ゆるとひと

よもぎ望

ある日、彼女はゆるになった。

 ある日、世界に〝ゆる〟が現れた。


 1m程の大きさのそれは、不透明なゼリーのようだったりふわふわの毛玉のようだったり、苔玉のようであったりと見た目は様々。ただその全てが地面をゆらゆらと這いずり、きゅいきゅいと鳴き、人に寄り添う。小さくつぶらな瞳と可愛らしいその動きは、たちまち人々を魅了した。






「おはよ、愛里」


 朝起きてすぐに、光太はベッド横の大きなクッションに乗った愛里に声をかける。


 ゆるが世界に現れてからすぐ、世界各地で行方不明者が相次いだ。原因は一切不明のまま、家族が、友人が、上司が。遂には国のトップまで、世界中のあらゆる人間が突然姿を消したのだ。


 光太の彼女、愛里もその1人。きっかけも何も無い。朝目が覚めると同居中の彼女の姿はなく、彼女が寝ていたはずのベッドには白くて丸いゆるがいた。


「きゅい」


 愛里はネズミのような高い鳴き声を返す。ゆっくりと這いずりながらベッドを上り、腕に擦り寄ってくるその姿に光太は思わず笑みが零れる。ひんやりと冷たい体の動きに合わせて手を動かしてやると、また嬉しそうに「きゅい」と鳴いた。


「愛里、朝ごはんはどうしようか」

「きゅ?」

「そうだ。昨日ホットケーキの粉を買ってきたんだった。今日はホットケーキにしようか。チョコソースといちごジャムもかけてさ」

「きゅ、きゅ」

「決まり。じゃあ作りに行こう」


 ベッドから起き上がり、キッチンへと向かう。ぺちゃ、ぺちゃ、と跳ねる音が後ろを着いてくる。


 ゆるは、世界中の研究者がその生体を調べているが、未だにその1割すら分かっていない。ただ、行方不明になった人間の最後にいた場所にゆるが現れることから、ゆるは元人間だろうと言われている。



 残された人間がそう思いたいだけなのかもしれないけれど。



「きゅい」


 立ち止まっていた光太の左脚に愛里がくっつく。

 人だった頃の愛里も、光太へ話しかける時にはよく腕や肩にくっついてきた。同じなのだ。この仕草も、見上げる瞳も。


「ごめんごめん。ご飯作ろ」

「きゅぅ!」


 何を考えていたのだろう。そう思いたい、なんてものじゃない。ゆるは人間で、この子は愛里。見た目がちょっと変わっただけで、中身は大好きな彼女だ。




 彼女でなければ、困るんだ。






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