見出した謎
明くる日、初穂と玖澄は連れ立って山の散策に出かけた。
自分がこうして山歩きまで出来るようになるとは考えたこともなかった。
二人で拵えた弁当を持参し、ひっそりと美しい水面を湛えた泉の畔へとやって来る。
見た事もない白い小さな花が一面に咲き乱れる光景に、初穂は思わず歓声をあげた。
小霊達が二人に気づいて近づいてきて、花弁を降らせたり、戯れるようにくるくると踊りながら二人の周囲を巡る。
伺うような視線を感じると、儚いあやかし達がこちらを覗いていた。害意はないようで初穂達を見守っているようにも感じる。
玖澄は、やはり初穂を気遣い続けた。
敷物を整え、初穂が少しでも負担を感じず外での食事を楽しめるようにと気を配る。
時折姿を見せる小動物たちに目を輝かせながら、初穂と玖澄は楽しい昼餉を終えた。
後片付けをして、さて少しこの辺りを散策しようかと二人は立ち上がる。
泉の冷やりとした空気を心地よく感じながら、初穂はこうして居られる事を喜び、微笑みかけた。
その瞬間、激しく胸に痛みが走る。
心の臓などの痛みではない。これは、このところ感じている、心の……。
不意に黙ってしまった初穂に、玖澄が首を傾げて問いかけようとしたのを感じて。
初穂は、少しだけ弱弱しい声音で玖澄に問いかけた。
「少しだけ、一人にしてもらってもいい……?」
何とか笑みを浮かべて見せたが、ちゃんと笑えていただろうか。
唐突な初穂の申し出に、玖澄は怪訝そうな様子だった。
何か不調法をしてしまったかと心配している様子でもある。そんな玖澄を見て、胸の痛みは更に増す。
気分をかえたいだけ、と我ながら苦しい言い訳をしてしまったと初穂が悔いていた時、玖澄が息を一つ吐いた。
「分かりました。あまり遠くには行かないように。少ししたら迎えにきますから」
玖澄は何時も通りに笑ってくれていたが、その笑みには翳りがある。
この辺りなら少し歩いても大丈夫だから、と努めて明るく言おうとする玖澄。
それがあくまで初穂を慮り故であると感じるから、申し訳なさで胸が詰まりそうになる。
小霊達にも言い聞かせ、玖澄は小さな者達を連れてその場から静かに姿を消した。
残された初穂は暫くの間重い沈黙を纏い佇んでいたが、やがて重い足取りで歩き出す。
草を踏みしめる音だけが響く中、初穂は唇を噛みしめたままだった。
何とか押さえ込み気付かれなかったようだが、初穂はこのところ感じるようになった痛みを思って心にて呻く。
最近玖澄と共に過ごしているときに、ちり、と胸の奥に痛みが走ることがある。
それは、大抵玖澄の様子に初穂が微笑んでしまったり、嬉しく思ったりするときだ。
何故に痛みが生じるのか。それに気付いているからこそ、初穂は穏やかな時間に浸りきれないでいる。
痛みは、忘れるなと初穂に警告しているようだった。
お前が玖澄に隠している事を。醜く浅ましい性根を、と。
初穂は、痛みを押し隠して微笑んでいる。
玖澄に気付かれたくない。玖澄に知られたくない。ただ、その一心で。
自分に優しくしてくれる玖澄、もうその真心は疑う余地は欠片もない。
それなのに、自分は彼を討つという使命を負っているのだ。
使命ある限り、心から自分を大切にしてくれる玖澄を、いずれ殺さなければいけないのだ。
瀬皓の人々はどうしているだろうか、と気になっている。
村の災いの原因が玖澄ではない。それはもう確かだった。
なら、他に原因があるならば、今もなお村は苦しみ続けているのではないか。
村が苦しみに晒され続けているならば、初穂に課せられた使命は終わらないのだ。
原因が玖澄にないと証を立てない限り、玖澄を討てという命令は続いているのだ。
戻ってこいと、あの日言ってくれたけれど。今は、脳裏に思い出される声が、何故か虚しく感じる。
けれどあれは、死地に赴こうとした初穂にとって唯一つの心の支えだった。
もしかしたら……もしかしたら自分は、本当は愛されていたのではないか、と思えたから。
自分は居ても良い存在なのだと思いたくて。儚い可能性だと知っていても、それに縋らずに居られなかったから……。
あの言葉から随分と経った。もう、あの日の父の表情もあやふやになってきている。
でも、今の方が自分の足で大地を踏みしめている感じがする。揺らぐ事なく立っていられていると思う。
一人の人間として、確かに初穂がそこにいるのだと認め、接してくれている玖澄の存在がどれ程心強いことか。
初穂は、初穂のままで良いのだと言葉に依らずに伝えてくれる温かで優しい大蛇。
玖澄が優しければ優しい程、幸せを感じようとすると胸に刺さる棘が激しく痛む。
分かっている。この胸の痛みは罪悪感だ。
初穂が贄となった本当の目的を未だ隠している事に対する罪の意識が、初穂の心に爪を立てるのだ。
玖澄はあんなにも優しく初穂を受け入れてくれているのに。
初穂を花嫁として迎えた事を心から喜んでくれている玖澄。
もし、初穂が玖澄を殺す使命を帯びていると知ったなら、その為に傍に居たと知ったなら、玖澄はどういう顔をするだろう。
裏切られたと悲しむだろうか、怒るだろうか。
傷ついた表情の玖澄が初穂の手を払うのを想像しただけで、怖い、と身体が震える。
紅い瞳が冷ややかな光を湛えて初穂を見たら、と考えるだけで血の気が引く思いがする。
もし、玖澄に拒絶され、追い払われたとしたら。
災いが今もなお続いているのだとしたら、父は初穂があやかしを討たないせいだと思っているかもしれない。
人々は贄が気に入らなかったのか、と初穂を役立たずと謗っているかもしれない。
それなら、玖澄の元を追い出されたら本当に初穂の行く場所はなくなってしまう。
初穂は唇を噛みしめる。
ただ居場所を失いたくないから打算に走る自分を、卑怯者と罵る。
こんな自分は、玖澄に優しくしてもらう資格などないのに。何と浅ましく醜いのだろう。
恐れる理由はそれだけか、と裡に問う声がある。初穂は深く嘆息し、俯いてしまう。
心のどこかで気付いている。
玖澄に知られたくないという理由が別にあることも。玖澄に拒絶されるのを恐れる本当の理由も。
そんなまさか、と思う。
それを口にする資格がないことを知っているからこそ、尚更そう思うのだ。
あの美しく優しい存在に、自分のような小さく狡い者は、相応しくない……。
思索のうちに歩みを進めていたら、周囲の光景が変わり始める。
いけない、と初穂は慌てた。
あまり遠くにいかないようにと言われていたのに、少し離れてしまった。
戻らないと、と来た方向に戻ろうとした時、初穂の頬に不思議な風が触れ、過ぎていった。
その瞬間、背中に寒いものが走ったような気がして、初穂は表情を強ばらせる。
何かがこの先にある、と感じる。
良いものではない気がするけれど、気になってしかたない。知らないままでは済ませたくないと思う何かが、この先にある。
玖澄には後で詫びよう、と心で呟きながら初穂はそのまま歩みを進め。
やがて、止めた。
「……あれは、何?」
初穂は目を瞬いて、思わず呟いていた。
気のせいではない。進もうとしている先に、少し開けた場所があるのが見える。
そこに……目を凝らしてみた向こう側の岩壁に見えるのは――まるで洞窟の入口のようなものだった。
洞窟という表現は正しくないと、更に進んだ初穂は気付いた。
洞窟、と言うには人の手の入ったものだった。
丸太で組んで補強してあり、まるで鉱山の入口のような構えだ。
忘れられた鉱山か何かかと思ったが、どうにも違う気がする。
遠目にもが木は新しいように見えるし、朽ち果てたといった様子は感じられない。
入口付近の下草は刈られており、人の出入りがあるのを示している。
こんな山の中に何故にこんな場所が、と初穂は訝しく思う。
瀬皓の山は、地主であり村の長である父によって厳しく禁じられていた。
こんな最近作られた鉱山のような場所があるはずがないのに、目の前には確かに存在している。
どういう事か、と初穂は中を伺おうと一歩踏み出そうとして。
次の瞬間、凍り付く。
「馬鹿! 迂闊に近づくんじゃないっ……!」
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