5.陸自お兄さんの正体

 紫紺の制服姿の彼は、制帽を取り去ると綺麗なお辞儀で挨拶をしてくれる。


「改めまして。時東ときとうけいです。ご無沙汰しております」


 父が言っていたとおり、自衛官仕込みの礼儀正しいお辞儀はとても綺麗と咲耶も感じたほど。


「先日はお騒がせいたしまして、大変失礼いたしました。また、わざわざご連絡をくださりまして恐縮です。でも……」


 凜々しい姿勢から、彼が頭を上げてふと微笑みをみせてくれる。


「嬉しかったです。ここは、僕にとってとても思い出深く懐かしい、大事なお店だったので」


 その言葉を聞いて、咲耶と父は顔を見合わせ笑顔になる。

 食事の準備をしていた厨房から、父と一緒にカウンター外へと出る。そのまま彼の正面へと並んで迎え入れる。


「立派になられましたね。お父さんと同じ自衛隊さんになったんだね。大人になりすぎて、君だって気がつかなかったよ」

「私もです。まさか『けいお兄ちゃん』だったなんて――。自衛官になったと聞いていましたけれど、そこの駐屯地の勤務になって札幌に来ていたことも知りませんでした」


 父と咲耶の歓迎に、彼が照れくさそうに笑う。


「今年の冬に木更津きさらづの飛行部隊から札幌へ転属してきました。冬は真駒内まこまない駐屯地主導で行われる冬季レンジャーの訓練参加に追われて忙しくしておりまして。なかなかお店まで訪ねることが出来ませんでした」

「真駒内の冬季レンジャー! ニセコの雪山での雪中戦訓練だよね。慧君はヘリコプターパイロットになったと聞いたけれど、飛行部隊としての参加だったのかな」

「はい。レンジャー訓練の中に、隊員がヘリから雪原へ降下する訓練もありますので、レンジャーたちを搭乗させるために、ですね。それから、自分も雪中での操縦経験を積むために北国の配属になったんです」

「そうかあ。お父さんは整備士だったけれど、慧君はパイロットになったんだね。父子で航空部隊の陸自さん、凄いね! いや~、あの賢そうな男の子が、お父さんの後を追って自衛官になって、子供の時に住んでいた町に自衛官として帰ってくるなんて……。感慨深いなあ……」


 何故か父が涙ぐんでいる。それほどに時の流れを感じ、懐かしさがこみあげたのだろう。

 咲耶もだった。このお兄さんに会うのは十何年ぶりか。最後に会ったのは、彼が高校生の時――?


「父が丘珠おかだま駐屯地に勤めていた時に、僕もここに住んでいたわけですが、その子供のころ以来です。まだお店が残っていて嬉しいです。もちろん、お祖父さんがされていたステーキハウスではなくても、お父さんが居酒屋として引き継いで残っていて……。嬉しくて同僚と訪れたところだったんです」


 彼はそこまで言うと、あの真っ直ぐで生真面目そうな視線で咲耶を捕らえた。


「でも、妹の七海ななみから聞いていなかったので驚きました。さくちゃんが、ご実家に戻っているだなんて……」


 彼の眼差しが曇る。咲耶を案ずるものだとわかった。

 そして咲耶も、それを知られたことについて彼の視線から逃れるようにうつむいた。


 この『彼』、『お兄さん』は大親友の兄だった。

 彼の妹、『七海ななみ』とは、小学生以来の大親友。いまも連絡を取り合って親しくしている。

 彼が咲耶のなにもかもを知っていたのは、妹の七海から逐一聞いていたことだったのだろう。

 そう思えば『俺の大事な人』という言葉が、彼の口から出てきたこともなんとなく理解できる。『妹の大事な大親友、危険な目に遭わせられるか。絶対に渡さない』という兄心だったのだ……と、思える?


 七海とはなんでも話して、なんでも相談しあってきた。お互いに唯一無二の存在と言い切れる。

 そんな大親友が知らないことが一つだけあった。

 お兄さんが言うとおり、『親友の七海には、三つ星レストランを辞め札幌に帰郷したことを知らせていない』のだ。

 そんな心苦しさを覚えながら、咲耶はお兄さんに伝える。


「七海には、まだ知らせていないんです。東京のホテル勤務を辞めて、札幌に帰郷したことは……」

「そうだったんですね。大親友のふたりだから、なんでも連絡しているものかと。いや……。さくちゃんのことだから、心配をかけまいと思ったのかもしれないとも感じていたところかな」


 親友の七海とは大事な約束をしている。子供のころから温めてきた夢を、ふたりで応援し合って励まし合って高め合って叶えてきた同志でもある。切磋琢磨、素敵なホテルのお仕事に就いて、いつか一緒のホテルで働きたい――なんて、夢見てきたのだ。


 その彼女に、やっと叶えた『一流ホテルの三つ星レストラン勤め』を乗り越えられず、敗走するように実家に帰ったこと、情けなくて、心配をかけたくなくて、まだ伝えていない。

 妹も知らないから、お兄さんにも伝わっていなかった。懐かしい店にやってきたら、東京にいるはずの妹の親友がいて驚いた――ということになるらしい。


「積もるは話はともかく、慧君、まずは座ってくれ」

「ありがとうございます」


 父がカウンター席へと彼を促した。


 揃って黒いエプロンをしている父と娘で厨房へと戻る。

 カウンターを挟んで、制服姿の彼と向き合った。

 彼が始終、瞳を輝かせて嬉しそうな顔をしているので、咲耶はホッとする。


「懐かしいです。このカウンターは変わっていないんですね」

「そうだね。父がステーキハウスを引退した後、二代目の私が居酒屋に変えるために少しリノベーションしたけれどね。カウンターと厨房はそのままだよ」

「ここに家族四人で並んで座って、目の前でお祖父ちゃんがステーキをじゅっと焼いてくれて、カウンター越しに鉄板のお皿で出してくれる。当時、僕にとってのいちばんのご馳走でした。父がここに連れて行ってくれることを、すごくすごく楽しみにしていて。家族の誕生日はここで食事をすることが恒例でした。大事な思い出です」


 彼が言うとおり、いま父親が経営している『居酒屋・ひの』は、以前は咲耶の祖父が『ステーキハウス・日野』という看板で経営していた。

 地元で気軽にステーキが食べられると、日々繁盛していてとても賑やかだった光景が咲耶の脳裏にも残っている。


 その祖父が経営していた当時、咲耶が小学生だった時に、この時東家と親しくしていた。

 時東家は、お父さんが自衛官でヘリコプター飛行部隊がある駐屯地に勤めていた。近所にある自衛隊官舎に一家が住んでいて、お子様は『長男の慧と長女の七海』のふたり兄妹。ご両親そろって『広島出身』。時東兄妹も広島生まれ。北海道に転属する前は、瀬戸内近辺の駐屯地勤めで暮らしていたとのこと。

 だから、慧の『バリ(凄い)』という方言に聞き覚えがあって『広島出身の人では?』と思えたのだ。


 兄妹は咲耶とおなじ小学校に通っていた。

 その時に咲耶と七海はおなじクラスメイトとなり、そこからが彼女との長い付き合いの始まり。

 しかし自衛官の子は、二年か三年周期で転校していく。

 七海と中学生になったばかりの兄の慧も、そこから大阪へと転校していった。


 だが、咲耶と七海の縁は途切れなかった。

 たった二年。机が隣同士、同じ班になった時からずっとずっと、毎日一緒にいて、そっくりな夢を持っていることを知って意気投合。お互いの家を行き来して遊んで、とても濃厚なお友だち時間を過ごした。

 子供同士のつきあいだから、そのうちに縁が切れるということもあるだろう。ところが、咲耶と七海の縁はちっとも切れなかった。

 それには両親たちの力添えも大きかった。

 転校後も、咲耶が関西まで会いに行ったり、七海が北海道まで泊まりに来たりなど縁が続いた。

 そんな親友の背後には、すこし距離があったけれど、兄の慧の姿もあった。

 三歳差のため、小学校ではほんの少しだけ同じ学校で、咲耶が中学生になった時には彼はもう高校生になっていて、空手の部活に精を出していた。

 やがて、咲耶はフレンチレストランの料理人に。七海は淡路島の高級リゾートホテルのホテリアに。兄の慧は、防衛大学から陸上自衛隊へ入隊、ヘリコプターパイロットになっていた。


 そんな慧兄ちゃんが北海道に転属していた。


 いまカウンター越しにいる慧兄ちゃんは、紫紺の制服が凜々しく似合う大人の男性になっている。


 そんな彼に父が告げる。


「思い出の中に、父の料理を刻んでくれていて嬉しいよ。亡くなった父も喜んでいると思う。だからね、今夜はその懐かしいステーキハウス・日野のひと皿を、慧君にご馳走したいんだ」

「ほ、ほんとうですか!! また食べられるなんて、夢みたいです!」


 彼が座っている椅子から飛び上がりそうになるほどに喜び勇んだ。ガッツポーズをして少年ぽい笑顔になってくれ、父と咲耶も嬉しくなって目を合わせる。

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