頼義、悪路王(あくろおう)について学ぶの事

悪路王あくろおう?悪路王とは何だ!?」



頼義が虚空の何者かに向かって叫ぶ。しかしもう声は返って来なかった。気がつけば辺りには太陽の光が朝霧を通して「森」の木々を照らしていた。謎の声の主はもうその気配を感じさせず、ただ朝雀のちゅん、ちゅん、と鳴く声だけが響いた。


夫女ヶ石ぶじょがいしの上に立っていた虎も、いつの間にかその姿を消していた。



釈然としない面持ちで頼義と金平は麓の村まで戻って来る。結局、今宵出くわした怪異は一体どういった意味を持つものなのか。突如として現れた森、この国にいるはずのない虎、そしてどこから聞こえるとも知れない謎の声、そして「悪路王」という言葉。頼義にはその内のどれ一つ、己の理解が及ばぬ事に頭を抱えた。一方の金平はというと、昨晩出くわした虎についてあくまでも「あれは猫だった」との主張を覆さず、頼義が言を尽くして説明しても頑なに昨日のアレが猫だったと言って聞かない。もう言い含めるのも面倒になって頼義は「はいはい猫です猫です」と言って放り出してしまった。


裳羽服津もはきつ」における異変は周囲の村々にもすぐに伝わったと見える。頼義たちが麓の村まで戻ってきた頃には山から降りてきた炭焼きやたきぎ拾いが大騒ぎして村中に触れ回っていた。合わせて頼義たちも村々を回って彼の地一体に異変が起きた事、危険な猛獣が徘徊していることを説明し、自体が明るみになるまでしばらくの間「裳羽服津もはきつ」へ立ち入ることを禁じた。


村人たちの驚きと戸惑いは大きかった。たしかに一晩にして平原が一面の鬱蒼とした森に変化すれば驚きもしようが、それ以上に皆の憩いの場である「裳羽服津もはきつ」の地がそのような事態になった事、つまり最大の楽しみである「嬥歌かがい」を行う場所が奪われた事に対する失望の意見の方が多かった事に、それを聞いていた頼義も金平も半ば呆れ顔になってしまった。



「それと……」



頼義は事のついでとばかりに、村の者に「悪路王」という言葉に聞き覚えはないかと聞いて見た。


その言葉を聞いた途端、それまでのんびりとした口調で受け答えしていた村人たちの間に緊張が走った。頼義はさらに詳細を尋ねると、村の者はみんなして



「知らん、知らん!!」



と言うばかりで、その後は蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げ帰ってしまった。


村人たちの態度の急変に呆然としていた頼義を尻目に、金平は大あくびをかまして背伸びをする。



「おう、いくら足りねえ頭で考えたってわからねえモンはわからねえよ。とりあえず国府まで行って大殿にお伺いたてようや。いずれにせよ異変の報告はしなくちゃなんめえ。ふわあああ、昼には国衙こくがまで届けてやっからよう、とりあえず俺は寝るぜ。徹夜したせいで眠くてたまんねえ」



そう言うや金平は馬をつなげた柏の木の根元にゴロンと転がって早くも寝息を立て始めた。あまりの傍若無人ぶりに頼義は一瞬キッとなったが、こんなくだらないことで怒るのもバカらしいと思い、



「もう!」



と頬を膨らませて、自分も金平の隣で横になって仮眠を取り始めた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



昼過ぎ、暇を持て余した馬に鼻先で小突かれて起こされた金平は、あくびを噛み殺しながらも言いつけ通りに頼義を国府である石岡まで届けると再び馬舎の敷き藁に突っ伏して寝入ってしまった。


頼義は金平を置いて国衙を訪ね、父である常陸介ひたちのすけ頼信よりのぶへの面会を申し出た。受付はすんなりと通り、頼義は半年ぶりに父との再会を果たした。


父とは新年に一度挨拶に伺っただけで、それ以来常陸国内をずっと駆けずり回っていたためについぞ顔を合わせることもなかったが、頼信はそんな「息子」を懐かしむでも心配する風でもなく淡々と頼義の事務報告を受け取った。



「ふむ、悪路王とな」



頼義から異変の報告を受け取った頼信はいつものように表情を変える事なく小さな目を細めるだけだった。



「父上は『悪路王』なる言葉にお心当たりがおありで?」



頼義が父に問う。



「さて、『悪路王』と聞いて最初に思い浮かべるのはかの『阿弖流為アテルイ』であろうか……」


「アテルイとは、あの東北の……」


「そうだ。かつて征夷大将軍坂上さかのうえの田村麻呂たむらまろ公と戦った蝦夷えみしの長よ。言い伝えによれば阿弖流為アテルイは『アクロ、またはアクリの王』とも『悪路オロチョン』などとも呼ばれていたと聞く。その『悪路王』とは『阿弖流為アテルイ』の事を指すのではないか?蝦夷の地名から取られた名なのか、尊称か、意味は知れぬがおそらく間違い無かろう」



頼信がそう説明する。「悪路王」とは「阿弖流為アテルイ」の異名という事か……?しかし坂上田村麻呂公といえば桓武帝の時代の話である、二百年も昔の夷狄いてきの王をなぜ今現在の、それも陸奥国むつのくにに接しているとはいえ、阿弖流為アテルイ所縁ゆかりもなさそうな常陸国の領民があのように恐れおののくそぶりを見せるのだろう。



「いや、縁が全く無いわけでもないぞ」



頼信は言う。



「なにせ、その『阿弖流為アテルイの首はここ常陸国に葬られておるからな」

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