第10話
「交渉事はエル――……シグルの得意分野。私には私にしか出来ないことをやらなきゃ、だね」
シグルとクッキーがドワーフ王国へと旅だった翌早朝。
王室のエルド宛てに、当面の支援を求める伝書梟を飛ばしたアイラは、マンボ開発の具体的な構想を練りながら、用水路伝いネール村中を歩いていた。
縦横無尽にクラックの入った薄い茶色の裸地――元々は水を湛えた水田――を見て、アイラはあることに気づく。
「白いつぶつぶが浮いてきてる。もしかして――……!」
畦をぴょんと飛び降り、砂粒を小指で一撫でして舌に乗せるアイラ。
「ッ!!」
あまりの辛さが舌を刺し、堪らずそれを吐き出した。
「やっぱり塩害……。海なんてずっと向こうなのに? これもきっと、乾燥のせいだよね」
水田は、多量の水で土壌を洗うために塩害や連作障害とは無縁。それゆえ、国土が狭く、農地が限られたアイラの故郷では広く利用されている。
ここネール村でも古くから灌漑を用いた米作りが行われ、小さな集落、少ない労働人口で長い冬を越える事ができていた。
ネール村の冬は長く厳しく、穀物や野菜の生産に保存食や防寒具の作成、加えて、薪の調達と乾燥はいずれも最重要課題だ。どれが欠けても冬を越すことは出来ず、一年の半分はその支度をしているといっても過言ではない。
「ジャン、小麦を作り始めたって言ってたけど、酷い連作障害が出てるかも。除塩するとなると……土壌改良材なんて無いから、大量の水で流す一択。マンボが出来ても時間が足りない。いっそ、新しく開墾したほうが……」
ぶつぶつ言いながらも、水脈探しに役立てばとアイラは、村中の浅井戸と深井戸の分布を模写しておいた地図に書き込んでいく。
ドワーフは地底に街を作るほど大地に精通しているのだから、地脈・水脈・龍脈を探る何かしらの秘術を持っていると考えるのが筋だ。それでも、何かしなければと気が気ではなかったアイラである。
乾いた風が土埃を巻き上げ、アイラの目の前を通り過ぎていく。水路の脇で動きを止めている幾台もの水車が、もの悲しく思えてならない。
▽
アイラのネール村おこしは続く。
同じ日の昼下がり、アイラはネル山の裾、村に来る前マウンテン・ベアを解体したあたりにやってきた。
まだ遠いが、鍛えたアイラの目には、がっちりとした体格の男が大きく手を振る姿がはっきりと映る――
「おーい! アイラー!!」
ジャンである。先に到着し、のんびり到着を待つつもりであったアイラは、慌てて駆け出した。
「ごめんね、ジャン。考え事しながら歩いてたら、遅くなってたみたい。……私、遅刻しちゃった?」
「いや、遅いも早いもないぞ? オレ達農民は太陽と共に生活してるからよ。その辺は結構緩いんだぜ。それに、教わる側が場を温めておくのは普通のことだろ?」
「あー……そかそか。父さんも確か、そんな風だったっけ」
アイラは顎に人差し指を添え、村の集会にはやたらと早く出かけていく父の姿を思い出して苦笑する。
「それにオレ達、久々に何かやりたいってそわそわしてるんだ。アイラが希望を見せてくれたおかげでな。朝から苗代を作ったし、ありったけの種籾を水に浸しておいたぜ!」
歯を見せ、ジャンは親指をビシッと立てた。
「昨日の今日だって言うのに、仕事が速いね。……えぇ! ジャン今、全部って言った!?」
「ああ。確かそういう指示だったろ? まずかったか?」
「ううん。……どの道やるしかないから。背中、押してありがとね、ジャン」
苗は待ってはくれない。悠長に除塩をしている時間はなさそうだと、アイラの心の中で開墾の覚悟が今決まった。
「……? アイラが喜んでくれるなら最高だぜ」
はにかむジャンの傍で、アイラは早速、神獣の力を借りて開墾が行えないかと計算を始めていた。
強大な力を持つ神獣だが、世界に数えるほどしか存在せず縄張り意識も強い故、気難しい者が多い。
「確か、ホウリックのあたりは牛の神獣、ボナコンの縄張り」
ボナコンは船のようなも大きな体躯と、三本の捻れた角を持つ牛型の神獣だ。
「牛……かぁ。牛と言えば開墾、牛馬耕……。いやいや! さすがに神獣にそんなこと……――」
アイラの脳裏を、幅広の犂を曳くボナコンの姿が過った。極めてプライドの高い神獣が、単純労働に力をかしてくれるかしらと不安になる。
いざとなれば宝物で釣る、力を誇示して従わせるなどアイデアはあるが、まずは会って話してみる必要がありそうだ。
「……はひゃっ!?」
そんなことを考えていると、何かがアイラの鼻先に触れた。視点を移すと、怪訝な表情を浮かべたジャンが、ひらひらと手を振っていた。
「おーい。平和ボケか、アイラ? はっは! 今のアイラなら、俺の下手くそな弓でも倒せちまいそうだな!」
ジャンは天を仰ぎ、からからと上機嫌に笑っていた。
「ごめんごめん。考え事をしててね。でもね、ジャン。そんな私に勝つにも、五百年は早いよ」
さすがの負けず嫌いである。すかさずジャンの手を掴み、アイラは少ない魔力を滾らせた。
少ない、とはいっても世界最強のパーティー比なので、常人にはかなり刺激が強い。
直接の敵意を向けられたジャンは勿論、その背後に控える村の若者達も一瞬で額に汗を浮かべ、一歩二歩と後ずさり――
「悪い、悪い、許してくれ! ……そういやアイラって、こういう奴だったな」
「私の方こそごめんね。ついムキになっちゃった」
ジャンの手を放し、アイラは自らの手を後ろで組んでにへへと笑う。
「……やっぱりオレには荷が重い、か? シグルにもすげぇ人脈があるみたいだし、かなり強そうだったからな」
ジャンがぽつりと呟く。誰の耳にも聞こえない小声は、アイラと交流のある者なら大体使える秘技だ。マズい事を聞かれると後がかなり面倒なので、みな自然に習得する。
「ふぇっ? ジャン、何か言った?」
「いやいや、何でもねえ。それより、領主様の指示通り、村の若手に声をかけておいたぜ。自己紹介は……歩きながらでいいな」
ジャンの後ろに控えているのは、アイラの狩猟指導の呼びかけに集まったネール村の有志達。
それぞれ簡素な弓を背負い、腰には十本ほどの矢が込められた矢筒を巻いている。ポーチには鉈とスキニング・ナイフ、飲料水に、貴重な米を握り固めた非常食も忘れない。
「装備もバッチリみたいだね。みんな、今日はよろしくねっ!」
アイラは天使のような笑顔を振りまくが、青年達の伸びた背筋はそのままだ。身じろぎ一つしないでいる。
「うんうん。狩猟は危険だからね、緊張感は大切」
腕を組み、満足そうにアイラは首を上下に振った。
「それだけじゃないと思うが……」
「?」
「と、ところで、アイラ。世界最高のレンジャーと名高いお前の指導となれば、王都にはいくらでも金を積むヤツがいるんじゃねぇか?」
「いたけど、全部断ったよ。面倒くさいし、私の技術は山や森で身につけるモノばかりだからね。屋敷の庭園でお茶を飲みながら教えられることなんて、毒を見抜く術くらい。つまらないよ」
「なるほど。アイラらしいぜ」
ジャンは愉悦に笑う。
「確か……一日二千ゴルドで依頼が来てたって話」
「に、二千ゴルドだとぉ!? どんな仕事だよ!」
「夜の森での狩猟講義だって。……下心見え見えで引いたよ。エルドも怒ってた」
王都の役人の、一ヶ月の給料が約百ゴルドで、それは高給取りの部類に入る。
「はっは。アイラに返り討ちにされるそいつのツラも拝みたかったがな!」
「私の出る幕はなかったよ。そのすぐ後、お家取り潰しになったから」
「お、おう……」
当然、叩けば埃がいくらでも出る家だったのではあるが……。その件での、エルドの手際は迅速そのものだった。
「なあ、アイラ。俺達は五人だ。一万ゴルドはとても払えないぜ?」
「領民からは税以上にもらわないから安心して。もちろん、税だって全部倍以上にして還元するつもりだよ!」
アイラが淀みなく声高らかに宣言すると、わあと歓声が上がった。
「そりゃあ最高の領主様だぜ!」
「うん! 最高の領地にするよ!」
「おう、それじゃあ早速奥へ――」
「待って、ジャン。……その前にルールを確認」
「ルール?」
「一つ目、私の指示は絶対に守ること。二つ目、配置につくまでは絶対に弓を引かないこと。いい? もし破ったら、その人が二度と弓を持てないように懲らしめないといけないんだ。……だから約束、守ってね?」
お日さまのように、にっこり微笑むアイラ。
ジャンをはじめ青年達は顔を青くし、一斉に唾を飲み込むのだった。
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