第27話 宴の始まり 5

「でも、そうしたら」


 レンテの分身がもし彼女の父親なら、精神で繋がっているはずの父親は彼女に真実を伝えることはできないのだろうか。

 死後も傍にいながら、何一つ伝えられない契約者と分身の関係が、なんだか哀しい。


 何合目かのレンテの剣を受け止めたハルディスが、鍔と刃で絡めるようにレンテの剣を抑えた。


「ある意味、俺のせいで死んだとも言える」


「坊ちゃん!」


 ユハがハルディスの言葉を遮るように叫んだ。急に何を言い出すのかと思ったのだろう。暗示にかかっているレンテには逆効果だ。

 しかしハルディスはその声を無視した。


「だから仇だと思うのなら殺せばいい。フィンツァー将軍は、俺を助けたせいで、結社に目をつけられたのだから」


 目を見開くレンテを、しっかりと見返す。


「ただし、リドリーを助けた後でだ。結社の事など関係なく、お前自身が復讐したいと考えたなら、俺にそう言えばいい」


 レンテは困惑したような表情に変わる。

 それはそうだろう。

 敵討ちにも応じるというのだ。よほどの馬鹿だと思うに違いない。


「何をバカな。父を殺したのはお前……」


「直接手を下したのは結社だ。軍部に大きな影響力をもつフィンツァー将軍は、結社にとって邪魔な存在だった」


「嘘だ、お前が刺客を」


「刺客なんてものは存在しない。なら、なぜお前たちはオーランドの兵を町に引き入れた!」


「これは仲間を増やし、オーランドを返り討ちに」


 レンテはなおも刷り込まれた暗示を繰り返す。

 けれどその手が細かく震えはじめていた。


「俺は結社に復讐したい。それは、俺のような人間を生み出さないようにするためだ。けれどそれを盾にして自分の罪から逃げる気はない。俺に復讐したいなら、はっきりとフィンツァーの死の真相を受け止めてからにしろ。それからなら、甘んじて斬られてやる」


「おい坊ちゃん!」


 ユハが思わずといった風に抗議する。


「坊ちゃんはやめろと言っただろ」


「いんや、主従関係なくお前さんがあんまりに青臭いことすっからだよ。お前ってさ、馬鹿だろ? どうして自分の命を『欲しいならどうぞ』なんて言うんだ」


「誰にでも言うわけじゃない」


「だぁぁっ! お前馬鹿だよやっぱ! 俺がなんのためにお前を助けたと思ってるんだ。エヴァリーナ様の仇討つんだろ? その当人が他人に殺されたら、お前のおっかさんの無念は誰が晴らすんだよ!」


 ああ、ユハが言いたかったのはそういうことかとハルディスはつぶやく。


「母さんと約束したのは、俺が生きて相手に復讐することだ。だから生きている。だから復讐するつもりでいる。だけど自分がそうしているのに、他人の復讐は肯定できないだなんて、おかしいと思わないか?」


「俺はお前の頭の中がおかしいと思うがね」


 ユハは憮然とした表情になる。それをちらりと横目に見て、ハルディスはほほ笑む。


「死ぬ気はないよ。だけど敵討ちを受けるぐらいしか、将軍に報いる方法がわからないんだ」


「お前、絶対負けない自信があるのかよ」


「さぁな」


 そればかりは、さすがにやってみないとわからない事だ。


「俺はとりあえず、お前に負けられちゃ困る。じゃないと姿を変えたとはいえ、もうエヴァリーナ様に会えなくなるだろが」


 ハルディスはとうとう吹き出した。

 リドリーにも本当にユハがそれだけを心配しているのかは分からない。でも、言い訳として思いつく程度には、心の中でそう思っていたのだろう。


「純愛すぎるよユハ。だから俺はさっさと告白しろって言ったのに」


「できるかよバカ。お前の母ちゃんは高嶺の花すぎんだよ。袖にされるのがオチだろ」


 言葉が終わらないうちに、ユハが走る。

 そして切り結んだまま、ハルディスが強風を送った。

 いくらかカールに邪魔されたものの、その風はレンテを吹き飛ばした。


 同時にハルディスが後退する。

 その隙にユハが小さな袋の中身をばらまく。白い粉が風に乗って舞い上がり、生き残っていた兵士達が次々と昏倒した。


「お前達の使ったケリンより優しい毒だ。昼過ぎまでゆっくりねむってな」


 ふとハルディスの腕が緩み、身体がかたむいた。

 リドリーが駆け寄って右腕で支えようとしたが、その動きでハルディスは自分が倒れかけていたことに気づいたようだ。なんとか自分の足で立ちなおす。


 顔色は既に青白くなっている。息も全力疾走をした人のように荒い。

 一方のカールはまだ平気そうな顔をしている。炎の狼は火花を散らしそうなほど、赤々と燃える炎を宿していた。


 本当にカールに勝って、逃げられるのだろうか。

 不安と恐怖が、リドリーの心を押しつぶしそうだった。

 そのとき、まだリドリーを離さずにいたハルディスがささやいた。


「怖がらなくて良い。万が一の時には、自分の命を優先しろ。主義主張を曲げても、たとえ一時でも服従することになったとしても、生き残ればかならず逃げる機会はある」


 どういうこと? 

 そう聞き返す間もなかった。

 ハルディスはリドリーから離れて、よろめきながら駆け出す。


 ユハも獲物を手にカールへ向って疾走した。

 身軽なユハの攻撃を、カールは余裕の表情で分身の防御で跳ね返す。ハルディスは鳥を呼び出す。カールへ向って飛ぶ鳥を追いかけるように、彼は走った。


 カールは小さな爆発を起こして足止めを狙う。分身を使えないユハは吹き飛ばされ、器用に宙返りをして着地した。

 しかしハルディスは分身の防御により爆発を越え、カールに肉薄する。


 同時に炎が広場を泉のように満たした。

 ハルディスの鳥は掻き消え、ハルディスは勢いのままカールと切り結ぶ。しかし彼は、打ち合いに耐えられなかった。


 ほんの三合目で、剣を握る手が緩んだ事がリドリーにもわかった。

 切っ先が不安定に震えた瞬間、鍔に近い場所への強い打ち込みに、ハルディスは剣を取り落とす。そして心臓をかばった左腕にカールの剣が突き刺さった。


 リドリーは悲鳴も上げられなかった。

 目の前で左腕を抱きしめるようにして、膝をつくハルディスをじっと見つめていた。

 カールはハルディスを睨みつけた。リドリーに向ける、サーカスを観覧する客のような笑みとは、大違いだった。


「道具は道具らしく動かずにいればいいものを、逃げ出した上に邪魔ばかり……」


 カールは、うずくまるハルディスの脇腹を容赦なく蹴り上げた。苦悶の表情で、その場に転がるハルディス。


「やめ……っ!」


 制止しようとした声は、ほんの小さなものだった。けれどもカールはリドリーに視線を向け、楽しそうに笑う。


「はじめはケネスを生け贄にしようかと思っていたんだけどな、ハルディスでも君の恐怖心を煽る効果はありそうだね」


 彼は立ち上がることもできないハルディスの髪を掴み、起き上がらせた。その首にハルディス自身の血がまとわりつく剣の刃を当てる。


「や、やだ……ハル……っ」


 うわごとのように叫ぶリドリーを、ハルディスは視線だけで振り向く。そしてほんの少し、微笑んだ。

 カールのように、残虐な楽しみに震えるような笑みではない。それは、たとえば道ばたで子猫を拾った人が浮かべる、愛おしむような笑みだ。

 最後の瞬間に、同じように微笑んだ人をリドリーは思い出す。


(お母……さん)


 リドリーの脳裏で、めまぐるしく記憶が再生されていく。

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