Ⅱ章―—俺たちの夏がやってきた

05  飛び込むとき

 さんざん熱せられた島が焼き色をつけている頃、妙な脱力感を背負って家に戻った。

 ドアを開けてすぐ、至高の香りが誘ってくる。格子の木があてがわれたすりガラス越しに聞こえてくる楽しげな声を素通りして、階段を上っていく。

 脱ぎ捨てた服が数枚床に転がっているが、今は片づける気になれない。エアコンのスイッチを入れ、勉強机の横にリュックを置く。背中を預けたベッドがか細く鳴いた。


 後頭部に枕代わりの両手を添えて目をつむる。

 中学からずっと帰宅部で、習い事とか柄じゃない。今の生活に不満もない。楽しく毎日をすごせたらそれでいいと思っていた。


 他人と比べて自分を値踏みする趣味はないが、同年代が頑張ってるのを見聞きするとなんか無性に焦る。今までは俺は俺、他人は他人で嚙みわけて、他にも俺みたいなヤツはいるさって自分に言い聞かせていればどうにかなった。


 きっと昔より賢くなったからだ。否応なく周りとの差を突きつけられる。一列に並んでよーいどんで始まった人生シナリオじゃないから差があって当然だけど、やっぱ自分の将来を少しくらい考えてしまう。

 村島や朝川、ヤブも、将来のこと、考えてんのかな。真面目腐った話なんかしないからなぁ……。


 海岸で出くわした折谷の表情が思い浮かぶ。敵意を向けてくる折谷。悲しそうに海を見つめる折谷。澪さんにやらされてる? それだけなんだろうか?


 腹の虫が限界を知らせた。おまけに眠気まできやがった。入るかどうかはまた今度決めよう。

 俺は電気を消し、自分の部屋を出た。




 どこもかしこもうだるような熱気が今日も充満している。この季節で一番厄介なのは無論、熱中症だ。

 避難場所は建物の中で、かつ冷房のいた教室と決まっている。だがさっきまでかったるい授業を受けていた教室にずっと留まっているのも気が滅入るってもんだ。こういう時はベランダで涼むに限る。

 ゲームセンターでもらったうちわで扇ぎながら他愛のない話をする。わずか十分の休憩でできることといったら、それくらいなものだ。

「お前、聞いたぞ」


 いかつい顔した村島はニタつきながら意味深に話題を振ってくる。

「昨日浮島さんに捕まったんだろ」

「お前、浮島さんのこと知ってんのか?」

「知ってるも何も、この島に住んでたら誰もが通る関門だからな~」

「誰彼構わず声かけていくんだ、あのおっさん」

 朝川は呆れた様子で微笑する。

「学業が本分の俺たちにゃあ荷が重いってなもんよ」

 ヤブも調子よく肩をすくめておどける。

「たいして勉強してねぇじゃん」

「それを言うな」

 朝川は村島の苦言にしかめっ面で返す。


「でも、アイツはやってるよなぁ」

「折谷か?」

 俺は首肯する。

「折谷んちがダイビングスクールやマリンスポーツ店をやってるから、仕方なくじゃね?」

 ヤブの推測も一理あるが、浮島さんと話してた感じは優しそうだった。子供に強いるような人には見えない。

「それか、浮島さんに弱みを握られてるとか⁉」

 朝川がゲスな顔していやしい笑みを浮かべる。

「そんなこと言ってると、マジで弱み握ってくるぞ」


 村島は声を潜めておっかなそうに警告する。浮島さんには頭が上がらないらしい。

「それとも、アイツも探してんのかな?」

 何気なく推測してみた。

「は?」

「マリンフェアリー」

 空気が変わったのを如実に感じた。三人の表情が引きつっていた。


「な、なんだよ」

 朝川は口の横に手を添えて顔を寄せる。

「間違っても折谷にはマリンフェアリーの話はするなよ」

 朝川の口調が冗談抜きでヤバいと言っていた。

「なんでだよ?」

「折谷のお父さんが……」

 俺たちの会話をさえぎるようにチャイムが鳴った。


「ヤベっ、次の授業、笹倉ささくらだ。早く席につけ!」

 肝心なところを聞けず、モヤモヤしたまま授業を受けるしかなかった。




 午後のホームルームが終わり、賑やかな声が散らばっていく。

「キオ、帰ろうぜー」

 ヤブたちがカバンを持って近づいてくる。

「今日も『でんでん』でやり込もうぜ」

「今日こそ俺が倒してやるよ」

 村島はガッツポーズで意気込む。そうしたいのは山々だったが、俺も新天地で挑戦してみたい。


「悪い。俺、ちょっと用があるんだ」

「用って?」

 朝川はキョトンとする。

「ちょっとな」

 俺はリュックを取り、肩にかける。

「んじゃな」

 俺は教室を駆け出た。弾む心のままに、新天地という名の海へ飛び込んでいく。


 突き動かす衝動に任せて、止まることなく辿りついた。

 楽しげな声を横切り、店に入る。息を荒くして、汗だくになりながら真っすぐ進む。すると、目立つ髪をした女性と目が合った。

「あーいらっしゃい。えーっと、どうしたの? そんなに汗まみれで?」

 俺はカウンターに近づき、リュックを肩から外す。袖口で額を拭い、リュックから紙を出した。


「俺、入るよ。あんたたちの海の活動に」

 澪さんは柔らかく笑った。

「わかった。みんな喜ぶわ」

「よろしくお願いします!」

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