第13話

「一人一日二合強のお米を食べるとしてネール村の人口は三百三十一人だからざっと一日七百合。一合は百五十グラムだから年間の消費量は大体三十六トン稲の反収を化成肥料のない江戸時代と同じ百五十キロと仮定すると二町四反も開墾しないといけないんだ厳しいけど今年のところは狩猟とか王都からの支援物資を組み合わせて米食を七十パーセントくらいに抑えればなんとか……」


 ドワーフ達がネール村に到着してから、さらに数日が経過した昼下がりのこと。

 アイラは、ドワーフの鍛冶長ボガード制作の、巨大な重量有輪犂を曳くボナコンの背にまたがっていた。


 セレニアル北部雪原と呼ばれるこの地域を縄張りにしている神獣ボナコン。「神獣にそんな労働を頼むなんて……」と尻込みしていたアイラの不安とは裏腹に、水田開墾への助力を二つ返事で了解してくれた。

 特別な供物を捧げたわけでも、アイラが弓で脅したわけでもない。単に「運動不足を解消したい」らしく。


 大型船のような巨大な体躯、頭には捻れた三本角。厳つい見た目とは裏腹に穏やかな性格のボナコンの背には、いつも何人もの子ども達が座っていた。ボナコンは眼を細め、満更でもないといった風である。


「おぉーい!! アイラー!!」


 南の方角、真昼の太陽の下から酒で焼けたハスキーな女性の声が響き、没頭モードのアイラははっと我に返った。

 今まさにマンボの工事が行われているネル山から伸びる細い街道の上。ボナコンの背に立ち上がって手をひさしに。世界最高のレンジャーたるアイラの遠目には、馬に跨がる人影が二つ。


「……やっぱり来てくれた! ホムラ姐さんとフランシス爺だっ!」


 喜びに、アイラはボナコンの背でぴょんぴょんと跳びはね、大きく手を振った。


「ありがと、マカロン! 少し休んで――」

「気にすんなー、お嬢。天気が良くて気持ちがいいからなー。この子達の重さも按摩にちょうどいいんだー。まだまだ運動したいんだよねー」

「助かるよ! また水浴びに付き合うからっ!」

「あいよー」


 「クッキーだからマカロンね!」と謎の論法でそう名付けられたボナコンは、散歩がてら鋼鉄の爪が何本もついた超々ヘビー級の犂を曳き、広大な荒れ地をみるみる開墾していく。

 塩害が大敵と知っているアイラは、用水路沿いの雑草の分布から稲作に適した土壌を選び抜き、早速開墾を開始していた。


 人力では到底不可能だが、人知を遙かに超えたマカロンのパワーのおかげで、何とか苗の受け入れには間に合いそうである。


  ▽


「水くさいじゃないか、アイラ! 王室など通さず、直接連絡をくれれば良いというのに……。私とお前とは、その程度の仲だったのか?」


 間もなく、二台の荷馬がネール村の中央広場に到着した。

 酒精の匂いを漂わせるホムラは開口一番でそうぼやき、勢いよくアイラの肩を抱いた。


「うわわっ! お酒臭いよぅ、ホムラ姐さん!」

「許せ、アイラ。私の国では旅には酒と決まっているんだ」


 がらがらと、ホムラは嗄れた声で朗らかに笑う。


「お酒大好きなのに、おあずけが長かったもんねー……。姐さん、言い出せなくてごめんね。大見得切った直後だったから、お願いしにくくって」

「何を今更! 恥など全て、先の旅でかききっただろう?」

「ホムラ姫の言うとおりじゃ。エルドのやつなど、お主が経ってから二晩と我慢できず、大泣きでドッペルゲンガーの使用を乞いにきおったぞい?」


 長い髭を撫でる賢者フランシスもまた、仄かな酒精に溺れ、上機嫌に笑っている。


「エルドと一緒にされるのも、なんか嫌だったんだよぅ……」

「かっか! それもアイラらしいな。……で、あの馬鹿はどこにいる?」

「おっかしいなー……私、エルドには会ってないんだ」

「ほう?」

「代わりに森で私を襲撃してきたのは、東方で修行を積んだ武人、シグルだよ! エルドなんかより、よっっぽど頼りになる自慢の護衛なんだ!」

「……くっく。東方の武人、それも『シグル』とは。是非一度、手合わせを願いたいものだ」


 ホムラは腰に佩いた太刀の柄に手を添え、にやりと嫌らしく口元をつり上げた。


「今はお仕事手伝ってもらってるから、木剣にしておいてあげてね? ……それより、王室でエルドに聞いているとは思うけど」

「心得ておるとも。隠密行動であれば、儂らの右に出るものはおらんじゃろ?」


 そう言ってフランシスが手を振ると、六台の荷馬車が一斉に姿を現した。『隠微』の上位魔法だ。通常、呪文を唱えた者自身を一定時間不可視にする魔法だが、世界で賢者フランシスのみが使えるそれはレベルが違う。

 自らを中心に半径五十メートルほどの範囲に付与できるばかりか、気配すら完全に消す。その上、ちょっとやそっとのダメージでは解除されないというおまけ付きだ。魔王城の隠密調査などにも、とても重宝した。


「出立から荷積み、道中からネールに至るまで。エルドの息がかかった者以外は誰も、この荷馬車を目撃してはおらん」

「さっすがフランシス爺だね! ありがとう!」


 フランシスの右手を両手で包み、その場でアイラはぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「……しかしアイラよ、どうしてこのように遠回りな事を? 王都でなくとも、近くに豊かな領地はあるだろうに」

「支援を受けてしまったら、領地としての立場はどうしても弱くなっちゃう。助けを求めたら、私の事を警戒している貴族が、諸手を挙げて支援物資を送りつけてくることは目に見えてた……」

「ホウリックは『王国であって王国でない』ことを誇る土地じゃからのぉ。ネールの自治と村人の自尊心、命を守る妙案じゃ!」

「皆がいないと出来なかったよ。ありがと、本当に」

「ほっほ! またアイラ嬢の役に立てるとは、至上の喜びじゃわい!」

「……ふん。おかげで私は退屈だったんだ。野盗の一人でも出れば、特別に全力を出してやっても良かったんだがな」

「や、やめてよね! ホムラ姐さんが全力なんか出したら、山が真っ二つになっちゃう!」


 『剣姫』と名高いホムラの剣技は、勇者エルドをも凌いで世界一だ。負けん気も強く、「聖剣縛りさえなければ魔王の首を取ったのはこの私だ!」と、魔王城からの帰路に幾度となくぼやいていた。ちなみに、勇者エルドはホムラの剣の弟子でもある。


「冗談さ。だが、せめて肩慣らしくらいはさせてくれ。インビジの行動制限は息が詰まるんだ」


 言って、鞘に収められたままの剣を軽く振るホムラ。

 力の奔流。周囲の家々が嵐の突風を受けたように、ぐらりぐらりと大きく揺れる。


「わわっ! 姐さん、力加減――」


 「何事だ!」「地震か!?」と村中が騒ぎになる。


 昼食中だった村人達が次々と家を飛び出し、有事の避難場所である中央広場に大慌てで駆け寄ってきた。

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