第15話

 ドワーフ達が来村してから、ちょうどひと月経った夕暮れ時――


 「マンボの開通式を行いまーす!」という、『拡声』魔法を通したアイラの呼びかけに応え、式典の会場であるネル山の麓には、人だかりが出来ていた。

 シグル、ジャンにドワーフ達、直接工事に関わった者はもちろん、ホムラ、フランシスに村の長老ロンボルグや副村長マールの姿も見える。英雄達の呼びかけに応え、交易都市ロウニャから慌てて戻った若者達をはじめ、夕餉前の慌ただしい時間だというのに、実にネール村中の人が集まっていた。


「おォ! アイラァ、最後は領主様がバシっと決めてくれやァ!」


 長い共同生活ですっかり意識が薄くなっていたが、紛れもなくドワーフの王であるグリムが、ケヤキの木から削り出した、無垢の剣先スコップをアイラの前に突きつけた。

 ドワーフの神具なのだろう。その柄には紅白に染められた組紐が巻かれ、持ち手には小さな鈴が二つ。グリムが動く度、しゃらんしゃらんと、アイラの望郷心をくすぐる音を奏でた。

 故に、重圧がのしかかる。アイラは外に音が聞こえるほど力一杯唾を飲み込み、目の前に差し出されたスコップを、震える小さな両手で受け取った。


 ドワーフの職工長達の手招きに従い、儀式のために土で塞がれたマンボの出口へ一歩二歩と進むアイラ。

 軽いはずの木のスコップはずしりと重く、数歩ばかりの目的地は、いつまで経っても近くならない。勇者の心臓に迫る魔王の爪先を矢で弾いた時よりも、遙かに重いプレッシャーをアイラは感じていた。


 道半ば、アイラはぜえぜえと息を切らせて立ち止まる。

 ゆっくり深呼吸を一つ。ある人物の前でスコップをゆっくり水平に持ち直し、アイラは重々しく口を開いた。


「やっぱり私じゃダメみたい。……最後の土は、一番頑張った人に出してもらわなきゃ」


 アイラは新緑の大地に跪き、シグルの胸の前にスコップをゆっくりと掲げた。


「――……ッ!?」


 春の紫外線は存外強い。地下と地上を行き来する連日の作業で、シグルの肌は元の色など忘れてしまう程にこんがりと焼けている。

 目鼻立ちや輪郭は当然エルドと瓜二つだが、彫りの深まった顔からは、確かな逞しさを感じる。


 髪の色と瞳の色が違うことも手伝って、宮殿で別れたひと月前の勇者エルドとは、まさに別人。五年間死線をともにした仲間ですら、今なら欺けるかもしれない。


「お、おやめ下さいアイラ閣下! 拙者にそのような資格はありませぬ!」

「……ねえ、グリム? それでもいいでしょ?」


 近くで見守るグリムと目を合わせ、アイラは小首を傾げた。


「あァ、もちろん構わんぜェ! 地脈や水脈、龍脈に触れる工事の仕上げはよォ、ドワーフの流儀じゃァ、その地を統べる者がやるってェ事になってんだァ。……そういう意味じゃァ確かに、シグルこそが適任だろォなァ!!」

「……だってさ。お願いできる、シグル?」

「だが拙者、最後までグリム陛下達の足を引っ張り続け――」

「かっかァ! 確かに、覚束なかったのは事実さァ! だが、このシグルはよォ、顔と服とでしっかり仕事してくれたんだぜェ! 今じゃァ立派な工員! オレェ達の仲間って事だなァ!!」


 グリムは、大声でシグルの言葉をかき消した。

 この場にいる四人のドワーフ職工長達がみな感慨深げに目を細めているという事実が、シグルの努力を証明している。


「……だってさ?」

「皆さん。……アイラ……殿」

「私もね、シグルがとっても頑張ってた事は知ってるよ。だから、お願い。最後のお仕事、任されてよ。見てよ私の手。さっきから震えが止まらないの。お前じゃダメだって、フォルテシア様がそう仰っているんだよ、きっと」


 アイラは眉をハの字にして、小さく舌を出した。

 見回せば、村人達はただ二人の様子を見守り、無言で頷き続けていた。一生懸命汗を流す者に最上の敬意を示すのもまた、農村の特徴である。


「拙者の人生、これほど必死に労働したことはなかったでござるよ。汗を流した後の、閣下の手料理と井戸水で割った蒸留酒が格別で、毎日毎日感謝しかなく、ううぅ――……」


 木々の日傘を通り抜けた柔らかい茜色が、声を詰まらせるシグルの鼻先と目尻で光の粒となって留まっていた。


「もう、シグルったら。泣くのはまだだよっ! 水が通ってからも仕事はたっくさんあるんだからね! 代掻きに田植えでしょー、それから雑草引きに追肥、水の管理もね。稲刈りしてからだって、干して脱穀して籾摺り……。とにかく、マンボ造りは第一歩、まだまだ働いてもらうんだから!」


 半ば強引にスコップを押しつけ、アイラは背伸びをしてシグルの頭を撫でた。


「あァ……良いムードのところ悪いがよォ! ちょいと急いでくれやァ!! シグルは分かってんだろォ! 今頃ボガードとテオが母井戸を地下水脈と繋げてやがるってなァ! ちんたらしてたら二人が水没しちまうぜェ!!」


 二人の肩を叩きながらグリムは、けらけらと笑う。

 水を含んだ泥は重くなり、横井戸掘りが難航するため、母井戸――最も深い竪穴――と水脈との接続は最後に行う手筈なのだ。


 ちなみに、この場で横穴を貫通することになってはいるが、それはあくまでフリ。排土のために開けてあった穴に、儀式のために土で薄く蓋をしてあるにすぎない。


「……身に余る光栄にござる。この恩に報いるため拙者、アイラ閣下の下、今後も粉骨砕身働くことを誓うでござるよ」


 袖で目を拭い、シグルはスコップを持つ手に力を込めた。


「よしよし、許そう! ……みんなぁー! 聞いたよねっ! シグルはずっとネールに居てくれるんだって!」


 村人達を振り向いたアイラが片目をぱちりと閉じると、今日の一番の歓声が上がった。

 それもそのはず。働き者で愛想も良く、おまけにイケメンのシグルは、アイラ、クッキーに次ぐ村の人気者なのだ。


「この場で言質を取るとは。さすがだな、アイラ」

「全てはアイラ嬢の術中であったというわけか……。恐れ入るわい」


 遙か後方、様子を見守っていたホムラとフランシスは笑いを堪えていた。


「そこ、全部聞こえてるよ! 人聞きの悪いこと言わないでよね!」


 今度は笑いが巻き起こる。アイラの強かさと優しさ、そして、勇者パーティー四人の絆の深さを、ひと月の交流を重ねた村人達はよく知っている。


「もー……。何だか最近、領主としての威厳が無くなっちゃったような気がするんだよね……。ま、別に良いか。……ほらほら、シグル! ザクっといっちゃってよ! ボガードさんとテオさんが溺れちゃう前に!」

「……承知したでござる」


 力強く頷いたシグルは、母神フィオーレと地神ダイチに祈りを捧げ、勢いよく無垢のスコップを突き出した。しっかり腰が入ったひと突きは、やはりエルドの時とは別格だ。


 突き崩された箇所から水が染み出す。

 次の瞬間には、薄い土の壁に押しとどめられていた地下水が、マンボから旧来の用水路に繋がる導水路へ一気に流れ出した。


「水……水だ……」

「奇跡が起こったぞおぉお!」

「我らが領主、アイラ様を称えろ! 胴上げだぁ!」


 どこからともなく声が起こると、あっという間に伝播していく。


「え! 嘘!? どうして私……っ!?」


 村の若者達がアイラの周りを取り囲み、歓声と共に小さな身体が一回二回と宙を舞った。

 その間も、乾ききった水路はしゅわしゅわと音を立て、下流へとマンボ発の水を滑らせていく。


「アイラ式マンボの実力はこんなもんじゃねェだろォ! おォい、おめェら! オレェ達の仕事っぷり、見せつけてやろォぜェ!」


 グリムが金属のスコップを掲げると、ドワーフ達とシグル、ジャンは地鳴りのような咆吼で応えた。


「うぅー……死ぬかと思ったよぉ。はい、シグルもこっちの方がいいでしょ」


 熱狂から生還したアイラは、儀式用の綺麗なスコップをシグルの手から取り上げ、代わりに傷だらけで、先っぽが欠けたり凹んだりしている鉄製の角形スコップを手渡す。


「かたじけない。我が相棒ネギュラ。やはり、こいつがしっくりくるでござるよ!」


 得物に名前を付けるのはエルドの癖だ。その様子を見てくすりと笑い、アイラはシグルの背中を力一杯押した。


「……その方が、ずっと格好いい」

「? アイラ殿、今、何と?」

「何でもないよー。ほらほら、早くいかないと、仕事がなくなっちゃうよ!」

「おお! そうでござった!」


 奥で作業をしていたボガードとテオが加わり、七人のドワーフの職工長達とシグル、ジャンの手によって、間もなく完全にマンボは完全に開通する。

 百八十センチと背の高いシグルでも中で維持作業が出来るように、深大に造られたトンネルの威容は、圧巻そのもの。


 心配していた地下水の水量も十分なようだ。太い地下水脈に接続されたマンボの口からは、轟々と水が吐き出されている。

 夜が明ける頃にはため池を満たし、数日すれば、新しく開墾した水田は水を湛えることだろう。


 父母の手を引き、子ども達は声を上げながら元気いっぱい水路伝いを駆け出した。舞い落ちた落ち葉とのかけっこが始まる――


「私たちが守って、育てていくんだよね。お父さん」


 アイラは、かつての自分と父とを重ねていた。目には望郷の涙が浮かぶ。


 そして季節は巡り、収穫の秋――

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