マリンフェアリー
國灯闇一
Ⅰ章――海の伝説
01 夏だ! 海だ! 海水浴だ!
陽気な季節に誘われ、俺は部屋を飛び出した。階段を駆け下り、クロックスに足を入れ、自転車に飛び乗る。太陽がもたらす熱気を吹っ飛ばし、ペダルを漕いでいく。
畑のあぜ道に止まっている軽トラのそばに人影がある。白いタオルを頭に巻いた、ガタいのいいオジサンと目が合った。
「お、
「こんにちはっ!」
俺は大きく手を振って先を急ぐ。
「お出かけかい?」
降ってきた声に顔を上げる。女性がベランダから弾けんばかりの笑顔を向けていた。
村島の母ちゃんか。
隣でベランダの
「はい!」
「気をつけて行くんだよー!」
「行ってきまーす!」
「「行ってらっしゃーい‼」」
「コラ! そんなに体を乗り出したら危ないじゃないか!」
早速怒られてやんの。これもこの季節のせいか。
――――待ち望んだ季節。夏。
この島には、夏が似合う。
だってこの島は絶景の海があるんだぜ? 楽しまない手はねえだろ!
自転車が下り坂に差しかかり、加速する。海風を切る音と風圧が通りすぎていく。視界の遠くでコバルトブルーの海が広がっている。
今日も絶好の海水浴日和だ! 思う存分遊ぶぞおおおおー!
焼かれたテトラポッドの上。水がかかってないところはまともに歩けたもんじゃない。
「アチアチッ、ひぃい~~!」
「キオ、腰が抜けてんぞー」
「その程度の熱さで
海からワイワイと俺を馬鹿にする。朝川とヤブ。俺のクラスメイトだ。
俺と違って生まれも育ちもこの島の住人。こいつらはまだ俺をよそ者扱いしてくる。冗談とわかっているが、ムカつく……。
「ウッセエッ! お前らと違って俺は繊細なんだよ!」
テトラポッドに手をついてるようじゃ確かに様にならない。
海水を浴びたテトラポッドに移動し、体を起こす。顔を下へ向けると、透き通る海が見通せる。火照る体が欲するままに、おもいっきり飛んだ。
清涼な海水にすっぽりと体が入り込む。鼻の奥がつんとする感覚に
視界にかかる白い気泡がまだらに視界をぼやかしたが、すぐに美しい海の光景が広がった。
騒々しい俺から離れて、魚がうかがっている。こんな海が実在したのかって疑うほど綺麗だった。天然の水族館とはよく言ったものだと思う。
俺は海面から頭を出し、顔を拭う。
ヤブは焼けた素朴な顔を渋柿みたいにさせている。
「たくっ、近くに飛び込むヤツがあるかよ」
「あれー? ビビっちゃったのかねぇ? ヤブも案外かわいいとこあるんじゃないのぅ~」
「キオにかわいい言われて嬉しいヤツはこの世にいねえな」
「プププ、ヤブが照れてる」
スポーツ刈りの朝川も俺のからかいに加担する。
「はあん⁉ 照れてねえっし!」
ヤブはいきり立って必死になっている。
「こりゃ図星みたいだなぁ」
「うんうん、図星だ」
俺たちは調子づいて追い込みをかけた。顔をうつむかせて体を震わせるヤブ。様子を見ていると、突然顔を弾き上げた。顔を赤くし、歯を向き出したヤブは赤鬼のようだった。
「おんめぇら、許さぁああんっ!」
「やべ、マジで怒ってる⁉」
「朝川! 逃げるぞ!」
「な! お、置いてくなよ~」
「待たんかボッケもんがあああ!」
俺と朝川は狂暴な魚人と化したヤブから逃げるべく、全速力で泳ぎ出した。
高校進学に合わせ、離島に移り住むことになったのには浅いワケがある。忘れもしない。一年前の四月十二日。家族で久しぶりに夕食を囲んだあの日、いつもよりご機嫌な父ちゃんが俺たちに告げた。
『会社、辞めてきた』
俺と一歳違いの妹、
当然、俺たちは困惑し、うろたえた。
俺たちを呑気になだめる父ちゃんの話を聞けば、前からひそかに計画していたらしい。『見通しがついたから、ようやく発表したんだよーん!』とぬかしたのだ。
当時の俺は中三だったこともあり、進路に迷っていた。俺にも俺の計画があるんだから、もっと早く言ってほしかったと、不満をぶちまけた。
その返答が、
『こういうのはサプライズがオツだろぅ?』
と、やってやった感ダダ漏れの顔で威張ってきた。ワケのわからん屁理屈でドヤ顔されては呆れるしかない。
これは一大事だ。数日はピリピリした家の中になるかと思いきや、穂鷺美と母ちゃんは一転、手のひら返しで喜んでいた。
家族会議になるかもと気を揉んでいたのに、父ちゃんの口車に乗せられたチョロい二人は、妄想を爆発させていたのだ。
話はだいぶ進んでいるらしく、取りやめはできないとのことだった。
地元の高校に進学しようと目星をつけ始めていただけに、俺の進学先選びは難航することになった。でも決断しなければならない。そして一ヶ月悩んだ挙句、決断したのだ。
親についていくことに。
いや、元々考えるまでもなかったのだ。生活スキルレベルゼロの俺が、一人で暮らしていけるわけもないし、寮生活は何かと厳しそう。ということで、俺はチョロ男に転化したのだ。
田舎暮らしは退屈で不便。そんなイメージは払拭された。
流行りの街で遊ぶ日々が当たり前だった俺には、自然の遊園地は刺激的だった。見たことない虫が出てくるのは厄介だが、それすら俺の日常を輝かせてくれた。
都会の移住者が珍しかったのもあって質問攻めを食らい、島のクラスメイトとも仲良くなれた。近所の人たちも俺たち家族を快く迎えてくれる優しい人ばかり。今じゃ俺の田舎生活は順風満帆だ。
俺はヘトヘトになりながら
ゴツゴツした海岸に腰を落とす。ヤブ鮫はうまく撒いたようだ。
ちょっと海水を飲んでしまった。ここでしばらく休憩しよう。ヤブの機嫌が収まる頃にひょっこり顔を出せば、許してもらえるはずだ。
ここらの海岸は岩礁地帯になっている。この岩礁もそうだが、どこからか流れ着いた釣り針やガラス片で足を切って流血するから、本当は靴かサンダルなどを履いていた方がいい。
危ないゴミを見かけたとしても、それらが
サンゴ礁の周辺には多くの海洋生物がいる。シュノーケリングで海中遊覧をすれば、思わず写真を撮りたくなる光景に出くわせる。
その時、視界の端で何かが動いた。海面から出てきたそれは、濡れた体をこちらへ運んでくる。
海から出てきた人物は、シュノーケルをつけているせいで顔をうかがえないが、おそらく女だと思う。女は水着ではなく、ウェットスーツだった。
手にした赤い網には何やらゴツゴツしたものが入っていそうだ。素潜りしていたのかと一瞬よぎったが、どう見てもゴミにしか見えない。
女はシュノーケルを外し、目線を合わせてくる。褐色の肌につり上がった目尻、黒のショートヘアと澄んだ黒い瞳。こいつ、ウチのクラスの……。
彼女は目線を逸らし、俺の前を素通りしていく。
「よ、お前も海水浴か?」
声をかけるが、彼女は反応しなかった。
「おーい、もしもーし? 無視はだいぶ傷つくぞおー」
彼女は立ち止まり、呆れ顔を向けた。
「君に言わなくちゃいけない?」
「へ?」
「あたしが何してようが、君に関係ないでしょ」
「そう邪険にするなよ。単に聞いただけだろ」
「じゃあ言う必要ないよね。じゃ」
素っ気ない態度で、彼女は足ひれをつけたまま器用に岩場から去っていく。俺は彼女の背中を見つめ、唇をゆがめた。
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