第32話 死者と魔女と 3
「リドリー!」
叫び声に我に返った。
振り返れば、先ほどと同じ位置にハルディスは立っている。ユハも無事だ。どちらかというと、何が起きたのか理解できていない様子だ。
ほっとしながら、レンテを見る。
「何だ? どうしたレンテ。早くあいつらを!」
カールがリドリーを解放してしまったレンテに戸惑っているようだ。
それでも樹の傍にいたカールがけしかけると、樹はざわめき出す。
周囲を取り巻く黒い影が、壁に映った火影のようにゆらめく。蝋燭の火に揺らめく、たよりない影のように死者たちの姿。
「そうだ、奴らを倒せ!」
カールの号令と共に、空気中の元素があちこちで集まり、星のように輝いた。
爆発前にハルディスが分身を呼び出す。
彼の方が先に攻撃をたたき込んだが、樹の周りにただよう銀の光に遮られる。
次の瞬間には、レンテ側の攻撃が発動した。
リドリーの前にも己の分身が現れて空気が赤く変わるほどの熱を遮った。
「くぅっ……」
熱くはなくても、壁を通り抜けた空気の圧力がリドリーにものしかかる。左肩の傷が痛んだ。それでもやらなければ。
相手は無数にいるため、爆発は間断なく続いている。
分身が壁をつくるよう脳裏でイメージを維持しながら、リドリーは一歩ずつ前へ進む。
途中よろけたところで、ユハが背を支えてくれた。
「おい、大丈夫か?」
リドリーはうなずきを返し、さらに前へ進もうとした。
「おい、何しようってんだ?」
「……手伝って、ユハさん」
進みながらリドリーは彼に言った。そこへ、二人の様子に気づいたハルディスも合流する。
「何かしたいのか?」
すぐにそう尋ねてくれたハルディスに、リドリーは思わず微笑む。
「うん。手伝って、ハルディス。レンテの側まで行きたいの」
リドリーは涙がこみあげてきそうな自分を叱咤して、ハルディスに言った。
「レンテをもう解放してあげなくちゃ」
「わかった」
ハルディスは何も聞かずに応じてくれる。
「なら、樹の側までこちらからも道を造る。同時に攻撃をしかけるんだ。ユハは……」
「俺はカールが余計なことしないよう、あっちにちょっかいかけておこう」
でも、とユハは疑問を口にする。
「やれるのか? さっきは攻撃が……」
「大丈夫」
リドリーは断言してみせた。
「カールが油断してる今の内にしかできない。だから、急いで」
男二人はうなずき、ユハはすぐにでも駆け出せるよう体勢を整える。
「いくぞ」
リドリーとハルディスは壁の範囲を狭め、そして集中した。
壁の中。地からわき上がる粒子が、空から舞い降りる粒と混じり合う。
そして光を明滅させながら渦巻く風となって、レンテへ向かって走る。
「今だ!」
ハルディスに背を押され、リドリーは風に乗って走る。
紫と緑に煌めく風は、予想通りに導きの樹の光に阻まれた。
「だけどっ、これなら」
リドリーは痛みを堪えながら傷口を押さえていた右手を掲げた。
その手に、緑の妖炎をまとう剣が現れる。
リドリーの腕よりも長い剣は空気よりも軽く、リドリーの意志にしたがってまっすぐに突き出された。
それは白銀の光を通り抜け、導きの樹へ、その奥にいるレンテに突き刺さった。
―――――。
ガラスをひっかくような音が響き渡り、ざあっと音をたてて樹が砕け落ちた。導きの樹の欠片は、そのまま銀の光になって、地面に吸い込まれていく。
中心にはレンテが立っていた。
その身を貫いているのは、カールが刺した剣ではない。
「レンテ……」
握った剣を手放すこともできなかった。
手は震えるばかりで、指を離すことすらできない。レンテに剣を突き刺した状態のまま、リドリーは自分の頬を涙が滑り落ちていくのを感じていた。
導きの樹と同化してしまったレンテは、もう助からない。
カールに刺され、死にかけているからこそ、暁の国と彼女自体がつながっているのだ。そして彼女が望んでいたのは、生きることじゃない。
もう人を傷つけたくない。そして、彼女は父親と同じ暁の国で安らかに眠りたかったのだ。
レンテは、リドリーの声に顔を上げた。その口元に懐かしい微笑みを浮かべている。
「リドリー、ありがとう」
囁くような声が、彼女の最後の言葉になった。
石畳の上に、レンテは仰向けに倒れる。そして彼女の体もまた端から砂のように崩れ、光になって空気に溶けた。
「レンテ!」
思わず地面に膝をつこうとしたリドリーを止めたのは、ハルディスだった。
「油断するな、まだカールが……」
視線を転じれば、カールは少し離れた場所からこちらを見ていた。ユハの攻撃でそこまで後退させられたのだろう。彼はレンテの居た場所をにらんでいた。
「役立たずめ」
その言葉に、リドリーは頭に血が上った。
目裏で光がはじけるような感覚と共に、目の前に再び剣が現れる。
ハルディスが驚いて手をゆるめた隙に、リドリーは剣を手にカールへ向って走った。
「レンテを馬鹿になんてさせない!」
横に剣を払うと、疾風が生まれてカールへ襲い掛かる。
カールもまた炎の狼を呼び出して、風を防いだ。その表情が愉悦に歪んでいる。
「なんだリドリー。君はレンテの分身を奪ったのかい? 次から次へと、いろんな能力を見せてくれて楽しいな、君は」
でも、とカールがリドリーを指差す。
「レンテの分身なら、この手は良く効くとわかっているんだよ」
石畳の上に炎の海が現れる。
剣が雄叫びを上げてその姿を消した。同時にリドリーも、死者の国へ精神が引き戻されていく。
死者の国へたどりつくと、気を狂わせるような感覚が少しだけ遠のいた。
代わりに、リドリーの前に立ちはだかる蛇を、炎が飲み込もうとしている。
「お母さん!」
叫ぶだけでどうしたらいいのかわからない。
炎はリドリーの身体にも巻き付き、溶け込むように浸食してきた。再度体の中が焼かれていくような感覚に襲われた。
けれどリドリーは唇を噛みしめて耐えた。
ハルディスもケネスも助けるんだ。それに、レンテ……。
「人の、命をっ」
一歩前へ進む。
「何だと思ってるのよ!」
叫んだリドリーの息が、急に楽になる。
炎を防ぐように、自分の周りに白い樹の枝が張り巡らされていた。
リドリーは枝に触れる。すると一瞬の溶け合うような感覚の後、母親の声が聞こえた。
(リドリー)
その言葉と同時に、枝が網のように伸びた。
そして炎に溶けていった部分から、炎の色が白く変わっていく。触れた場所から、リドリーの意識も枝の中に溶けていく。
リドリーの視界がさらに別なものへとかわっていった。
炎の海が見えた。
赤い波頭の先に、誰かがいた。枝は彼をつかまえる。驚愕に顔色を変えるカールだ。
『なぜ僕の意識に……!』
カールは最初こそ狼狽したが、すぐにリドリーに向かって手を伸ばしてくる。その手が迷わずリドリーの首に伸びた。
『惜しい。けれど君はだめだ。僕に対抗できる存在は危険だ』
カールはリドリーを睨み付けてくる。
『こんな所まで入り込んだ君を、許すわけにはいかない。僕の力に対抗できる者が、いては困るんだよ』
カールの指が、リドリーの首に食い込んでくる。苦しい。いたい。どうして。意識の世界なのになぜ、現実みたいな感覚があるの。
そうだ。
炎の海は、カールの意識が、他者の意識に影響力を及ぼす攻撃だ。でも今は浸食される一方ではない。こちらからも、影響を及ぼすことができる。
リドリーは彼の指を剥がそうとするのではなく、カールの手首に爪を立てる。
視界が霞む。
だけどこれで、最後だ。
「私の血を媒介に、契約を!」
リドリーの声に応えて、黒く揺らめく人影がカールを取り囲むように現れた。
レンテに呼び出され、漂っていた死霊達だ。
彼らはリドリーが爪を立てた部分から、カールの中へと食い込んでいく。そこからカールの身体は黒く凍っていく。
――耳に届く絶叫。
心に突き刺さるような声に、リドリーはめまいを感じた。
一瞬で周りの風景が変わり、壊れた町並みを背景に、目を血走らせて咆吼するカールの姿が見えた。
その背後にいた、胴体が半分食いちぎられたように欠けた狼の分身の姿に、リドリーは自分が暁の国から戻ってきたことを知る。
息をついたリドリーの視界に、疾走するハルディスの姿が飛び込む。
そして彼は、剣でカールの心臓を貫いた。
赤い鮮血が飛び散る。柄まで剣を身体にくいこませたハルディスの手が、赤く染まった。
カールはハルディスを見て口を何度か動かした。
が、声は一つも音にならず、ハルディスは、頬に彼の血を受けながらも、無表情に見つめ返すだけだった。
(終わっ……た?)
カールが仰向けに倒れる。
剣の乾いた金属音と、穀物袋を投げ出したような、重い音が重なって響く。
ふと、リドリーは先輩だった頃のカールを思い出した。
ケネスに怒られないよう、ゼミのノートを貸してくれた事。この町に来る道すがらも、足が痛まないか気を使ってくれた事。
それは全て、リドリーや皆を騙すためのお芝居だったけれど――だけど、もうそうやって優しげなふりをすることもできない。そう思うと、なぜか酷くいたたまれなくなった。
自分が分身となった母親の力を使って、カールの命を奪わせたのだ。
母親の最後の笑みが、脳裏に蘇る。
守ると言って愛おしそうに微笑んだ母親に、人殺しをさせたのはリドリーだ。たとえ、それが母の意志だったとしても。
八年前のあの時も、自分が望んだ結果の残虐さに耐えきれずにいたリドリーは、分身となった母のことも、契約のことも記憶から削除してしまっていた。
綺麗な思い出だけで、生きていこうとした八歳の自分。
なんて、卑怯な生き方をしてきたんだろう。
脳天気に笑って、怖いからと自分のために死んだ人のことなど全て忘れて……。
そこまで考えたところで、リドリーは肩の痛みも遠ざかり、どこかへ漂い出す船の上にいるような、曖昧な感覚に全身を支配される。
意識が暗転したのは、すぐだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます