第30話 死者と魔女と 1
「……ぁあっ」
レンテは喉をそらして天を仰いだ。
空気を吸い込もうとするかのように、口を何度か開け、だらりと頭を垂れる。
その腹からは剣先が飛び出し、服を血でぬらしていく。けれど不思議なことに、レンテはそれほど痛がってはいないようだった。
「さぁレンテ、暁の国への扉を開けよう」
剣から手を離したカールが促すと、レンテは言葉を口にした。
「大地の境を超えた世界、死者の国より来たれ。
空気を走る世界の脈動に我が血を通わせ、その扉となし、
彷徨える暁の使者を我が枝葉とせよ」
オルゴールが何度も同じ曲を繰り返すように、かすれた声で言葉がつむがれ続ける。
そして三度を数えた瞬間、レンテの足元で何かがざわりと動いた。
地から湧きあがる紫の粒子。
それが次の瞬間、ぽっかりと消えうせたかと思うと、闇色の穴が口をあける。そこから銀の光が立ち上った。
レンテの足元を這うように銀の光がまとわりつき、それが幹となった。
葉が繁り出し、新たな枝を伸ばす。幹は一年を一秒に変えたように年輪を増し、レンテの体の表面は、根が駆け巡るかのように血管が浮き出はじめる。露出していた手も、齢を重ねた老婆のごとく血管ばかりが目立つようになる。
あまりのことに、誰も止められなかった。
リドリーは痛みを一瞬忘れて凝視し、首から顔全体にまで張り巡らせた根のように血管が浮き上がるのを見て、思わず目を逸らしそうになる。
「なんだってんだ……」
呆然とユハが呟く。
その合間にも枝は成長を続け、レンテの姿を覆い隠すように球状の幹を持つ大樹となった。
そうして初めて、リドリーは何の樹なのかを知った。
「導きの樹?」
見慣れた青白い木肌。そして成長した樹の葉は、月光の下で銀色に輝いている。
「そうだよ」
リドリーに答えたのは、大樹の横で微笑むカールだった。
「導きの樹について、古い文献を見つけたんだ。あの樹にはいろんな伝承があるけど、死者の国との扉が開きやすい以外にも、あの樹そのものがどうやって発生したのかも知ったんだ。そうして僕らは、契約者の血によって導きの樹を呼び出すことができるようになった」
「契約者の血と命って……」
レンテはどうなるの?
リドリーの問いを無視して、カールは語り続ける。
「君も昔の魔女の伝説を知っているだろう? 魔女狩りを生き抜いたある魔女は、複数の使い魔を従えていた。僕達はそれを実現する手法が記載された本も見つけたんだ」
見ていてごらん。
カールはそう言って、レンテを多い尽くした大樹に囁いた。
「さぁ、レンテ。君の父上を殺した敵は、西の館にいる。わが国を侵略しようとする者達を、焼き払え」
強い風が吹いたかのように木の葉がざわめいた。
青黒い燐光が樹に向って集まっていく。
その元は、広場で倒れ付した兵士達だ。さらに遠くからも集まり、白銀に淡く輝く導きの樹が、青黒い球体に覆いつくされていく。
やがて球体は寄り集まり、黒い鳥へと姿を変えた。
そして羽ばたく。
影のごとき鳥が創り出した風が、赤い炎に変わってゆく。
「…………っ!」
リドリーの分身が壁をつくり、ハルディス達は走り出した炎の手から逃れられた。それでも強い衝撃に壁は一瞬にして砕け散る。
炎はリドリー達を置き去りに進み続けた。
家々の壁を突き崩し、吹き飛ばされたレンガが赤く燃える。それでも炎は突き進み、広場から瓦礫の道を作り出した。
その先に見えた高い塀。
炎は塀をも壊し、中の屋敷へと襲い掛かった。
――轟音が響き渡る。
鼓膜を破りそうな破壊音に耳をふさいだリドリーは、爆発、炎上する館の姿をはっきりと見た。館の周りだけ空白になるほど世界の要素が消え失せて、炎の色が目映い。
確かあそこには、オーランドの兵士達がいたはずだ。カールがそこに追い込んだ。
彼らは敵だ。
町の人を少なからず殺しただろう。
今までだって、紛争のたびに自分たちの国の人を殺してきたはずだ。
でも、これでは。
「虐殺だわ……」
「浄化と言ってほしいものだね」
カールが応えた。
「この方法を使えば、我々の国の兵士は危険にさらさず、そして誰も傷つかずに相手を殲滅することができる。だけどね、契約者の数には限りがあるんだ」
彼はほとほと困ったというようにため息をついてみせた。
「この方法を使えば、まぁ確実に契約者は死んでしまう。いつまで意識があって、いつまで命令が効くのかもまだ定かではないが、一度術を使った場所からは離れられない。木になってしまったんだから当然だね」
カールは背後を一瞬振り向く。
樹の周りには、あの黒い光が輪になって周囲をめぐっている。
「導きの樹になった契約者は、周囲の死者を分身として支配下におけるんだ。これは伝説の魔女と同じ力だよ。彼女もまた死んだ仲間を分身として複数支配することによって、敵を殲滅してきた」
「違う……」
リドリーは思わず口に出していた。
「伝説の魔女はそんな人じゃない」
今なら思い出せる。
記憶と共に封じていたけれど、母親が教えてくれた魔女の話は、そうじゃなかった。
親を殺された彼女は、両親を殺した王様を倒す戦いに身を投じた。
その中で仲間の魔女達は一人一人と倒れていったけれど、戦い続けるため、彼女が寂しがらないように使い魔となったのだ。
それが母親の教えてくれた、複数の使い魔を持つ伝説の魔女の話だ。
「ほぅ? 君は何か新しい情報を知っていそうだね。それも欲しいな」
カールの背後で木の葉が不気味にざわめく。
ほぞをかむリドリーの視界に、二つの影が飛び込んだ。
斜め前からカールへ向かって駆けるハルディス。
カールは攻撃を予期していたのか、余裕を持って剣筋をかわした。その隙にユハが横から飛び込んでハルディスを突き飛ばし、カールから引き離す。
不意打ちに顔を歪めたカールは、風の刃を織りなした。
「だめ!」
リドリーの心に反応した蛇が、ユハとハルディスを守った。しかしその一瞬でカールは次の攻撃を仕掛ける。
「ゃああああっ!」
心臓を掻き回されるような痛みに、リドリーは絶叫する。自分の思考がぐしゃぐしゃになり、気が狂いそうだ。そこから逃れようともがく。けれど気絶するわけにはいかない。
きつく目を閉じると、再び眼裏に白い世界が広がる。
「暁の……世界」
気を狂わせるような感覚が遠のいた。
代わりに、リドリーの前に立ちはだかる蛇を、炎が飲み込もうとしている。
「やだ、母様!」
叫ぶだけでどうしたらいいのかわからない。炎はリドリーの身体にも巻き付き、溶け込むように浸食してきた。体の中が焼かれていくような錯覚に、リドリーは恐怖する。
これは何? リドリーは自問自答する。
カールの攻撃で、レンテが苦しそうにしていた。けれど彼女に外傷はなかった。ではどこに? もしかして精神に?
「やだ! こないで!」
そこまでわかっても、避け方がわからない。
再度炎が自分の足を掴んだために悲鳴を上げる。今度は冷たい。足の感覚が奪われていくような感覚に、背筋が震えた。
その時分身が、鋭い威嚇の声を発したかと思うと、周囲の炎が切り裂かれる。すると怯えたように炎がその手を引き戻していく。
分身はリドリーに向きなおり、口を開いた。
(よくお聞きなさいリドリー)
「お母さん!?」
リドリーは思わず驚きの声を上げる。
先ほどまでは「声が聞こえたような気がした」程度だったのに、今ははっきりと何を言っているのかが聞き取れる。
もう一度話す事ができる。
「どうしてしゃべれるようになったの? ずっとお話できるの?」
(これからも話せるわ。あなたがその血を使うことができるようになれば)
喜びで一杯になりそうだったリドリーを、分身の姿をした母親が諌めた。
(今、私達の精神は死者の国にいる。分身の世界を視ているのよ。炎のように見えるのは、カールの分身の本来の姿。あの分身はこの世界で自分の影響力を広げ、あなたの精神を侵食しようとしている)
遠くで縮こまっていた炎が、また少しずつ広がり始めている。
(あなたの精神は、分身と繋がっているために死者の世界で起きる事の影響を受けるのよ。でもね、あなたが影響を及ぼすこともできる)
「わかったわ、母様」
リドリーは深呼吸して炎をにらみつける。
分身ならば、母と契約した時のようにすればいいのだ。
こちらからは何もしないと思ってか、炎が勢いをつけて押し寄せてくる。
リドリーは炎に向かって自分から手を伸ばした。
「……くっ!」
指先の感覚が失われそうだ。同時に、焼け付くような痛みが手首を腕を襲う。それをこらえて、リドリーは炎を掴んだ。
ここが接点だ。
リドリーは自分の手に意識を集中する。手の中へと進入しようとした炎。そこに宿る意識を遡る。血管をなぞるように。葉脈の流れをたどるように。
そうしていると、映像が目の前で閃く。分身の記憶か?
「エルド……ベル、ク?」
声に出した瞬間、炎が急速に消える。
そして視界が現実へと戻った。
カールが、目を見開いて自分を凝視してくる。
「リドリー、なぜその名を……」
「やっぱりそうなのね」
リドリーは確信した。分身の意識に自分は触れたのだ。そして記憶の通りならば。
「あなたの分身は、従兄弟だったのね。とてもあなたを慕って、あなたの言うとおりにして、だまされて死んだ。そしてあなたは彼の代わりに養子となって家督を受け継いで……」
「うるさいっ!」
初めてカールが激昂した。血走った目でこちらをにらみつけてくる。
「レンテ、こいつ等を取り込んでしまえ!」
導きの樹が膨張した。
いや、樹が放っていた白銀の光が膨れ上がったのだ。白い雲のように素早く広がり、枝のように姿を変えてリドリーを、ハルディスやユハまで取り込んだ。
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