【短編】ポラリスの翼
天城らん
第1話 彼が飛ぶ理由
翼を得て飛翔するとき。
俺は、空の王で。
俺は、空の従者。
世界は、俺のもので、
世界は、俺だけを突き放す。
そんなとき、たまらなくなり
『飛行機』の名を呼んでみる。
愛しい、愛しい人の名を……。
* * *
1
天頂から、群青の帳が降りてくる。
生きた証を残そうと、必死にあがく夕陽を押し黙り覆い尽くす。
その最後の残光に浮かびだされる山嶺は、彼の行く手を阻む黒い檻のようだ。
今、一人の青年がその空を見つめている。
彼の名は、アルテル。
飛行用の革帽子から覗くのは黒い短髪。
凛々しい眉に縁取られた茶色の瞳は、ちらほらと輝きだした星々を映している。
細身ながらもたくましく、責任を負った一人前の男の雰囲気をまとっていた。
いつもならば、動じることなく挑んでゆく空。
(今度ばかりは、戻れないかもしれない……)
冬の始まりを告げる冷たい風に向かいながら、アルテルは初めての単独飛行のように身震いをした。
*
アルテルの仕事は、郵便物を飛行機で運ぶ『郵便飛行機乗り』だ。
北へ向かい、山越えルートで一晩中飛び続けるというのが、彼が任されている飛行経路である。
まだ、飛行機というものを見たことがない者が多い時代において、この郵便配達を飛行機でするという仕事は、汽車よりも船よりも早く荷を運べる画期的なものであった。
アルテルの愛機は、黄色いプロペラが鼻先にあり、機体の色は濃紺といってよいほどの深い青。
左の側面には、彼の勤めるエアロクリスタ社のエンブレム。六角柱の水晶が3つ、山のように描かれている。
反対側には、アルテルが依頼した北斗七星。
星が一つ多いように見えるのは、気のせいではないようだ。
それは、彼が出発前の儀式のように、必ずその8番目の星を撫でているからだ。
飛行機の格納庫の前に佇むアルテルの背に、四十がらみの牧師がすがるように声をかける。
「アルテル。どうしても行くのですか?」
牧師は幼馴染のポーラの父で、アルテルの両親が亡くなってから親代わりに彼の面倒を見てくれていた。
息子のようにかわいがっていた少年が、いつの間にか自分よりも大きくたくましくなっていたことに牧師は胸が熱くなり、同時に苦しくも思った。
十八と言う歳に似合わない、何度となく困難を越え戦ってきた男のもつ空気を纏うアルテル。
その空気は、牧師の親友であったアルテルの父のことを呼び起こさせた。
孤高の飛行士。蒼空の鷹と呼ばれたアルテルの父に、いつの間にか、姿だけでなく醸し出す雰囲気すら似てきた。
だからこそ、牧師は強く引き止めなければいけないと思った。
同じ過ちを繰り返してはいけない。
「娘は……。ポーラは、今晩が峠だと言われました。うわごとで君のことを呼んでいるのです。そばにいてくれませんか?」
アルテルは、十二歳で父親と母親が死んでから近所に住む牧師の家に面倒を見てもらっていた。
牧師には、アルテルと同じ歳の娘がいる。
淡いはちみつ色の波打つ髪に、空色の大きな瞳。
そして、ドレイク山脈の万年雪のような白い肌。天使のような可憐な少女だ。
名前はポーラ。思いやりがあり賢くやさしい娘だったが、生まれつき体が弱く寝込みがちであった。
そのポーラが、今夜にも天国へ旅立つかもしれないと牧師は告げている。
アルテルは、手にしていたゴーグルを握りしめた。
自分がいたところで、つなぎとめてやることなどできやしない。
それは、誰もがわかっていることだが、牧師も娘の最後の願いを叶えてやりたいのだ。
家族か、それ以上に思う彼に看取って欲しいという願いを。
「……俺は、荷を運ばないと」
アルテルは、手にしていたゴーグルを額に着け、襟にボアのついた革の飛行上衣にせわしなく身を詰めた。
「ポーラのためにその危険な仕事をしているのではないですか? ならばどうか最後かもしれない、今日だけはそばに……」
牧師が手を伸ばしたが空を掴んだだけだった。
その時にはもう彼はその場を駆けだしていた。
「待ってください。アルテル!」
背後から呼びとめる牧師の声は聞こえていた。それでもアルテルは止まることはできなかった。
ポーラが死ぬという現実を信じたくなかったから……。
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