料理も大しておいしくはないけど、まだ食べられるレベルだから。


 しかし、この客の反応は、今までの客とは少し違った。


「いや、懐かしくてね」


 老人はそう言って目を細めた。


「昔はよく生で食べたんだ。ちゃんと焼いて食えばうまいだろうなと、ずっと思っていた」


「は?」


 あれを、生で?


 一瞬頭に浮かんだグロい映像に危うくえずきかけて、それ以上想像したくなかったウェイトレスはとりあえず言われるがままに厨房に注文を通すことにした。


「トカゲなら、龍とそんなに変わらんだろうしな」


 その老人がそう呟いたのも、聞こえないふりをした。






「え? 女性はだめなの?」


 ルーマンの街の外れにある冒険者ギルド。


 仕事にあぶれた冒険者たちが酒を求めて集まるにはまだ少し早い時間の、人気のないカウンターで、受付のペンネ嬢は台帳をめくる手を止めた。


「そうなんだ、諸事情でな」


 中堅冒険者パーティ“燃える魂”でリーダーを務めるアトスは、ほかの三人の仲間たちを代表してペンネ嬢に重々しく頷いてみせる。


「男性魔法使いを紹介してもらいたい」


「困ったわね」


 ペンネ嬢は、「男性、男性」と呟きながら再び台帳をめくり始める。


「ここのところ、うちに登録してるソロの男性は戦士や盗賊ばっかりで、魔法使いはあんまりいないのよね……。この人はこの前成約しちゃったし、こっちの人はソロ専門だし……」


 しばらくページを繰っていたが、やがて、


「ああ、そうだ」


 と言って顔を上げた。


「そういえば、へルートさんがいたわ」


「へルート?」


 アトスは眉を上げる。聞いたことのない名前だった。有名な冒険者ではなさそうである。


「結構なお歳のおじいさんなんだけど」


「じいさんか」


 アトスの後ろから台帳を覗き込んだ盗賊のウグレが、粗野な口調で眉を顰める。


「そんな歳まで現役ってことはかなりの腕なんだろ? あんまり上級の魔法使いは無理だぜ。こっちが契約金を払えねえからな」


「ウグレの言う通りだ」


 盗賊の隣で戦士のエッジが同意の声を上げた。


「俺の子供が生まれるから、金が要るんだ。いくら優秀でもギャラの高い人は無理だ」


 身も蓋もない言い方だが、それがパーティの現状を如実に表してもいた。


「情けないことを言うようだが、こいつらの言うことは事実なんだ。うちのパーティにはあまり余裕がない。大ベテランの老魔法使いなんて、とてもじゃないが招けない」


 アトスもそう言って、申し訳なさそうにペンネ嬢の顔を見る。


「だから、できればもう少し契約金の安い人を」


「でも、男性魔法使いってもうこの人しかいないのよ」


 そう言った後で、ペンネ嬢はプロフィールの契約金欄を見て、


「あら?」


 と首をかしげた。


「へルートさんの契約金、五百マグですって」


「たった五百?」


 アトスが目を丸くする。


「ほとんどルーキーの金額じゃないか」


「そうよねえ。でも本人の希望だから……どうする?」


「まあいい。安いに越したことはない」


 アトスは頷いた。


「じゃあ、そのへルートって人を呼んでくれ」






「どうも、ご指名いただき……」


 嗄れ声でそう言いながら現れたのは、痩せた老人だった。


 肩幅は意外に広いので、若い頃はがっしりとした体格だったのだろうが、今は濃紺色のローブの袖から覗く腕は骨と皮ばかりだ。後ろに撫でつけた頭髪も顎の無精ひげもすっかり白い。


 だが、妙に剣呑とした雰囲気を纏っていた。枯れた身体とは裏腹に、その猛禽類のような目がまだ鋭さを失っていないせいかもしれない。


「なにせ初めての街なもので。誰にも誘われなければ、いよいよ一人で依頼を受けるしかないかと腹をくくっておったんですがね」


 皺だらけの顔に笑みを浮かべて、老人は勧められるままに椅子に腰かける。


 アトスは仲間たちと顔を見合わせた。よく分からないが、ただ者ではない空気だけはひしひしと伝わってくる。


「“燃える魂”のリーダーのアトスです」


 アトスが名乗ると、じいさんは朗らかに会釈する。


「ああ、どうもご丁寧に。“元気な老いぼれ”のへルートです」


「あ、いや」


 アトスは困った顔で手を振った。


「“燃える魂”というのは別に俺のあだ名ではなくて、俺たちのパーティ名で」


「ああ、なるほど。そういうことですか」


 ヘルートは合点がいったように頷く。


「冒険者たる者、自分の名前の前に何か付けなきゃいかんのかと思いましてな、とりあえず付けてみたんですが」


「他の街では知りませんが、この街のギルドでは別にそういうのは要りませんよ」


 とぼけたじいさんだな、と思いながらもアトスはそう補足する。


「げ、元気な老いぼれ……」


「笑うな、失礼だろ」


 肩を震わせて笑いをこらえている紅一点のイエマを、エッジが肘でつつく。


「あ、やっぱりそうだ」


 ウグレが小声でそう言うと、アトスの肩を引っ張ってテーブルから引き離した。


「アトス、さっきのじいさんだ」


 ウグレはアトスに耳打ちする。


「さっきの?」


「ほら、ジャイアントリザードの肝焼きを三皿も食べてた」


「ああ……」


 ギルドのカウンターに向かう途中、併設された酒場兼食堂でウグレがおかしな老人を見たと言っていたことを、アトスも思い出す。


 ただでさえうまいもののろくにないここの食堂で、ジャイアントリザードの肝焼きなんていうゲテモノ、若い冒険者の罰ゲームくらいでしか頼まれることはないというのに、それを三皿も平らげていたと。


「だとすればちょっと変わり者かもしれないな」


「ああ、気を付けろよ。あんまり変なやつだったら組みたくねえぞ」


「分かってる」


 そう囁き合って、テーブルに戻る。


「ええと、へルートさん」


 警戒しながら呼びかける。


「はいはい」


 じいさんは頷く。


「へルートと呼んでくださって構いませんよ。呼びづらいなら、ヘルでもいい。なんならただ単にじいさんでも」


 どうせもう仲間ですからな、とヘルートは言う。


「好きに呼んでおくれなさい」


 もう勝手に契約したつもりになっている。なかなか図々しいじいさんだな、とアトスは思った。


「ええと、ヘルートさんは」


「だからヘルートで構いませんと」


 ヘルートは笑顔で手を振る。


「水臭い」


「水臭いも何も、まだ何の関係も始まってませんが」


 まずそれをはっきりさせておこうと、アトスは努めて事務的な口調で言った。


「あなたと契約するかどうかは、リーダーである俺がこれから決めますから。それまでは赤の他人です」


「ふむ」


 ヘルートは表情を改める。


「なるほど、リーダー殿はそういう線をちゃんと引くタイプですな」


 それは素晴らしい、さすがはリーダー、公私の分別が、とかなんとか言いながら、ヘルートは居ずまいを正した。


「それならこっちも真剣に聞かなきゃ失礼に当たりますわな」


 そう言って、アトスをきりっとした目で見る。


 そうすると、その痩せた身体に威厳が満ち、得体の知れない迫力が漂った。


 妙に軽い口調に心配したが。


 アトスは考えた。


 やはり、ただ者じゃないようだ。


「まず俺たちのパーティ構成から説明しましょう。俺がリーダーのアトス。戦士です。それから神官のイエマと盗賊のウグレ、戦士のエッジ」


「魔法使いがいませんな」


「そうなんです。本当はもう一人、オリビアという女性魔法使いがいたんですが、今離脱してしまっていて」


 エッジとの間に子供ができたオリビアがパーティを一時離脱したこと。

 そういったこともあってここしばらくは近場での冒険にしか行けていないこと。

 やきもち焼きで心配性のオリビアがゴシップ雑誌の記事を真に受けて、「妻が産休中の浮気っていうのがめちゃくちゃ多いから、新メンバーは絶対に男じゃなきゃだめ!」と騒いだこと。

 などなど、アトスが現在の“燃える魂”の状況を説明すると、ヘルートは時折頷きながらそれを聞いた。


「なるほど。最近は、冒険者を志す魔法使いは女性が多いですからな。つまり、そのオリビアさんって方のおかげでこのじじいにご指名が回ってきたってわけですな」


「まあ、はっきり言えば、ええ」


 理解が早い。


「ヘルートさんもその歳まで冒険者を続けてこられたんだ。実力は確かでしょうが……」


「それはまあ、その」


 ヘルートは手を振る。


「そんな大したもんでもないですが」


「謙遜は結構です」


 アトスは言った。


「これでも人を見る目は確かなつもりです。あなたは歴戦の冒険者のオーラを纏っている」


「そんなものを纏ったつもりはないですがね」


 ヘルートは肩をすくめる。


「だがまあ、おかしなものを背負ってるってことはあるかもしれんですな。この歳になるまで、それなりに色々とあったので」


「おい、アトス」


 ウグレが肘でアトスの脇腹をつつく。


「本当にこのじいさんを入れるのか?」


 面と向かって、「このじいさん」と言うのは相当に無礼だが、盗賊というのは一般の礼儀とは無縁の人種だ。


 それが分かっているからか、それとも逆に何も分かっていないのか、ヘルートはにこにこしている。


「パーティの会計的に、次の冒険は正念場になるんだぞ」


 ウグレは険しい表情で言う。


「アルケンのダンジョンに挑むんだろうが」


「だからこそだ。分からないのか?」


 アトスは言った。


「この人はただ者じゃない」


「どこがだよ」


 ウグレは焦れったそうな顔をする。


「なんだ、歴戦の冒険者のオーラって。ふわっとしたこと言ってんじゃねえよ、どう見てもただの老い先短い爺さんだろうが。ダンジョン探索なんてできるわけねえだろ」


「盗賊のウグレさんでしたな」


 落ち着いた口調で、ヘルートが口を挟んだ。


「ああ」


 ウグレは顎だけで頷く。


「さすが、名前を覚えるのは早いな」


 さっき、さらりと紹介されただけだというのに。


 人の名前を覚えるのが早いのは、一つのパーティに長居することなく様々なパーティで冒険してきた冒険者の特徴だ。


 ヘルートもそういう経験が豊富なのだろう。


「こんな年寄りが仲間に入るのは不安ですかな」


「そりゃあそうだ」


 ウグレは遠慮なく肯定した。


「魔法の実力は確かなんだろうが、冒険ってのはそれだけじゃねえからな。魔法使いにだって重い荷物を持ってもらったり、俺たちと同じペースで走ってもらったりしなきゃならねえ時だってある。あんたみたいなじいさんにそれができるのかって話さ」


「おい、ウグレ」


 アトスは盗賊の腕を叩く。


「いくらなんでも失礼だぞ。ヘルートさんだって、この歳まで冒険者をやってたんだ、それくらいの常識はお前に言われなくたって」


「まあまあリーダー、儂は別に気分を害してるわけじゃありませんよ」


 ヘルートは穏やかに微笑む。


「選ぶのは皆さんだ。こんなじじいに命は預けられねえって気持ちもよく分かる」


 そう言うと、ヘルートはにやりと笑った。


「ただ、儂を仲間に加えて後悔はさせねえよ」


 口調がややあけすけになると、その目に歴戦の冒険者しか持つことのない凄みが宿ったように見え、アトスは気圧された。


「これでもまだ体力は人並みにはあるつもりだからね」


 ヘルートは言った。


「食欲だって衰えちゃいねえし」


「あ、思い出した! さっきジャイアントリザードの肝焼き食べてた人だ!」


 やっとそれに気付いたイエマが声を上げる。


「おじいちゃん、あんなまずいのよく食べられたね」


「年寄りにはあれくらいの苦みがちょうどいいんですよ、イエマさん」


 ヘルートはさらりとイエマの名前も口にする。どうやらさっき名前を覚えるのが早いと褒められたのがけっこう嬉しかったようだ。


「おかげで三皿も食っちまった」


「罰ゲーム以外で誰かが頼んでるの見たことないよな、あの料理。あれを三皿も食うなんて、やっぱりただ者じゃないよなあ」


 単純なエッジが感心したように言う。


「ありがとうよ、エッジさん」


 やはり名前を付け加えるが、ウグレも何度もそれを誉めるほど甘くはない。


 ふん、とウグレは鼻を鳴らした。


「それはあんたが単にゲテモノ食いってだけだろうが。冒険とは関係がねえ」


「まあ、そこは否定しませんがね」


 ヘルートは面白くなさそうなウグレを見て、片頬だけで笑う。


「決めるのはあんた方だ。だがさっきも言った通り、儂を仲間にして損はさせねえ」


 そう言ってから、ああ、そうだ、と付け加えた。


「もしも儂がしくじって足手まといになったら、途中で置いてってくれても一向に構わねえぜ」


「なに」


 ウグレが目を見張る。


「どうせ、ほっといてもじきにお迎えのくる歳だ」


 ヘルートは平然と言い放った。


「いつ死のうが、もう誤差の範囲だから、後腐れなく捨てていってくれ。そんなことで恨んだりはしねえよ」


「い、いや。ヘルートさん、それは」


 アトスが言いかけるが、ウグレが先に、


「じいさん。あんた、ただもんじゃねえな」


 と言った。ウグレはすっかり感銘を受けた表情をしていた。


「どんなに年を取ったって命は惜しいもんだ。若いやつよりもよっぽど生にしがみついてる年寄りを、今まで山ほど見てきたぜ。置いてってくれて構わねえ、か。とても言えるもんじゃねえ。覚悟が決まってやがる。あんた、男だな。感服したぜ」


 ウグレは感動したように何度も頷く。


 ああ、そういえばウグレはこういうノリが好きだったな、とアトスは思い出す。


 こいつのよく読んでるゴシップ雑誌『冒険実話時代』に出てくる、男くさい感じの。アトスにはよく分からないが、任侠?みたいな。切った張ったとか惚れた腫れたとかで簡単に命を懸けるような話に、ウグレはめっぽう弱いのだ。


「アトス、決まりだ。ヘルートじいさんはもう俺たちの仲間だ」


「勝手に決めるな」


 アトスはぴしゃりと言った。


「リーダーは俺だ」


「私は別にいいよー」

 とイエマ。


「このおじいちゃん、なんか面白そうだし」


「女じゃなけりゃ、俺は誰でもいい。オリビアもそれで納得するし」

 とエッジ。


「皆さんの総意ということですな。ひとつよろしく頼みます、リーダー」


 アトスが仲間に答える前に、いやらしいタイミングでヘルートが白髪頭を深々と下げる。


「頭を上げてください、ヘルートさん」


 アトスは言った。


「これだけは前もって言っておきます。俺たちには、金が要るんです。だから次は、かなり厳しいダンジョンに挑もうと思っています。あなたがご老体だからといって、フォローできない可能性が高い。それでも大丈夫ですか」


「さっきも言った通り」


 ヘルートはまるで気負いのない顔で答える。


「ダメだと思ったら、置いていってくださいや」


「……分かりました。そこまでの覚悟がおありなら」


 アトスはせめてここでリーダーの威厳を示しておこうと、重々しく言った。


「それではヘルートさん。あなたを我々“燃える魂”の臨時メンバーとして採用します」




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