元傭兵、転職する。

ジロギン

元傭兵の警備員

町岡 隆弘(まちおか たかひろ)は大学入学後、派遣会社に登録し、単発のアルバイトをしながら遊ぶためのお金を稼いでいた。


派遣会社から依頼されるアルバイトのほとんどが、1日だけの単発案件。いつどんな仕事の案内が来るかは分からないが、固定でシフトが決まっているわけではない分、プライベートを優先できるし、職場で人間関係を築く必要もないため、町岡としては気楽に働けていた。



この日の仕事は、市民ホールで行われる音楽イベントの警備員。


開始時間まで会場の入口に立ち、客が勝手に入らないように見張る。時間になったら客を誘導し、イベントが終わるまで3時間、他の警備員と交代しながら入り口に立ち続ける。それだけの仕事。


警備員の仕事は制服を着るのが面倒だが、他のアルバイトより精神的には楽だと聞いていた町岡。しかも今回のイベントは屋内で開催されるため、暑さも寒さも気にする必要がなく、身体的にも楽そうに思えた。


それでもお金がもらえるので、ラッキー!なはずだったのだが……


老婆「私が一番に来たんだから!他の客より先に入れてちょうだい!そして一番良い席に座らせてもらうのは当然よねぇ!?」


開場までまだ30分以上もあるというのに、中に入れろと町岡につっかかる老婆。


いきなり精神的な負担がかかる、厄介な客がやって来た。


町岡「すみません、当イベントは順番制ではなく、席も自由席になっております。まだ開始時間前ですので、入口を開けることは……」


老婆「何でダメなのよ!?別に入るだけなんだから良いじゃない!?なに?私が先に中に入ってプラスチック爆弾でも仕掛けると思ってんの!?そんなヤバい人に見えるぅ?」


町岡「いえそうではなく……ヤバい人ではあると思うのですが……」


老婆「とにかく私が一番なんだから!先頭に並ばせてよね!他の客より先に!」


町岡「ですから順番などはないので……」


老婆「口答えばかりして!アンタじゃ話にならないわ!私が先頭だって責任者に伝えて!早く!」


怒鳴り散らす老婆の背後から、男が近づいてきた。


町岡と同じ制服を着ていることから、男も派遣アルバイトの警備員なのだろう。


身長は190cm、黒い短髪。制服の上からでも分かるほど筋肉モリモリの屈強な大男だ。


大男は折りたたみ式のナイフを取り出し、刃を老婆の首筋に当てた。


大男「三途の川を渡るのも、先頭にしてやろうか?」


老婆「あっ……いや……す、すみません失礼しましたぁ〜」


老婆はひきつった笑顔を浮かべ、その場を後にした。


だいぶ強引な方法ではあるが、厄介な客を追い払ってくれた大男に感謝する町岡。


町岡「ありがとうございました!どう対応すれば良いのか、すごく困ってて……」


大男「年齢以外に積み重ねたものが無い人間は、ナイフ1本で黙らせられる。覚えておけ」


大男はナイフを折りたたみ、町岡の左胸のポケットに入れた。


町岡「あなたも警備員のアルバイトですか?」


大男「そうだ。この入口を死守せよと言われている」


自称170cm(現実167cm)で痩せ型の町岡は、見た目に威圧感がない。


だからこそ、先ほどの老婆のように突っかかってくる客もいる。


しかしこの大男の見た目はインパクト抜群。ケンカになれば、勝てるのはヘビー級のボクサーやラガーマンくらいだろうと思わせるフィジカルエリートだ。


ナイフを持ち歩いているなど危ない面もあるが、警備員としてこれほど頼りになりそうな人物はなかなかいない。


今日だけの付き合いではあるが、仲良くしておいて損はないと町岡は判断した。


町岡「ボク、町岡 隆弘っていいます。お名前を聞いてもいいですか?」


大男「霜田 太一(しもだ たいち)!二つ名は『飛び火』!コードネームは『変幻自在の季節風 - クレイジー・モンスーン - 』!」


町岡「どれなんですか?!3つくらい言ってましたけど」


大男「ジョー・宗則(むねのり)と読んでくれ」


町岡「全然違うじゃないですか……じゃあジョーさんって呼びますね」


ジョー「勝手にしろ。名前に意味などない。個人を示すただの記号だ」


自己紹介を終えたジョーは、背中で手を組み真っ直ぐ前を見つめ、町岡の隣で警備を始める。


その眼光は鋭く、人を10人は殺めてそうな、コヨーテのような目つきだった。


2人の前を通りかかる人は皆、ジョーの顔を見ると目を逸らし、その場をそそくさと離れていく。


本当にただ突っ立っているだけの仕事になってしまった。


この状況が良いのか悪いのか分からないが、あまりにも楽過ぎる。


このまま黙って立っていても仕事としては問題ないのだろうが、暇だ。


町岡は、謎の同僚・ジョーと話をしてみることにした。


町岡「ボク、警備員って初めてなんです。もしかしたら上手く立ち回れなくて足を引っ張ってしまうかもしれませんが、そのときはすみません」


ジョー「だろうな。佇まいを見れば、キミが素人だとすぐに分かる。キミだけじゃない。他の警備員も素人同然。ただのカカシだな。こんな警備じゃ、侵入してくれと言ってるようなものだ。まぁ悪いのは、警備員の訓練を怠っている、平和ボケした『上』の人間どもなのだが」


町岡「やっぱり分かるんですね……ジョーさんは警備員の経験があるんですか?」


ジョー「警備員ではなく、傭兵をやっていた」


町岡「傭兵?!傭兵って、雇われて戦場に行く、軍隊に所属しない兵士のことですよね?」


ジョー「そんなところだ。4カ月前にある戦地で、敵兵が投げた手榴弾の爆破に巻き込まれてな。左足に破片を喰らい、治療には成功したのだが戦線復帰は難しく、やむなく日本で派遣の仕事を始めた。派遣も傭兵と同じようなものだと聞く」


町岡「……違いますけどね。でも確かに正規の社員やアルバイトではなく、いろんな職場に行って働いて、派遣先の経営が悪化したらクビを切られやすいってのは、傭兵に近いのかも……」


ジョー「使い捨てってやつだな。だが、そんな派遣は気楽で、オレの性に合っている。しかも警備員はオレ向きの仕事だ。オレは数々の籠城戦を潜り抜けてきた。カナブン一匹として侵入させたことはない」


町岡「……す、すごいですね……籠城戦……」


ジョー「だから安心しろ。仮にお前が死ぬことになっても、その右胸につけたドックタグは必ず家族に届けてやる」


町岡「ドックタグ……?ってこのネームプレートのことですか!?いやこれ兵士がつける識別用のプレートじゃないですから!しかも死にません!市民ホールを警備する仕事で死んでたまるか!」


そんな会話をする2人の元に、1人の男性が近づいてきた。年齢は30代中盤。市民ホールにやって来た客だろう。


男性「あの〜すみません、イベントの開始時間は……」


ジョー「誰だ貴様!?所属部隊名と名前を言え!」


男性「ひぃっ!すみません!何でもありません!」


話しかけてきた一般男性に対し、狩りをするジャッカルのような剣幕で対応したジョー。


男性は怯え、どこかへ去って行った。


町岡「今の人、開始時間を聞きたかったんじゃ……ダメですよ!追い払ったら!」


ジョー「ヤツが爆発物を持っている敵兵である可能性がゼロではない以上、近づけるのは利口ではない。いいか新兵、戦場では1秒の油断も許されない!オレの二の舞になるな!」


町岡「新兵って……しかもここは戦場じゃないですよ!ただのイベント会場です!」


直後、2人の近くを小さな男の子を連れた家族が通りかかった。


男の子は両親の後ろを、おもちゃのピストルを握り「バァン!バァン!」と言いながら歩いている。


ジョー「伏せろ!銃声だ!」


町岡「いや男の子!その男の子が口で言ってるだけ!」


ジョー「銃声が聞こえたらすぐに屈め。1パーセントでも生存確率を上げろ」


町岡「ヤバいこの人!どうしよう!こんなヤツと一緒の持ち場になるなんて……」


ジョーと一緒にいることこそ厄介な状況だと察した町岡。


少しでもジョーと離れるため、ある作戦を打つことにした。


町岡「あのぉ、ジョーさん、今はイベント開始前で人も少ないので、警備はボクだけで充分ですよ!だからどこか別のところで休んでいてください!」


ジョー「オレに休みは不要だ。山猫は眠らない」


町岡「……いやちょっと何言ってるのか分からないですけど、休憩してくれて大丈夫です!」


ジョー「新兵一人に任せておけるか。実戦経験のあるオレが残るべきだ。お前が休め。戦況が悪化しない今のうちにな」


町岡「……じゃあジャンケンで決めましょう!勝った方が残って、負けた方が休む!いいですね?最初はグー!ジャン…...うわっ」


ジョーは右手で逆手に握ったナイフの刃を、瞬時に町岡の首元に突きつけた。


ジョー「接近戦ならナイフの方が速い。そしてオレのナイフは、チョキより切れる。覚えておけ」


町岡「……はい……分かりました……」


ジョーがナイフを、右腰に下げた鞘にしまう。


よく見ると、ジョーの体の至るところにナイフが装備されていた。


男「おい!お前だな?客から怖い警備員がいるってクレームが来てるんだよ!」


町岡とジョーのもとに、50歳くらいの男が近づいてきた。


男は市民ホールの責任者だという。


発言や表情から、かなりイライラしているようだ。


責任者「ナイフも持ってるんだって?おかしいの分かるかぁ?警察には言わないでおくから、今すぐ辞めろ。クビだクビ!お前に言ってんだよ!筋肉モリモリマッチョマンの変態!」


ジョー「……ふんっ!こうやってオレたち傭兵は使い捨てられる。これが現実だ、新兵」


町岡「……えっ!?いやボクを巻き込まないでくださいよ!クビなのはジョーさんだけでしょ!?」


責任者「ギリ身長170cmなさそうなキミはいいよ。引き続き警備を続けてくれ!問題はお前だマッチョマン!無駄に筋肉つけやがって!」


町岡「地味にボクの身長のこといじった!?」


ジョー「無駄な筋肉か……本当に無駄なのは、頭数だけは多いが、一人ひとりは赤子以下の戦力しかない警備員の方ではないのか?」


責任者「何言ってんだ!?ボンレスハムみたいな腕しやがって!とにかくお前は過剰なんだよ!警備には筋肉もナイフも不要だ!このイカれ野郎!お前みたいなヤツはいらないんだよ!」


町岡はジョーが少し不憫に思えてきた。


戦場での居場所を失い、今も職場を追われようとしている。


それに自分の身長をいじられたことにも少し腹が立ち、町岡はこの責任者に反論せずにはいられなくなってきた。


町岡「ちょ、ちょっと待ってください!確かにジョーさんは危険人物です!無駄にマッチョだし、ナイフを何本も持ち歩いています!でも警備の仕事に対しては真剣で、最悪の事態を考えて行動しているからこそ過剰になってるんです!よく知りませんが、たぶん性根は優しい人なんです!」


ジョー「おい新兵、勘違いするな。オレは戦地で400人以上を殺し、『死神』と呼ばれた心なき殺戮マシーンだ」


町岡「庇ってるんだから黙れよ!とにかくもう一度彼にチャンスをください!きっと上手くやりますから!お願いします!ボクが彼をコントロールしますから!」


責任者「このマッチョマンの肩を持つのか?ならお前もクビでいいな?」


町岡「……今すぐこの危険人物を排除するべきです!何なんだよこの筋肉!?無駄だなぁ!それにボク、このマッチョマンの行動を見ていましたがクレイジーそのものでした。頭のネジが外れているというか、最初からネジがついていないとしか思えません……ボクがあえて会話を続けてこの場に留めておかなければ、この男の手で何人死者が出ていたことか!」


責任者「そうだろう!よし決定!クビだマッチョマン!今すぐこの場を去れ!」


ジョー「……誰かを守っても誰も守ってはくれない。傭兵も派遣も、末路は同じか」


<完>

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