第8話 スキルをひとつだけ
僕は何でも知っていた。
前世の暗い記憶が鮮明に残っていた。
ここがどのような場所かは判らないが、僕は夢にまで見た『生まれ変わる』ことが出来たようだった。
僕は、生まれながらにして母親の話す言葉が理解できた。
「あぁ、・・・」という母親のため息と表情ですべてが解った。
残念ながら、今の自分を理解するのに数分もかからなかった。
母親の居なくなった病室で何人かが集まって話している。
「誰の子か分からないんだって?」
「あの顔だろう?あちこちに旦那が居たんだって聞いたけど、子供が出来た途端にみんな居なくなっちゃったみたいだよ。」
「まぁ、そのお手当を含んだ稼ぎだったみたいだから、しょうがないんじゃない。」
「まったく、ざまぁみろよ。」
「旦那が金持ちだっただろうから、もしかしたら、こいつも稼ぐかもしれないよ。」
蔑むような下卑た瞳の親戚達だった。
望んで授かった命ではないだろうが、母は僕にたくさんの愛情を注いでくれてた。
そして僕に注ぐ愛情に比例して、数人の男達の愛を常に求めていた。
乳房を求める時には、何人の男たちの残滓をすすっているのかと頭の奥で想像をめぐらす。
しかしそれが母の収入であったし、その愛は間違いなく僕を満たしてくれていた。
僕はまだ喋れなかったが、斜に構えて保育所では常に部屋の隅にいるような子供だった。
同年代の幼い子どもが遊びに来るが、全く子どもの遊びをする気持ちにはならなかった。
積み木にも絵本にもまるで興味がもてなかった。
母の持っていた本は面白かったが、元来本を読むことが好きでななかった為、続けるはずもなかった。
小学校に上がり体育と音楽を除いてはすべて学年でトップの成績だった。
ただ、当然との思いだけで、なんの喜びももてなかった。
ここで、自分でも足りない体育や音楽に目を向ければ僕の生活は色づいたかもしれなかったが、怠け者の自分は昔と同じ様に興味をもつことが出来なかった。
中学校に入学してから成績が極端に落ちた。
もう、覚えている範囲から逸脱し始めていたが、2度目でもあったのでなんとか持ちこたえた。
高校生になって、過去の知識のハンデをすべて失った。
もうほとんど理解できなくなっていたが、少しだけ勉強が楽しくなった。
今まで下に見ていた文字もわからなかった小さい者たちが、みんな僕を追い越していってしまった。
皆がキラキラと輝いて、楽しそうに見えているのが羨ましかった。
それでも僕は、あの頃の記憶だけは持っていた。
そのため、こんな子供と仲良くする事はためらわれた。
勉強もできなかったし、魅力の衰えた母には経済力もなかった。
進学はせずに仕事につくが、せっかくなのでスキルを活かして前世と同じ仕事につく。
最初の頃は良かったが、結局あの頃と同じ出来の悪い社員の典型のような存在になった。
「だめな人。」
「つかえないな。」
遠い昔に聞いたことがある囁きを、また定年まで聞くことになった。
転生した僕は、前世の記憶で大成功を夢見ていたが、知識のあるうちは努力もせずに驕り
それ以降はすねて世の中を憎む。残念ながら前世の繰り返しだった。
ただ問題なく順調に年齢を重ねていくだけだった。
年金をもらい、あの頃と同じぐらいの年齢になった頃、やはり体が言うことをきかなくなった。
死を前にして思い返せば、別人格の遠い昔は、失敗は多かったが、友人もいたし、毎日がキラキラとして楽しかったように思う。
今回はどうだろう。
大きな失敗はしなかったが、選択肢を知ったクイズのようにつまらない毎日だった。
もし僕に積極性があれば、二度目の人生をもっと有意義なものにすることが出来たのかもしれないが、他人に人生の舵取りを任せるような僕にはそれがなかった。
死ぬ直前の恐怖さえもまるで二回目の映画のようだった。
最後のクライマックスも知っているのでどうでも良かった。
それでも、ただ一つだけ僕の心を高ぶらせる甘美なことがあった。
身体を捧げてまでも自分に愛情を注いでくれた現世での母を、僕はほとんど覚えていなかった。
もう一度、おぼろげな記憶の母に・・・お母さんに会いたかった。
もう叶わないが、きっと新しいキラキラとした気持ちで出会える、そんな気がした。
悲しいが母を覚えていないことが、皮肉にも人生で一番嬉しく新鮮であった。
もう転生はしたくなかった。
もし転生することが決まっているのであれば、僕からすべての記憶を消し去ってほしい。
何もかもを忘れて、無垢な感覚で新しい世をを迎えさせてほしい。
たとえ苦しむことが多くとも、明日を知る楽しみを僕に与えてほしい。
明日の苦さを味あわせて欲しい。
明日が見える様にと願ったのも自分だった。
明日が見えぬことを願うのも自分だった。
にこやかに与える仮面の下には、壊れる者を見つめる喜びが隠されている。
『さぁ、来世の望みをひとつだけ叶えましょう。』
努力せずに手に入れる幸せを求めて、
簡単に手に入る愚かな欲望に手を伸ばす。
神はいつも笑っていた。
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