第3話 幻想にすがって

あの国で働いて家族に仕送りをする。


家族思いの若者に、家族は夢を託し渡航費用を工面する。

先祖から受け継いだわずかばかりの田畑を売り渡し、それでも足りなくて借金をする。

大金だが若者が、あの豊かな国で富を得てくれれば、すぐに建て直すこともできるだろう。

何も分からない国へと想いを巡らし、憧れてやまないあの国へと旅立つ。

あの国は、僕ら途上国のために『技能実習制度』という素晴らしい制度を設けてくれているのだ。

先進国の技術を学び、祖国に持ち帰って祖国の技術レベルを上げるのだ。


ただ、言葉が分からなければ仕事にならないので、彼の国で語学学校に通う必要がある。

費用はかかるが、これが必須条件だった。

語学学校では、費用さえ払えばその国の言葉が話せなくても話せるという証明資格を作ってもらうことができた。

渡航費用と入校費用を含めて田畑を売ったお金を支払い、その国への入国を待つ。

期間はあるが、一生懸命に働いて祖国の家族を助けひいては自分を高めていきたいのだ。

青年は写真で見た四季のあるあの国が好きだった。

冷たい雪というものはどのようなものなのだろうか。



勤め先も決まり、希望を胸に勤務先のカイシャに向かう。

北の町だ。

カイシャの寮に住み込みで働く。

研修先には若者を含めて同じような研修生が全部で9人いた。

毎年3人ずつ研修生を迎えているようだった。

引っ越しを終えて次の日から仕事が始まる。

まだ日も出ていない早朝から、同じ研修の先輩に連れられてカイシャに向かう。


ホタテの加工工場だった。

紹介もそこそこに仕事が始まる。

大量のホタテがぞろぞろと流れてくる。


初日で希望を失った。一体何に語学が必要なのだろうか?

この技術を覚えて祖国で一体何をしようというのだろうか。

足元を冷やす雪は大嫌いになった。

彼は、すっかりこの国への魅力と憧れを失った。

持ち前の爛漫な笑顔をなくして、寮とカイシャをもう何往復しただろうか。


給料は出るが、この国における最低賃金で支払われる上に、残業は自主的な技術の習得の為として上乗せされることはなかった。

その中から寮費と語学学校への支払いをすると、もう何も残らなかった。

祖国で待つ家族のための仕送りどころではなかった。

やりきれなかった。


もうやめたいと思うがここでやめてしまえば、強制的に祖国へ帰され家族のもとに膨大な借金が残る。

なんとかしなければやめるにやめられない。

若者は仕事が終わった後で、研修制度では禁止されているアルバイトを始める。

人手不足のこの国では、すぐに仕事は見つかるが、深夜であるとか、きついものであるとか、そんな感じのものしかなかった。

悪いことにピンハネもあるが背に腹は変えられない。


フラフラな状態で学校に行くが、身が入らず授業では寝てばかりでいた。

学校側は授業料が入れば寝ていようが、何しようが全く感知しなかった。

学校からすれば、授業料納付がすべてだった。

旨味のすべてを吸い上げる。そのための研修制度なのだから。


若者は日々祖国に帰れることを願った。

辛い一日の始まりの太陽すらも嫌いになっていた。

すでに人手に渡ってしまった、隙間風の吹く貧しくも暖かな家に帰りたかった。

優しい家族に抱きしめてもらいたかった。

この奴隷のような実習はあと何年と何日続くのだろうか。

祖国に残した家族のためにも絶対に許されないが、家族の期待と膨大な借金から逃げ出し自分を救う方法は、自分自身が消えてしまうこと、それしかないように思えていた。




カイシャの中には何人かこの国の人間も混じっていた。

皆老人で、自分たちよりスピードも遅かった。

あの年までなんでこんなにつらい仕事を続けているのか意味が分からない。

同じ仕事をする研修仲間の間でからも

『カワイソウ』

という声も上がっているほどだった。


この集落自体に老人のできる仕事がないのだ。

畑がなければ、ここにしがみつくしか無い。


老婆は昔、夫が取ってきたホタテの殻を剥くのが私の生きがいだったと皆に言っている。

旦那は海の事故で亡くなったようだった。

それでも私は、この仕事で亡き夫とつながっている気がするのだと、雪を固めて作った氷を敷き詰めた冷たい床の上で長靴を履いて仕事をしている。

若い自分がやっていても膝の上まで凍えるような冷たさが骨まで沁みてくる。

堪える仕事だ。


監督から老婆はいつも、遅いと怒鳴られ続けている。

研修生が入ってくるまではこれが通常のペースだったのだが、今では皆の足を引っ張る存在になっていた。

皆と平等が保てないという理由で、彼女は請負の契約をするに至る。

自分の持ち分の仕事が終わるまで仕事をしてから退勤するというものであった。

勿論早く終われば早く帰っても給料には変わりはないが、遅くなってもそれは然りであった。

彼女の場合は定時の8時間にプラスして6時間程度残る必要がありそうだった。

彼女への哀れみは、過酷なはずの研修生からも以前に増してカワイソウと言われるほどであった。

ただ、研修生たちも自身の残業やアルバイトなどもあり、とても助力をあげられる余裕などはなかった。

見て見ぬふりをするのがお互いに最良だった。

彼女も笑いながら研修生を見送って仕事の続きをもくもくとする。



「あのババァ、遅いくせにやめねーんだよ。」

「夫とつながっている気がするって・・・、あのババァは旦那に全部持ってかれたんじゃねーか。」

「あぁ、そう!はっちゃんだ。女追いかけて都会に出たんだよな。」


「でも、あのババァもそうでも言ってないと格好がつかないんだろ?」

「死ぬまで働くしかね〜んだよ。」

「知ってるか? 奴隷の間でも片言でカワイソウとかって言われてるんだよ。」


「ウハハ〜ッ! それは、あわれだね〜」



みんな町を出てしまい、老人ばかりでたたもうと思っていたこの工場も、研修という名目で年に3人ずつ外国の労働者を迎えることができる。

そして彼らは、研修の大義のもとで他の仕事につくことが出来ないときている。

やめれば強制帰国なので、やめられないのだ。


「お上は素晴らしい制度を作ってくれたものだよ。」

「ウハハハハ〜!」


男たちの声がおぼろげに聞こえてくる。

聞き耳を立ててはいけない。

聞いてはいけない。


「私の夫はホタテの漁師だった。海の事故で亡くなってしまったが、夫と繋がりのあるこの仕事だけが私の生きがいなのよ。」

いつも研修生に繰り返している話を、誰もいない薄暗い工場でホタテに向かって何度もつぶやく。

「そう・・・、だから私は頑張るんだ。」

冷気で足がしびれていた。


「まだ、こんなにある・・・。早くしなくっちゃ・・・。」

手に持ったホタテとヘラが滲んで見えた。

研修生たちが羨ましかった。

私には帰る場所は無い。



「おい!ババァ早く終わらせろ!」

監督が2階から怒鳴りつける。


「はい!」

慌てて答えながら必死で手を動かす。

今日が終われば、また、明日が来るのだ。


頑張れば頑張るほどに、暗く深い海の底に沈んで行くように思えた。


もう何日したら楽になれるのかを、今日の仕事が終わったら考えてみよう。

それが一番ワクワクする楽しい時間のように思えてきた。

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