第9話 猿と猫の化物

「やめないで下さい。聞かせて下さい。もう大丈夫ですからお願いします」


 小夜さんが、先生にそう言うと、茜ちゃんを床から起こして椅子に座らせ、出過ぎた真似をして震えている僕を見て、小声で言った。


「もう大丈夫。ありがとう」

 

 優しげな表情だった。これが、茜ちゃんが慕う小夜さんの姿だったのではないだろうかと、ふと思ったりした。しかし、この短い時間でいったい幾つの小夜さんの顔を見たのだろうか、まさに猫の目のように豹変する人だ。


「分かりました。続けましょう。では、皆さん、椅子に腰掛けてお話ししましょう」


 先生が穏やかに言うと、部屋の空気が変わり、自然と緊張が緩んだ気がした。


「まず、小夜さんと円覚さんの関係は夫婦や恋仲といったものではありません。元々は盗賊仲間です。二人だけの最強の盗賊といった感じでしょうか」


「小夜さんが、盗賊・・・殺しの罪悪感に押し潰されそうになっていたのに、ですか?」


 二人の関係性にも驚きだが、それ以上にこの情報は腑に落ちない気がした。


「その時はまだ人の姿もしていませんでしたし、二人の盗賊というより、私は円覚の用心棒といった感じでした。殺すほどの争いは無かったような気もしますし、その時は、争う相手がどうなろうと気にはなりませんでした。まだ人ではなかったので」


 小夜さんが照れ臭そうに言った。表情と言っていることが合っていないような気がするが・・・。


「猿の妖怪も齢数百を超えると争いに自信も無くなって来ていたのでしょうね。でも、彼には身を守るボディーガードが必要だったのです」


「同族殺しの相手から身を守るため・・?」

 茜ちゃんが言った。やや元気になったようだ。


「そういう理由だったのね・・・」

 小夜さんの目が冷たく光り、口の端をひきつらせるように笑った。


「小夜さんは何で、そんな人の用心棒をしたのですか?」

 素直な疑問を投げかけてみた。


「単純に、円覚と一緒にいるといい物が食べられたからというのと、これからどのように生きていこうかと悩んでいた時に声をかけられたから、かしら?」


「そんな理由で盗賊になろうなんて倫理観が狂ってませんか?」


 小夜さんに裏切られたような気がして、つい感情的に責めるような言い方をしてしまった。


「兼人、猫又に人間の勝手な倫理観を押し付けないでもらいたいね。もしかして、美人だから悪い事するはずがないとか、勝手な妄想を相手に押し付けているんじゃないの?女に慣れていない男の特徴だね」


 茜ちゃんの調子が戻ってきて、憎たらしいことを言っている。


「まあまあ、私の言い方もよくなかったですね。盗賊というより義賊と言った方がよかったですね。あと、兼人くんは、女性に慣れていないというか極度のシスコンってやつですね」


 先生もさらっととんでもないことを言った。茜ちゃんと小夜さんが引いたような目で僕を見ている。


「義賊ですか?」

 シスコンという単語は聞かなかったふりをして、一層真剣な顔で質問をした。


「日本だと鼠小僧とか石川五右衛門が有名ですよね。イギリスだとロビンフットですかね。小夜さんたちも悪徳商人や強盗団から盗んで、貧しい者に配るみたいな事をしていたようですね。なので、人間の兼人くんは、小夜さんをそんな悪い盗賊のイメージで見ないであげて下さい。円覚さんは、その前の長い猿妖怪人生の中で確実に人間の倫理に反することはしていますけどね」


「そうなのですね」少しホッとした。円覚だけが悪い。


「過激なシスコンのが罪が深いんじゃないの?」

 茜ちゃんが余計な事を言い、小夜さんも不安げに僕を見る。


「シスコンは罪じゃないですよ!それに、僕は過激でも極度のシスコンでもないですよ。姉を尊敬していたり、家族として姉を慕ったりしているだけです。少しシスコンに見なくもないかもしれないですけどね」


 茜ちゃんがニヤニヤしてまた何か言おうとしたが、先生が止めた。


「兼人くんがシスコンと認めたところで、お話しを元に戻しましょう。お姉さんもいつかこのカウンセリングルームに遊びに来てくれると思いますよ。茜ちゃんはその時を楽しみにしていて下さい」


「はい」

 茜ちゃんが素直に返事をして、僕のシスコンの疑いは晴れることなく、話しが進み始めた。


「円覚さんは、自分を恥じていました。正確に言うと、小夜さんと行動を共にするようになってから自身が行なっていたことが恥ずかしく思うようになったそうです。だから、盗賊から義賊になって、お寺の住職にもなったそうですよ。小夜さんはご存知の通り、義賊をしていた時の住処の廃寺をリフォームしたら、色々な動物や人が集まって来て、誤魔化すために住職の格好をしていたら、みんなが住職だと勘違いして慕ってくるうちに本当に住職のような気持ちになっていったという流れの様ですがね」


「しかし、なぜ、小夜さんを見て、自身を恥じるようになったのですか?」


「自身に比べたら年若な、二百年かそこらしか生きていない化け猫が、化け猫として生きるか、人間になるのか、人間になるのなら、どんな生き方をしないといけないのか、など、非常に真面目に考えて悩んでいる姿に感銘を受けたそうです」


 小夜さんの真面目に考えるポイントもちょっとずれている感じもするが、その円覚というお坊さんも長く生きている割には、浅慮というか、ズレているような感じがする。そんな疑問を悟ったのか、水亀先生が話しを続けた。


「円覚さんは、最期にお坊さんの姿をしていただけで、根本はただの乱暴な猿の妖怪ですからね。そんな、奪い合いの人生がずっと続いていくことに嫌気が差してもいたようですし、その悪者同士の仲間内の殺し合いに小夜さんを巻き込んでしまったことに、深く反省もしていました。死んで詫びたいとも言っていました。長い年月、自身の生に執着していた妖怪にそのように思わせるのだから、小夜さんは、大した者だと思います。ただ、自分が死ぬだけでは、小夜さんも後を追っかけてしまうと思い、自分がいなくなった後に、小夜さんと生きていける者との縁を繋いで、この世を去りたかったようです」


「それが、赤猫ですか・・・?」

 小夜さんが、そう言い、皆の目は茜ちゃんを見つめた。


「そうです。円覚さんは、小夜さんと再会してから、ずっと茜ちゃんを探していたのです。そして、私を通して、小夜さんと茜ちゃんの縁を改めて繋ぐことができて、安心して天寿を全うすることができました。魂も茜ちゃんを探す過程で、すっかり穢れが祓われていたので、穏やかに天に還っていきましたよ。これは、小夜さんと茜ちゃん二人で円覚さんの魂を清めて、長い長い命に休息を与えてあげたと言えるのではないですかね」


 魂を清めての穏やかな休息・・・。カウンセリングの勉強ではなかなか聞く言葉ではないけど、このカウンセリングルームで感じる雰囲気にはぴったりの言葉だと思った。


「ウチの実家の犬が亡くなる時に、それまでには、あまり見たことが無かった野良猫と仲良くなっていて、散歩の時に会う度に、スリスリし合うくらいの仲になっていて、すごく不思議に思ったことがあったのですが、それと似てますね!」


 茜ちゃんが小首を傾げながら僕を見て言った。


「円覚が犬で、私が野良猫ってこと・・?」


「そう。二十年近くウチにいた犬で、母がずっと可愛がっていたのだけど、そろそろ寿命かなというのは、自身も母も分かっていて、二人とも、そのお別れがいつ来るのかを怖がっていたのだけど、その猫が現れてから、犬は会うたびに体を擦り付けあっていて、すごく仲良さげにしていたそうなんです。そして、数日して、犬は天寿を全うして、母は当然、ひどく悲しむのですが、その猫が家に入って来て、母と暮らすんです。そのおかげで、母の悲しみや苦しみはだいぶ楽になったのではないかと思いました。」


「そのワンちゃんは、兼人くんのお母さんが心配で、その猫にお母さんの事をお願いして、天に還ったのですね。心から大切に思える人、愛している人の幸せのために自らの魂を懸けて、少しでも寂しくないように、猫とお母さんとの縁を繋いで逝ったのですね」


「なんて、優しくて立派な心意気の犬と猫たちなんだ・・・」

 僕がまだ小学校に上がる前の話しで、姉から聞いた、ちょっと不思議なお話し程度にしか思っていなかったけど、人生の意味すら考えさせられる深いお話しだったと今気が付いた。目頭が熱くなった。


「人と犬と猫。脳の作りという視点から見ると、人間の方が優れていると言えるのかもしれませんが、魂という視点、さらには、魂の流転という視座で考えると全ての生き物の間には上下や優越はもちろん、境界も無いのかもしれませんね」


 やはり魂が大事なのだな。と何度もうなづいていると、じっと黙っていた小夜さんが口を開いた。


「そのワンちゃんと猫のお話しは素敵だと思いますし、私と茜ちゃんとのご縁が繋がったのは理解できたのですが、なぜ、円覚は、そこまで私を大事に思ってくれていながら、私が殺したのが人間ではなかった事を話してくれなかったのでしょうか?復讐のために追って来た猿の妖怪だったと教えてくれなかったのはどうしてなのでしょうか?」


 確かに、そこは引っかかる。それさえ、話していたら、小夜さんは同じ人間を殺したという同族殺しの罪悪感から、とっくに解放されていたのだから。


「それは、円覚さんが、小夜さんの事を愛してしまっていたからですよ」


「でも、愛していたなら、余計に・・・」


「好きな人から、嫌われたくなかったから、黙っていたそうです。小夜さんが最も嫌う同族殺しを自分がしていたことがバレたくなかったから隠していたそうです」


「何それ?馬鹿猿!」茜ちゃんが大きな声で罵った。


 小夜さんは一瞬、唖然としたが、大きな声で笑い出した。


「あはははは・・・本当に、何それ?私、後を追って死ななくてよかったです」

 小夜さんの目の縁は少し濡れているように見えた。


「最期には、白状しましたし、許してあげて下さい。本当は高尚でもなんでもない元悪党の猿の妖怪ですから。本当に大切と思える者と出会って、その人の幸せを願って何十年も寺社巡りしていたのは事実ですから」


「そうですね。赤猫とまた出会えたし、私、改めて生きなおします。赤猫、いえ、茜ちゃん、またよろしくね」


「うん、もちろんだよ」

 茜ちゃんは満面の笑みで、小夜さんの言葉に応えると、彼女に飛び付き、歓喜の涙を流した。


「ではでは、これにて尾又小夜さんのカウンセリングと円覚さんから依頼を受けたお仕事は完了ですね。また何かお悩みになることがありましたら、いつでもいらっしゃって下さいね」


「はい。円覚の手紙にあった最後のお願いで、こちらのカウンセリングルームに来ましたが、全く予想していなかったことが起きて驚きました。先生、ありがとうございました。九条さんも、楽しいカウンセリングでした。ありがとうございました」


 小夜さんが笑顔でお礼を言ってくれてはいるが、ただただ邪魔ばかりしていた自分が恥ずかしくて、まともに目を合わせられずに会釈だけ返した。しかし、これはカウンセリングと言える代物だったのだろうか?クライアントの小夜さんが満足ならそれでよいのだが、どちらかというと、寸劇を見せられたかのような、そんな気分だ。


「では、失礼致します。」


 小夜さんがいつの間にか、部屋の入り口の前に立ち、頭を下げて出て行こうとしていた。


「私も送っていく」茜ちゃんが小夜さんを追い、二人は並んで部屋を出て行った。


 一瞬外の光りが差し込み、待合室の喧騒が聞こえ、扉が閉まると、急な静寂が訪れた。なんだか、もう、あの二人に会えないような気がして、とても寂しい気持ちがした。胸の奥が締め付けられるようだ。

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