ロセッティ商会
「ダリヤさん、どうでした?」
商業ギルドに戻ると、イヴァーノが心配そうに駆けよってきた。
「今日中にオルランドさんが来ると思いますので解約手続きをお願いします。その後に再登録させてください。お手数ですが、その際に公証人をお願いします」
「わかりました」
「あと、今後、オルランド商会は私と取引はしないと言われてきましたので、仕入れのために、どこか別の商会をご紹介願えませんか?」
「は? それ、トビアスさんが言ったんですか?」
イヴァーノの口が開いたままになった。
「はい、オルランドさんから言われましたので、確定です」
「すみません。ちょっと副ギルド長に確認してきますので、お時間頂けないでしょうか?」
「こちらこそすみません。重ねてお手数をおかけします……」
イヴァーノが階段を駆け上っていくのを見送り、ダリヤは吐息をつく。どうやらまだしばらくは家に帰れそうにない。
「おう、ダリヤちゃん、こんにちは」
後ろからの声に振り返れば、マルチェラだった。
「やっぱり、ダリヤちゃんは赤い髪の方が似合ってるな。こっちはちょうど配達で、今日の分が終わったところだ」
「ありがとう、イルマの腕がいいおかげよ。ねえ、運送ギルドの
「いいや、ちょうど在庫が少ないって言われたんで、すすめといた」
「ありがとう。頑張っていいものを届けられるようにするわ」
「そうしてもらえるとこっちも助かる。荷物が
「ええ、仕入れのために、新しくお付き合いできる商会を探しているの。オルランド商会とはこれからは難しそうだから」
商業ギルドでは、個人でも仕事は受けられるが、一回の取引金額の上限が低くなる。
また、信用問題があり、商会でないと魔導具の素材の仕入れ先が限られてしまう。そのために、ダリヤは新しい商会を探すつもりだった。
「馬鹿と顔合わせるのも面倒だしな」
「ダリヤちゃん、もう、『ロセッティ商会』作れよ。そうすれば、仕入れ放題じゃないか」
「商会を? 保証金はともかく、保証人四人は無理よ」
ダリヤは苦笑しつつ、マルチェラに言い返す。
一人でも新しく商会は作れるが、保証金に金貨十五枚と、保証人四人以上がいる。
保証人は成人であること、それぞれ金貨四枚以上の預け金を行うこと、商業ギルドに登録している商会長・または副会長を三年以上やっているか、商業ギルドまたは運送、服飾などの関連ギルドに三年以上勤めているギルド員、もしくは子爵以上の貴族である必要がある。
この保証人の責任が重く、新商会が違法行為をしたときは、たとえ知らなくても、保証責任として高額な罰金をくらう。
預け金は二年後に収益に応じて利息がついて返ってくるが、二年以内につぶれたときには、保証人も負債を埋めなければいけないなどのペナルティもある。そうそう気軽になれるものではない。
「『ロセッティ商会』はいいわね。私も賛成よ」
どこから聞いていたのか、廊下を歩いてきたガブリエラがいい笑顔で言った。その後ろから、イヴァーノと公証人のドミニクが続いている。
「ダリヤさん、この際だから、『ロセッティ商会』立てない?」
「立てるんなら、俺が保証人の一人になるぜ」
「ちょっと、マルチェラさん! 何を言っているの、イルマに相談もしないで」
「イルマなら、なんでその場で決めてこないのって怒るぞ、間違いなく。あと、言っとくけど、俺もそれくらいの貯金は軽くあるからな」
「僕も保証人になれるのであれば、ぜひお願いしたいです。あ、名乗ってませんでしたが、メッツェナ・グリーヴと言います」
マルチェラと一緒に荷物を運んでくれた、
「私なんかに、どうしてですか?」
「純粋に投資としてですよ。運送業は雨との戦いでしたからね。防水布の幌もレインコートも本当に助かってます。ああいったものが増えるかもしれないなら、仕事が楽になるんで、喜んで出しますよ。あと、できれば門の自動開閉も期待しています」
メッツェナの笑顔に続き、イヴァーノが手を挙げる。
「私も保証人になりたいです。別にダリヤさんに気を使っているわけじゃないですよ。私も純粋に収益狙いですので、ぜひ、二年後に
「これで三人ですか。私も立候補させて頂きたいところですが、公証人は保証人になれないので、家に帰ったら、息子と孫達にすすめてみましょう。息子は一人、孫は三人がギルド関係者ですから、きっとそろいますよ」
ドミニクが楽しげに言うが、ダリヤはここまでの皆の早さに、頭がついていかない。
こんなうますぎる話はおかしい、皆で自分をかついでいるのではないかとつい考えてしまったほどだ。
「ドミニクさん、その必要はないわ。あと一人は私が出すわ。夫の名前だけど」
副ギルド長であるガブリエラの夫は、ギルド長であるジェッダ子爵である。ダリヤは思わず、息を飲んだ。
「ギルド長が保証人ですか、それはいい。ただ、ジェッダ子爵は今、隣国に出ているとお伺いしましたが……委任状はお時間がかかるのでは?」
「大丈夫よ。委任状はいつも私の机に入れてあるの」
副ギルド長、なぜに旦那さんの委任状をいつもお持ちなのですか、そして、それはいろいろといいのですか。
共通した疑問を皆が頭に思い浮かべたが、ガブリエラの完璧な笑みに、誰も口に出せなかった。
「じゃあ、会議室でさっくりとつめましょうか」
「そうですね。公証人は私でよろしいですよね、ダリヤさん」
「待ってください、皆さん、本当にいいんですか? 急なことで私はなんの準備もしていませんし、駆け出しの魔導具師で、二年で思うように利益が上がるとは……」
「何言ってやがる、防水布作った時点で十分一人前だろ。研究資金が欲しいなら、保証人をもっと増やすか? 運送ギルドで『防水布の開発者が商会を立ち上げるので保証人にならねえか!』って、声をはりあげてくれば、かなり増えると思うぜ」
「なんでしたら、今、商業ギルド内で聞いて回れば簡単に増えると思いますけど、行ってきます?」
「お願いですからやめてください!」
これ以上は話が早すぎてついていけない上に、自分の胃も絶対についていかない。
「商業ギルドでの預かり金をそのまま保証金扱いにして、足りなければ保証人の預け金が使えるわ。仕事場は緑の塔で登録、書類は八枚、わからないことは私を含めて職員に聞き放題、あとはダリヤさんのやる気だけね」
言い終えたガブリエラが、ちらりとマルチェラとイヴァーノに視線を送った。
「ほら、ダリヤちゃん、いつか使ってみたいって言っていたものが、仕入れで手に入るかもしれないだろ?
「隣国ですが、先日、
聞かされている素材は、そう簡単に入手できるものではないことも、かなり高額であることもわかっている。
だがしかし、魔導具師ならばやはり夢見るはずだ。
まだ見たことのない素材には、さらに胸が高鳴ってしまう。
「……じゃ、商会の契約をしに会議室に行きましょう」
「はい」
ダリヤはあっさり陥落した。
・・・・・・・
魔導具師の欲望に流されるがままに商会を起こすことになったダリヤは、翌日も商業ギルドに来ていた。
昨日、自分がいる間にトビアスが来なかったため、小型魔導コンロの再登録が今日になってしまったのだ。もし、まだ来ていない場合は、商業ギルドが動く可能性も出てくる。
ダリヤは少しだけ足早になりながら、二階への階段を上った。
「おはようございます、ダリヤさん。昨日、あれからトビアスさんがいらして、小型魔導コンロの利益契約書の解約を行いました」
先手を打って説明してくれたイヴァーノに、ダリヤはほっとして挨拶を返した。
「ありがとうございます、イヴァーノさん」
「今、書類をお出ししますね。ドミニクさんは昼にいらっしゃるので、本日中に再登録できるかと思います」
「よろしくお願いします」
再登録は簡単なもので、それほどの書類は必要ない。公証人であるドミニクにはダリヤの名義を確認し、証明書類を作ってもらうだけだ。今回は同席の必要がない。
これで魔導具師としてのトビアスに、ペナルティになる履歴は残らない。
もっとも、商業ギルドでどう
書類を確認していると、事務所の隣の会議室に五、六人の男達が入っていった。
織物関係の商会の打ち合わせらしい。遅刻者がいるようで、雑談で盛りあがりはじめた。
「そういやな、さっき下で聞いたが、オルランドのところの次男、結婚間近で新しい女に乗り換えたとか」
まさか、ぎりぎり聞こえる事務所の隅に、噂の人であるダリヤがいるとは思うまい。
耳もふさげないので、何事もないかのように書類をめくる。
「オルランドのところの次男……ああ、防水布のトビアスか。まだ結婚しとらんかったのか?」
「婚約してたのはカルロのとこの娘だろ。ターニャだったか? まあ、師匠の娘だからな、そのときは断れんかったんだろう」
「新しい女の方は商会で受付やってる子だと。見たことはあるが、そりゃあ若くてかわいい子だ」
「捨てられたターニャはかわいそうになぁ。カルロが生きていたら、そんなことにはならなかっただろうに」
噂とはまあ、よくねじ曲がるものだ。
防水布はトビアスか、自分の名前はターニャか、ダリヤはそちらにつっこみを入れて冷静を保とうとしていた。それでも、指先は次第に冷たくなっていく。
「……年のいった
横から肩を
今日は薄紫に同色のレースをポイントであしらったワンピースだ。後ろでまとめた象牙色の髪には、銀色に青い石の入ったバレッタがきらりと光っていた。いつもながら、ついみとれてしまう装いだ。
「予定がないなら付き合わない?」
「お仕事はいいんですか?」
「私、今日は休暇なの。夫がいないから暇でここに来ただけ」
気を使ってくれているのか、それとも商会のことで話があるのかもしれない、ダリヤはそう考えて了承する。
商業ギルドの外に出ると、すでに馬車が待っていた。
「さて、ダリヤさん。ちょっと『商会長らしく』なるお勉強をしましょうか?」
「あの、商会長っていっても、私一人ですよ?」
「ええ、だから。見た目でなめられないよう、きっちりやっちゃった方がいいと思うの」
ガブリエラは、獲物を見つけた猫のように笑った。
・・・・・・・
最初に連れていかれたのは服飾店だった。庶民向けだが、それなりに上質な服を扱う店だ。
この世界は、前世よりも服飾関連品のお値段は高めである。ダリヤはついガブリエラの袖をしっかりとつかんでしまった。
「あの、ガブリエラさん、私、予算が……」
「大丈夫。足りないなら、保証人になってる夫の財布が払うから」
意味不明な返事の後は、何を聞いても笑顔が返ってくるだけだった。
「ようこそ、お待ちしておりました」
店員が挨拶をしてすぐ、ダリヤはいつも着ている濃灰の服をはがされた。
慌てている間に採寸が終わると、ガブリエラと店員に、下着のサイズがまったく合っていないとなぜか
店員にがっちりと捕まって採寸され、その後に下着まで試着した。そうしながら、『サイズの合ったランジェリーをつけるのは、絶対にお客様に必要なことです!』と三度ほど繰り返された。
結局、サイズを合わせた新しいものを三組買うことになった。
次に、ダリヤの顔に布をあて、似合う色と似合わない色を確認する作業にうつり、確認したものを紙に貼られて渡された。その中から色を選べということらしい。
服の好みを聞かれたので、『動きやすいもの、汚れが目立たない色、洗いやすいもの』と答えたところ、店員が無言になり、ガブリエラは額を手のひらで押さえていた。
その後、試着部屋に通されると、両手にあふれんばかりの服をかかえた店員が入ってきた。
「すべてご試着なさってください」
笑顔が怖い店員に何と言うべきか、ガブリエラに助けを求めようとしたところ、彼女は店員の倍近い服を持って試着部屋に入ってきた。
店員とガブリエラが選考、ダリヤはとりあえず着ては脱ぐという作業を果てしなく繰り返した後、十パターン二十着ほどがハンガーにかけて並べられた。
三パターン以上選べと言われたので、安い順に選ぼうとしたところ、あっさり気づかれた。
「ダリヤさん、あのね、こういった服は、他の人に自分を紹介する『紹介状』になるの。商会長をやるのだから、打ち合わせやお客に対応するときにも信頼感がいるわ。最初にいい印象を与えるためにも服は大事なの」
「そうです、服は大事です! お客様は絶対に、もっとお似合いの服に切り替えるべきです!」
二人の説明にとりあえず納得したが、どういった服が信頼感やいい印象につながるかがわからない。正直、似合っているかどうかも見慣れなさすぎて自信がない。
二人にそれを伝えてアドバイスを求めた末、ようやく二パターンが決まった。
一パターンめは、
二パターンめは、涼やかなヒヤシンスブルーのアンサンブルに、レースで装飾が少しだけ入った紺色のロングスカート。
ダリヤ自身も気に入った組み合わせだ。
「ゆるくてサイズが合わない服は、結局は動きづらいですよ。今は伸縮性のいい生地も増えているんです。特に
三パターン目で迷っているとき、店員の『
悩んだ末、追加でオリーブグリーンのロングパンツを選んだ。
もちろん、一番伸縮率のいい生地で、
上に合わせる服として、白地にわずかに緑の色味の入ったホワイトリリーのサマーセーターと、白いシャツを購入することにした。
記憶にある限り、今世で白い服を買うのは今回が初めてである。
どの組み合わせにも対応できるようにと、靴も探すことになった。靴だけは二足までと言いきったダリヤに、店員とガブリエラが協議、えんえんと試し履きすることになった。
その結果、ダリヤの肌に合わせたベージュの靴と、艶のある黒の靴が選ばれた。歩きやすさを考えて、ヒールは低めにした。
ようやく服と靴の選択が終わると、ダリヤは灰になりそうな思いだった。
ワンピースやパンツの調整は、店内に専門の裁縫職人がいるので、すぐ行えるという。
待っている間に会計をすることになったが、店員はダリヤではなく、ガブリエラに請求書を手渡した。
「ダリヤさん、大銀貨五枚は出せる?」
大銀貨一枚はダリヤの感覚では一万円。
購入するのは、それなりにいい服七枚と下着三組、靴二足。絶対に足りる値段ではない。
「支払いは自分でします。絶対にもっと高いですよね?」
「じゃ、そのゆとりは次の店に回してね」
ダリヤの目の方が回りそうだった。
・・・・・・・
次に馬車が向かったのは、化粧品店だった。
ダリヤは服飾店でランプブラックのワンピースに着替え、艶ありの黒い靴に履き替えて出てきた。今までずっと
「いらっしゃいませ、ガブリエラ様」
「こんにちは、上客予定の女性を連れてきたわ。ロセッティ商会長のダリヤさんよ」
「ダリヤ様、初のご来店、ありがとうございます」
涼やかな目元の女性店員に対し、いきなり商会長として紹介され慌ててしまった。が、ここで騒いだら、ガブリエラに迷惑がかかってしまう。ダリヤはひきつりながらも、なんとか笑みを作って挨拶をした。
化粧品とメイク用品がずらりと並び、鮮やかな色の花々が飾られた店内は、どうしても気後れする。
「本日はどのようなものをお探しですか?」
「十分以内でできる初級のメイクを教えてほしいの。あと、それに使ったメイク用品を一式お願い」
「わかりました」
「じゃ、私は横で手順をメモしておくから」
ダリヤは、大きな三面鏡前の椅子をすすめられた。サイドテーブルにはいくつかのメイク用品が並べられ、真横には店員、斜め後ろにはソファーに腰掛けたガブリエラが並ぶ。
「今までのメイクはどのようになさっていましたか?」
「
実際は、トビアスが化粧の匂いが嫌いだと言ったので、全部やめてしまっただけなのだが。
「肌がおきれいですので、眉を整え、簡単なアイライン、口紅、チークの四点でいいかと思います。できればアイシャドウと白粉もおすすめしますが、省略してもかまいません」
ダリヤは前世でも今世でも、化粧に関しては知識も技術も薄い。
あせっているうちに、店員はさくさくと説明をしながらダリヤの眉を整え、化粧の仕方について教えながら実践していく。
太めで
アイラインを入れられると、ダリヤの二重だが地味な目はすっきりと切れ長に見え、アイシャドウで奥行きもついた。チークは白いだけの顔を血色良く、元気に見せてくれる。
口紅を塗りおえて鏡を確認したとき、ダリヤはこの店のメイク用品に、何らかの魔法効果があるのではないかと疑いはじめていた。
店員は満足げに説明と実践を終えると、ダリヤを部屋の端にある洗面台に案内した。ここで一度メイクを落とし、今度はダリヤ自身に化粧をさせるためである。
こんな短時間でできるようになるわけがない、そう叫びそうになった。
が、アイラインの筆を持ったとき、ふと高等学院の実習を思い出した。
魔導具科の実習で、いくつかの素材を合わせて指定の色彩を出し、魔導具に指定通りに塗りつけるというものがあった。難しいがとても楽しい作業だった。
メイクの場合、自分を魔導具と考え、すでに教えられた順番で、指定の通りに塗ればいいのかもしれない。そう思うと気が楽になる。
実際、細かな染色や調整作業は、魔導具作りには欠かせないのだ。
「素晴らしい、しかもよくお似合いです!」
ダリヤが自分でメイクを終えると、店員はたいへん喜び、様々なメイク用品について話しはじめる。ダリヤは失礼にならぬよう、聞き役になろうと耳を傾けた。
「白粉はシルクを混ぜたパウダーの方が乾きません。アイシャドウは植物性がほとんどでしたが、最近は、魔物素材も増えてきたんですよ」
「魔物素材とは、どんな種類ですか?」
「レッドスライムを利用した、透明感のある赤の染料ですね。完全無毒化に成功したとのことで、今回使っているものは、その染料と今までの口紅染料を合わせたものなんです」
「レッドスライムですか。ジェル素材なので、いい透明感と奥行きが出そうですね」
スライムの魅力は、やはりあの透明感であるとダリヤは思う。店員も大きくうなずいた。
「ええ、透明感があるので、より自然な感じになりますね。先月、クラーケンの外皮部分を加工した口紅コート剤が出ましたが、こちらを上に使うと塗り直しが少なくて済みますよ」
「なるほど、クラーケンの外皮だとカバー力が強そうですね。コーヒーカップやグラスに口紅がつきにくくなりそうです」
「そうなんですよ! 食事やお茶のときにも便利になりました」
店員は再び大きくうなずいた。
「あと、うちの店にはまだ一度も入ったことがないのですが、世界樹の葉を砕いて作ったというアイシャドウは、緑ではなく美しい薄い青、いわゆる
「世界樹で空の色になるなんて……素敵ですね」
二人の話はメイクに関してなのか、魔物素材に関してなのか、その後も大いに盛り上がる。
ガブリエラはすでにメモをやめ、生暖かい目で見守っていた。
店を出るときには、メイク用品の基本一式を買い、おまけを大量にもらったダリヤだった。
・・・・・・・
「本当ならワインで乾杯したいところなのだけれど、時間が微妙だから、今日はここで我慢して」
すでに昼をとうに回り、午後のお茶の時間である。
喫茶店で向かい合わせに座る二人のテーブルには、フルーツと生クリームをたっぷりそえられた分厚い二段のパンケーキと、紅茶が並んでいた。
「今日からダリヤと呼ばせてもらうわね。私のこともガブリエラと呼んでちょうだい。商会長は基本、お互い呼び捨てにさせてもらっているから」
「ええと……」
子爵夫人でギルド長の奥様で副ギルド長を呼び捨て。ダリヤには恐れ多いの一言しかない。
「せっかくお似合いの服が、猫背で台無しになるわよ、ダリヤ」
「ガブリエラ、さ……気をつけます」
つい、さん付けで呼びそうになっているダリヤに、目の前の女が大きく笑った。
冷めないうちにとすすめられ、分厚いパンケーキを食べはじめると、ふわふわの生地が口の中でほどけた。いい卵と牛乳を使っているのだろう。味がしっかりしている。
一枚目はそのままで少し食べてから、あとは生クリームで食べる。甘さはひかえめだが、素材のやわらかさとバニラの香りがなんともよかった。
二枚目は残りの生クリームとフルーツを合わせて食べた。フルーツの甘みとジューシーさが加わって、さらにおいしい。
空腹だったせいもあり、二人とも会話もあまりないままに食べ終えた。
おいしいパンケーキの満足感にひたっていると、追加の紅茶が運ばれてきた。
「ダリヤ、今日は突然でごめんなさいね」
「いえ、いろいろ教えて頂いた上に、お支払いまで……本当にありがとうございました。自分ではわからなかったですし、今まで考えたこともなかったので」
こちらの服装とメイクに変えてみてよくわかる。
今まで服飾関係にあまり興味がなかったが、必要なものとそうでないもの、そして、似合うものと似合わないものが、まるでわかっていなかった。
商会長として仕事をすすめるときには、やはり相手に信頼される努力をしたい。これからは服装もメイクも気をつけていかなければと、そう思う。
「ああ、言い忘れていたわ。神殿で目を診てもらって、できるなら眼鏡を外しなさい」
「眼鏡を、ですか?」
「ええ、あなたに眼鏡は邪魔よ」
ほぼ命令だった。
確かに泡ポンプボトルを試作しているとき、浴室で眼鏡が曇って不便だった。神殿で治してしまった方が、今後の作業が楽になるだろう。
かかる金額を聞いてみたが、両目で金貨一枚、それに気持ち分の寄付くらいだと教えられた。それぐらいであれば問題なさそうだ。
ちなみに、基本的に眼病は主に医者で、視力を戻すのは神殿だという。
病気に関しては医者、
腕や足をなくしても、七日以内であれば神官による再生治療が可能と聞いて、魔法のすごさに感心した。逆に、病気に関する治療技術は前世より低い。治癒魔法でなんとかできないものかと思うが、万能ではないらしい。このため、突然の怪我よりも病気を心配されることが多い。
「わかりました、行ってきます。すみませんガブリエラ、いろいろとお気遣い頂いて……」
「気にしないで。カルロへの借りを、あなたに返そうと思っただけだから」
「父への借り、ですか?」
ダリヤはきょとんとして聞き返す。
自分が覚えている限り、父がガブリエラに対して貸しになるようなことをした記憶はない。
「うちの夫に私を紹介したのは、カルロなのよ。だから夫婦ともカルロに借りがあるの」
「初耳です……」
「カルロに口止めされていたの。皆、
ガブリエラの夫は、貴族であるジェッダ子爵である。名誉男爵だった父と、どこかで付き合いがあったのだろう。
「それともう一つ。カルロが『ダリヤが魔導具師か女として困りそうなことがあったなら、アドバイスしてやってくれ。なかったら死ぬまで内緒にしておいてくれ』って」
「父が、ですか……」
「別にそう困ってはいなさそうだけれど、オルランドと切れて自由にやるなら、ダリヤの商会があった方がいいし、商会をやるのなら、あなたが看板になる必要があるわ。ついでに、貴族の名前が入っていれば狙われにくくはなる、だから夫の名前を無理に入れたの」
「ありがとうございます……」
「気にしないで、借りを返したかっただけよ。ねえ、ダリヤ、もう遠慮はいらないわ。これから仕事も男も多く寄ってくると思うけれど、見極めて、選んで、自分の望む方に行きなさい」
「……はい」
ダリヤはうなずいて返事をするのが精いっぱいだった。
「カルロは、いろいろな人の相談にこっそりとのっていたわ。とても頼りにされていたのよ」
ダリヤの知らない父の一面だった。
よく帰りが遅いときがあり、飲みに行っているとばかり思っていたが、あれは誰かの相談にのっていたのだろうか。
「ねえ、ダリヤ。カルロの趣味って知ってた?」
「いえ、魔導具以外には……お酒ぐらいでしょうか?」
「ああ、確かに酒豪だったわよね。でも一番の趣味はきっと……」
象牙色の髪の女は、ひどく真面目な顔でダリヤに向き直る。
「人に貸しを作って口止めすることよ」
二人は同時に笑い、父カルロの思い出話が始まった。
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