第7話 猫又と寺
「円昌寺」
「へ、え、あ?」
妖怪化した小夜さんの前で震え上がっていた僕はカウンセラー見習いの立場を忘れて、すっとんきょうな声を漏らしてしまった。小夜さんはじっと茜ちゃんを見つめていた。
「円昌寺」
茜ちゃんがまた同じお寺の名前を口にした。目を大きく見開き、その目には涙が溜まっている様に見える。
「円昌寺は傷付いた人たちと動物たちが寄り添って生きているお寺だった。駆け込み寺でもあったお寺だったから、心に傷を負った者たちが自然と引き寄せられるお寺だったのかもしれない。人や猫のような動物、そして、人外の者も。」
まだ、話しが見えて来ないが、小夜さんの表情が怒りから、戸惑いのような表情に変わっている。
「小夜さん、私は貴方とは初めまして、ではありません。その時はまだ猫の姿でした。私は貴方に恩があります。命を助けてもらったのです」
茜ちゃんが叫ぶように過去の告白をすると、小夜さんは困惑からなのか、呆然とした顔でこちらを見ている。
「私が・・・あなたと知り合い・・・?」
「はい。小夜さんは私、いえ、私たちを助けてくれました。そのことで自身を責め続けているのなら、もうやめて下さい。」
「な、何を言っているの・・・?」小夜さんが明らかに動揺しながら言葉を返す。
「円昌寺は地震などの天災や流行病、戦争で家族や仲間を失い、生きる気力を失って集まって来た者たちが、身を寄せ合って生きているこの世で最後の拠り所の様な場所でした。私も、大事な人や仲間が皆、私より先に死んでしまって、生きることに疲れてしまった時に天のお導きか、円昌寺に辿り着いたのです。このお寺は猫だけでなく、犬や狸など色々な動物も一緒に時を過ごしていました。その動物たちと傷付いた人たちのお世話をしてくれていたのが、小夜さんです」
「え・・・?」
僕はもうカウンセラーでも何でもなく、ただ、茜ちゃんと小夜さんの舞台を観ている観劇者になっていた。
「あなたがどの子だったかは分かりませんが、あの場にいたなら、私が許されない身の上だということもご存知のはずですよね?」
小夜さんの雰囲気が化け物から、儚げな麗嬢に戻っていた。
「あれは、皆を守るために仕方のないことだと思います。小夜さんがいなければ、住職は殺されてしまったかもしれないし、皆も無事ではありませんでした。お寺や仏像は壊れてしまいましたが、それで済んだのは小夜さんのおかげです」
小夜さんは一体何をしたのだろう?すっかり観劇者になっている僕は早く次の展開を知りたくて仕方がなかった。そんな僕の気持ちを察したように茜ちゃんが背景を解説してくれた。
「円昌寺は、私たちにとっては生きることに疲れ切った同じ境遇のものたちが生きていられる幸せな場所でしたが、世間からはそうは思われていませんでした。世間からは世の中の役に立たない汚れた厄介者たちが集まっているようにしか見られていなかったと思います。いえ、厄介者どころか、戦災孤児も多くいたので、いつかよからぬことをするのではないか?と思われたり、動物と人間が共存する気味の悪さを感じている人たちもいたと思います。そこに新政府の神仏分離令が出て廃仏毀釈の風が吹いたのですから、円昌寺は格好の的になりました。お寺は心ない人の手によって破壊されました」
小夜さんは、茜ちゃんの言葉に無言のままじっと耳を傾けている。何かを思い出そうとしているのか、そんな表情だ。
「あなたも猫又と言ってましたよね?」
「はい。私は猫又です。でも、小夜さんとお寺で出会った時にはまだ猫の姿でした」
おずおずと話す茜ちゃんは正に後輩といった感じである。
「円昌寺には、たくさん猫がいたから、あなたがどの猫か思い出せなくて、ごめんなさい。でも、住職から聞いたのだけど、一匹赤猫が瓦礫の山になっているお寺に戻って来て、娘の家に連れ帰ったことがあると言っていたけど、もしかして、その赤猫があなたなのでしょうか?」
「はい。私にとってとても大事な場所でしたし、他に行く所も思い付かずに戻ってしまいました。」
「そうなの。また会えて嬉しいわ。でも、私がしたことも見ていたのですよね?」
「はい・・・。」
茜ちゃんが小さく返事をして下を向いた。そして、数秒の沈黙が流れ、僕は我慢できずに声を出してしまった。
「一体、小夜さんは何をしたと言うのですか?」
沈黙を破った僕の声に二人は驚いたようにこちらを見た。まるで、僕がここにいることに今気が付いたように。
「そうですね・・・。貴方にも聞いてもらいましょう。私は人を殺しました。同じ人間を、同族を殺したのです」
小夜さんの突然の、そして、重過ぎる告白に絶句してしまった。
「許されることではないでしょ?」
何も言うことができなかった。
「でも、人は人を殺すよ。」
茜ちゃんが、泣きそうになりながら、消え入りそうな声を発した。
「私は、お寺を襲った人間を殺したのです。私は人の姿をした猫でもあるから、同族殺しは許されることではありません。人の世界でも許されることではないでしょう」
「でも、小夜さんがやらなかったら、誰かやっていたよ。私だって・・・」
「それも分かっています。赤猫、あなたが赤猫だとは分からなかったけど、赤猫のことは覚えています。あなたは化け猫に変化しようとしていたでしょう?他にも、同じことをしようとした者がいたのも分かりました。住職が嬲り殺しにされそうだったから。」
「みんなでやればよかったんだよ」茜ちゃんが駄々っ子のように呟いた。
「あの時、咄嗟にやってしまったことだけど、やってから後悔は無かったの。皆、私より幼い者たちだったし、人も動物も関係なく、仲間になった者を守ろうとする人間になりたいと思って、あのお寺で人間の姿をして、人間として生きていたのだから。だから、住職やあなたたちを守って、人を殺したことは実は後悔していないの・・・でも、猫の掟として同族を殺したことは許されない。人の法としても殺しは許されない」
「小夜さんが彼奴を殺さなかったら、住職も小次郎も九兵衛もみんな殺されてたかもしれないんだよ。だから、だから、悪い事はしていないんだよ」
茜ちゃんの理屈が正しいとは言えないけど、やむを得ない事情はあるのではないかとも思ってしまう。
「私は、私には理想の人間の像があるの。そのような人間になりたくて、人の姿になる道を選んだの。その人間は決して人殺しをするような人間ではない。そして、私は人を殺す以上、自分が死ぬ覚悟を持って殺った。だから、私はこの魂を神様に還すことにします。私は私が思う正しい人間にはなれなかったのですから」
そう言い放った小夜さんの顔は、この部屋に入って来た時の儚げな美しさではなく、覚悟を決めた凛とした美しさを放っていた。茜ちゃんの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「赤猫、最期にあなたと話しができてよかった。水亀先生は最期に素敵な贈り物としてあなたに会わせてくれたのね。ありがとう。まだ、私よりもずっと幼いのだから、元気に生きるのよ。さようなら。」
小夜さんは、床にへたり込んで下を向いている茜ちゃんに、少し悲しそうな笑顔で別れの言葉を言い、席を立った。
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