第25話 ゾンビ無罪(前編)

 蘭葉らんばメアリという名前はそこそこ珍しいと自分でも思っている。『メアリ』もそれなりだが、初対面で食いつかれるのはむしろ『蘭葉らんば』の方が多い。私自身、自分の親戚以外では見たことが無い。高校生まではこの名前でいじられるのは嫌だったが、大学に入った時はむしろありがたいと感じるようになっていた。初対面の人と話す時のきっかけになり、大学で友達を作る助けとなったからだ。


「メアリ~。こないだの実験のレポート間に合った?」


 学食で昼ご飯を食べていると、クラスメイトが向かいに座ってきた。


「不覚にも失敗した・・・。何度やっても規定外の数値しかでないんだもん。また今度再実験」

「えー、ほんと!?ヤバいね。私は早めに終わったからラッキーだったね」

「いいなー。羨ましい」


 大学でも気安く話せる友人が出来たのは、ありがたいことだった。その後もとりとめのない会話は続く。ただ、そうした友人との会話の中でも私の中には引っかかるものがあった。最近の大学の友人達との会話の中に、私の高校からの友人、保谷ほたにルイの事が殆ど話題に出ないのだ。彼女はここしばらく大学に顔を出していない。それにも関わらず、まるで何事も無かったかのように日常会話が交わされる。と言っても友人たちが意図的に話題を避けているわけではないだろう。大学にしばらく通って分かったことだが、突然大学に来なくなる人というのは割といるようだ。バイトばかりしていたとか、日本一周旅行をしていたとか。いつのまにか大学を辞めていた、という場合もある。だから、数週間大学に現れない、と言うくらいなら大騒ぎするほどではないのだ。時々「まだ来ないね」といった程度の会話に現れるくらいである。


 しかし、事の真相を知っている私にとっては複雑な心境である。保谷ほたにルイはゾンビとなり、私がその首を斬り落としたのだから。


 自分のやったことなのに図々しい話かもしれないが、ルイの事をみんなが忘れてしまったかのような日常に違和感を覚える。ルイの家族はどうしているだろうか。私はルイの家族と繋がりがなかったので、あちらの家族が今どうなっているのか分からない。連絡がつかなくて探しているかもしれないし、一人暮らしの大学生がしばらく家族と何の連絡も取らない、というのも普通の事なので、何も気づいていないかも知れない。


 アピリス先生達の好意に助けられ、私はルイをことは一旦心の奥に棚上げすることにしたが、それでも全く気にしないでいるわけにもいかなかった。正直言うと、大学に通わずに仇敵ダンテ・クリストフを探し続けたいが、それをしていないのは理由がある。アピリス先生から「行けるなら大学には行っておいた方がいい」という助言があった事は勿論理由の一つだが、それに加えて、大学の中でゾンビの噂を集めるためでもある。噂や都市伝説などというものは、時間を持て余した大学生の元に良く集まって来るものである。


「ところで聞いた?ミナのこと」

「ミナが?どうしたの?」


 話しているうちに、私たちと同じクラスの友人、ミナの話題が出てきた。身を乗り出して小声になったその話しぶりからすると、深刻な話のようだ。


「ミナって、金持ちの男と付き合ってるって言ってたじゃない?でもなんか、ヤバそうな奴だったみたいで、距離置いてたんだって。そしたら・・・そいつに夜道で襲われて怪我しちゃったんだって」

「襲われた!?」


 予想以上に深刻な話に、私は思わず大きな声を上げそうになってしまう。


「そうなのよ。待ち伏せされてたみたいで、殴られて怪我しちゃったって。何とか逃げたみたいだけど・・・。ケガの跡があるし、怖いしで、ミナは実家に戻ってるって。休学することになるかもって」

「そんな・・・酷い!その男は捕まったの!?」

「それが、ミナもその男のことは連絡先しか知らないし、襲われた時の証拠も無いし、それに、怖くてもう関わりたくないから、警察にもいかなかったらしいよ」

「じゃあその男は野放しのまま!?ミナを傷つけてトラウマにもなってるのに・・・!許せない!」

「怖いよね。私たちも気を付けようよ。ほら、これがそいつの写真。見かけても近づかない方がいいよ」


 そう言って、ミナとその男が一緒に映った写真を送ってくれた。まだ相手の男が本性を現す前に撮った写真だろう。無邪気に笑うミナの顔が、より一層その男への怒りを沸き立たせた。写真には『ミナ トウヤ』と書かれていた。


 ◆


「ここが患者のいる家ですか・・・」


 案内役の黒服の男の車が目的地に着いた時、アピリス先生はそう呟いた。


 アピリス先生とジョージさん、そして私は、深夜に閑静な住宅街を訪れていた。ちなみにニニカさんは夜遅すぎるという理由で先生からNGが出た。ニニカさんは着いて行きたいとゴネたが、最終的には従業員として雇い主の命令を受け入れたようだ。ただし、こっそり着いてこられても困るので日時や行き先は秘密にしておいた。


 そこまでして何をしに来たかというと、先日ホームページに追加した『出張診療』の仕事だ。今回の場合、事前に電話で話した後、患者の家ではなく一度全く別の場所で、患者の関係者と名乗る男とジョージさんが会って話をした。これは、お互いにお互いが悪質な悪戯ではない、という事を確かめるためには有効な手段だった。曽於結果、悪戯ではない、とお互い判断して、今回の訪問診療を実施することになったのだ。


 この依頼主はかなりの秘密主義らしく、決してこの治療の事を口外しないように、という注文がついていた。その理由は、すでにジョージさんから聞いているが、訪れた家を見て私は納得した。とても大きい、見たことも無いような豪邸だ。この地域のの有力政治家の家だった。


 ◆


 流石金持ちの家だけあって、人目につかない秘密の裏口というものもあるようだ。そこを通り案内された応接間で私たちを待っていたのは、当の政治家本人だった。有力政治家と言っても私は顔も名前も知らなかったが、ネットで調べれば成程、代々続く政治家の家系らしい。60歳代らしいが、かなりエネルギッシュで威圧感がある。そして何と言うか、態度が悪い。


「キミたちがゾンビ専門の医者という奴かね?」


 立ったまま、ギロリと睨みつけるようにそう言い放つ。政治家だか何だか知らないが、これが初対面の人に対する態度か?


「ちょっと、それが初対面の人に対する態度ですか!?」

「ちょ、ちょっとメアリさん・・・」


 思わず心の中の声がそのまま出てしまった私を、アピリス先生が止める。それを見た政治家のオヤジは引き続き高圧的な態度を崩さない。


「何だ君は、口の利き方を覚えたまえ!こちらは藁をも縋る思いで怪しいサイトに連絡を取っているのに、やって来るのが小娘2人と若造1人では、不安に思うのも仕方ないだろう!」

「不安なのは分かりますが、こちらも遊びで来ているわけではありません。患者を信じさせるのは医者の役目ではありますが、そうも攻撃的だと話せるものも話せないのは、大人なら理解して自重すべきでしょう。そもそも、医者が私のような若輩者なことは事前にお伝えして納得されているはずです」


 アピリス先生が毅然と抗議の声を上げる。政治家のオヤジは鼻をフンと鳴らすとそれ以上は突っかかって来なかった。代わりに私たちを案内した黒服の男を部屋から下げさせた。


「ゾンビになったのは私の息子だ」


 憮然とした顔でそう告げる。


「息子の事は、今は部屋に閉じ込めている」

「閉じ込めている?」

「当然だ。ゾンビになったら人を襲うらしいじゃないか。そんな危険な奴を野放しにしておけるか」

「(この間の、リュウさんが妹さんを閉じ込めていたのと同じような状況ですかね)」


 アピリス先生が小声で私たちに向けて囁く。リュウさんの妹さんとは、先日オカマバーで治療した一件だ。私は立ち会っていなかったが、ゾンビと化して理性を失った妹さんが人を襲わないように店の一室に閉じ込めていたらしい。今回もそれと同じような状況なのだろう。


「こっちだ」


 政治家オヤジは応接室を出て別の部屋まで私たちを案内する。そしてその部屋のドアを無遠慮に叩いた。


「おい、入るぞ」


 そう言うとあっさりとそのドアを開ける。私たちはギョッとしてしまった。中のゾンビが狂暴で閉じ込めているなら危険なのでは?


 しかしそのまま部屋に入ると、想像していたものとは別の光景が広がっていた。部屋と言ってもかなり広い。リビングスペースとベッドスペースがあり、中には風呂場もトイレもあるようだ。私の一人暮らしの部屋より立派だ。大きなテレビの前のソファに一人の男がだらしなく座っていた。こちらを振り向くその顔は青緑色に染まっていたが・・・。


「ああ?よう、オヤジ。そいつらがオレを治してくれるっていう医者?」


 青緑色の肌以外はごくごく健康的な青年男性に見える。表情も明るく・・・何と言うか気楽に見える。20歳くらいか。それなりに良い体格をした、遊び盛りの大学生と言った印象だ。テレビではゲームをしていたらしく、手に持ったコントローラーを置いて立ち上がる。


「うわー!何々、すげーカワイイ女の子がいるじゃん!外国の子?もしかしてナースさん?もう一人も結構かわいいね。あ、オジサンがお医者さん?よろしくお願いしまーす」


 緊張感のない笑い顔で、馴れ馴れしく絡んでくるその男に私たちは唖然としてしまった。これがゾンビ?確かに見た目はそうだが、それ以外は全く普通の状態に見える。


「いやー、ほんと困ってたんだよね。こんな見た目じゃ自由に遊びに出かけられないしさ。閉じこもってネットやゲームくらいしかやること無いんだよ?いい加減我慢の限界でさー。先生、早く治してよ」

「いや、俺は医者じゃなくて、医者の先生は・・・・」

「わ、私です・・・」

「え、オジサンが医者じゃないの?こっちの女の子が医者?えー、大丈夫なの?」


 ジョージさんもアピリス先生も反応に困ってこの調子だ。


 だが、私はそれとは別の違和感を覚えていた。この男の顔、どこかで・・・。そう思っていると政治家オヤジがイライラしながら口を挟んできた。


「トウヤ、余計な事をペラペラしゃべるな」

「ちぇ、はいはい、分かってますよー」


トウヤ・・・?


「あ!!」


 電撃が走ったように、記憶が繋がる。考えるよりも先に体が動いていた。トウヤと呼ばれたゾンビ男に詰め寄る。


「お前・・・・!!!」


 頭に血が上るのが自分でもわかる。その様子に、このゾンビ男も戸惑っているようだ。


「な、なに?キミどうしたの?あ、もしかしてどこかで会ったことあるとか?」


 その軽い調子にさらに怒りが増す。そうだ、トウヤという名前にこの顔。肌の色が変わっていても分かる。


「お前・・・!ミナを、ミナを襲ってケガさせたのはお前だろう!!!」


 つい先日友人から見せてもらった、ミナを襲った男の写真。それと全く同じ顔の男だ。

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