第17話 ”氷槍”吉賀玄賽

 玲瓏の城下より、南東に馬を半日ばかり走らせた場にある村に賊が現れたとの報告があった。


 戝の数は多く、その頭領は召喚をはじめとした魔道を用いる。召喚により獣を山岳に放ち、村に滞在する玲瓏の兵を誘き寄せている内に襲撃を行ったという。


 兵が戻らぬうちに略奪を行うべく余分な殺しは行わず。戝は年貢用に貯蔵していた食糧庫を襲撃したという。


 貯蔵庫を守っていた兵が四名ばかりが殺害され。嵐の如く戝は去っていったという。


 


「貯蔵庫を襲った賊の数は覚えている~?」


「ご、五人でした....」


「五人ね。ありがとう~」


 高い背丈の女性が、村人と会話している。


 長い髪を結い上げ髷にし、白色の羽織を着込んだ女性。できうる限り優し気な口調で接しているが、村人は明らかに委縮していた。


 彼女が持つ”師範”という肩書は、屈強な玲瓏の兵が膝をつき頭を垂れる鬼神の称号であった。


 入鹿家師範、吉賀玄賽。玲瓏に住まう者にとって、彼女は人ではなく鬼神。外敵より民を守る土着の神であると共に、時に裁断者ともなる。


 どれだけ彼女が優し気な仮面を被ろうとも、敬い畏れる心持ちを消せるわけでもなし。それは彼女が、鬼であり、神であるから。


「.....さあて」


 賊を目撃した村人数人からの目撃情報を纏める。賊の目撃数は三から五までの間。賊はそれぞれ別方向から襲撃を行い、貯蔵していた食料を奪えるだけ奪い、残りは火を放ち燃やした。


「どう?ケイオゥスちゃん?」


 


 そして。あらかたの情報を集め終えると、吉賀玄賽は――兵の死体が安置されている場へと向かう。


 そこには、四人の兵の死体と。その傍らにて目を瞑り、死体の傷跡に触れるドレス姿の女の姿があった。


 ドレスの女――ケイオゥスは、玄賽の声の方向へ顔を向ける。


 そこには、青ざめた顔色の上に脂汗を浮かべた、苦悶の痕があった。


「....ゲンサイ様。お戻りになられましたわね」


「大丈夫?」


「はい。この程度、へっちゃらですわ」


 


 ふぅ、と一つ息を吐き。更に深呼吸。彼女は苦悶に歪んだ表情を平常に戻すと、入鹿玄賽に向き合う。


「彼等の傷痕の”痛点”を分析いたしましたわ。四人のうち三人は、恐らく背後からの一突きで死に至った。ただ残る一人――この抗戦の痕跡が残る彼は手練れだったのでしょう。彼には明らかな致命傷がありません」


 四人の兵士のうち三人はそれぞれ、背中から心臓に向け刺し傷のみが残り。一名のみが背後からの急襲を捌き、正面から賊と渡り合ったのだろう。腹部や腕に幾つか傷があるものの、致命傷になるような傷は残されていない。


 だが、死んでいる。


「彼は――恐らく”毒”により死亡していますわね」


 くるり、ケイオゥスは吉賀玄賽に向き直る。


「恐らく。賊は、蛇の紋章の加護を得ておりますわ」


 そうケイオゥスが言うと。吉賀玄賽は一つ溜息をついた。魔王の残党が転移魔道により侵入してきた後に起きた、蛇の加護を受けた賊共による襲撃。何が起きているのか、予想は容易であった。


「魔王の残党共は、玲瓏にちょっかいをかけるつもりなのね~。――上等よ」


 溜息と共に、その表情は当惑に染まる――が。その目は、何処までも楽しそうであった。柔和な表情のまま、ただその言葉に籠められた温度が、急激に冷え込む。


「殺し尽くす。――豊戦祭の前夜祭代わりに、連中のそっ首捥ぎ取って並び立て血祭といきましょう」


 吉賀玄賽。彼女の口元に浮かぶは、怒りと喜色がない交ぜになった笑みであった。怒りに触れると顔を強張らせるのではなく、自然と笑みを浮かべるように設計された女の表情が、そこにあった。


「ありがとうケイオゥスちゃん。ここからは私たちのお仕事。――倉峰様から出兵の許可を貰って、周辺を虱潰す。一人残らず地獄に落としてくれるわ」


 


☆彡


 


 叡の北部に位置していた所領のほとんどは、滅び去り。最北の地である玲瓏のみが残された。


 それは、玲瓏の地が魔王に攻め込まれたという事実で説明できる。最北の地が攻め込まれたという事は、そこに至るまでの所領のほとんどは滅ぼされたか魔王に恭順したのだ。


 魔王が滅びた後。滅びた所領はそのままに、恭順を示した所領は当然処断を受け滅びた。


 


 北部地帯のみならず。魔王に恭順した所領のほとんどは新政府に没収を受け、領主は打ち首に処され、その一族も大なり小なり罪に問われる事となった。


 そうして自らの主を失った武士共の多くは、賊に身を落としていった。


 そも、魔王が台頭する以前からこのような事は珍しくはなかった。戦続きの歴史の中、幾千もの所領が勃興しては滅びていき。その度賊に身を落とす武士が生まれていく。


 叡の国が”屍の国”と称されるに至った因果の一つは――こういった賊により夥しい程の死骸が積み重なったが故でもあろう。


 玲瓏へ連なる北部地帯。元々、所領であったものの残骸。そういったものの中には賊の巣窟となっている場も少なくない。


「....頭領。本当に、あの話に乗るんですかい?」


「ああ」


 


 叡より南東に向かった先。巨大な湖と森に囲まれた泉生の地も同様の有様であった。


 焼け落ちた城跡の周辺には粗雑な櫓が立てられ、賊が常に監視を行っている。


 城下の奥。食糧庫に近い砦の一画にて、――賊の頭領である髭面の男と、痩身の腹心が会話をしていた。


「信用していいんですかい?」


「いいや。信用はするな。――だが、連中が仕込んでくれた加護はありがたく頂く」


 いいか、と。頭領は言う。


「あのガキは蛇の紋章を俺達に仕込む代わりに、玲瓏の外周の村々を略奪して回れと言ってきた。――要は、玲瓏に喧嘩を売れと。まともじゃねぇ」


「.....加護を受けた如きで、玲瓏に勝てるわけがねぇ」


「そうだ。――いいか。こうなっちまったからには仕方ねぇ。玲瓏の精鋭――特に入鹿の師範共が来ない程度に略奪を行って、俺達はサッサとここからトンズラするぞ」


 



 


「アラン様。質問の許可を頂きたく存じます」


「あらあら。どうしたのルイス」


 


 泉生の城跡を前に、二人の女の姿がある。


 二人は、似ていた。小柄で幼い体躯も。陽光に映える金色の髪も。翡翠色の目も。整った顔立ちも。


 で、あるが。両者には明らかなる差異がある。


 一方の顔には――焼け爛れた傷痕が、左目の下から右頬に掛け刻み付けられている。


 二人の名は、アラン・クスフントとルイス。


 一方は、元魔王軍の将。もう一方は――顎砲山に刻まれた『竜』の紋章により運び込まれた、蛇神教の手勢の一人であった。


「何故....わざわざこのような賊に、加護を授けたのでしょう?」


「何でだと思う、ルイス?」


 火傷跡の女――ルイスの問いかけに、アランはにこやかに答える。


「....リュウゲンドウ様の任務の為に、賊を餌に玲瓏の精鋭を吊り上げようとしているのでしょう。ですが、賊もそれに勘付いているのか、襲撃に手心を加えている」


「正解。――そして、手心を加えているからこそ、いいのよ」


「....?」


 アランの返答に、ルイスの目は疑問符を宿す。


 襲撃に手心を加えれば、玲瓏側が賊の討伐に本腰を入れない可能性がある。そうなれば、せっかく賊にこちらの『蛇』の紋章の加護を付与した意味がなくなるのではないか――?


「物事は全てバランスを取らなきゃいけないのよ、ルイス。平時であるならともかく――玲瓏は、近く祭があるの」


「....祭ですか」


「そう。祭が近いから、こんなしょっぱい賊如きでも殲滅させないといけない。そして、――手心を加えてもらわないと、祭を中止する可能性もある」


 ここまで言うと、ルイスは「成程」と一言呟き、頷いた。


「祭を開く故に玲瓏は些末な賊相手でも相手をせねばならず。祭を止めてはならぬからこそ、賊が手心を加えるのはむしろ歓迎すると」


「そういう事。――祭の警備に兵を多く割かせる必要がこっちにはあるから、止めさせるわけにはいかない。だからこの状況が丁度いい。バランスが取れている。――ほら」


「....」


 両者は共に――何かの気配を感じ取ったのだろうか。耳を澄ませ、互いに目を合わせて一つ頷く。


「....では手筈通りに」


「ええ。少しだけ遊んだらさっさと退散しましょう。ただその前に――噂に聞く入鹿の師範。その力を、高みから見物させてもらうわ」


 


 暫しの時間を置くと共に――けたたましい蹄の音が、響き渡っていく。


 彼方より現れし軍勢は、氷張った雪道を砕く軍馬に乗り、濁流となり襲い来る。


 その先頭に立つは――腰までかかる長く真っすぐな髪を後ろ手に縛った女であった。


 黒鉄の鎧の上、藍色に染まった毛皮の外套を着込み、その手に身の丈を越す程の刃をほこる穂長槍を握り込んでいる。


 筋骨が肥大し、大樹の如き太さの四肢を持つ青肌の馬に跨り。両目をはち切れんばかりに見開き、口元を恐ろしく吊り上げた悪鬼の形相を以て――女は叫ぶ。


「聞け、賊共!我、”氷槍”吉賀玄賽なり!」


 


 その名乗りは、――賊の頭目の狙いが大きく外れた事を意味すると共に。彼等にとっての処刑宣告と同等の絶望を意味していた。


「死ねェ!」


 女の声とは思えぬほどにドスの利いたその声は、笑い声交じりのもの。地面を蹴り上げる百を超える騎兵が――かつて泉生であった地へと足を踏み入れた。


 軍勢を率いる入鹿が師範、吉賀玄賽。その表情に、普段の穏やかな面影はない。修羅に生きし怪物がそこにただ顕現していた――。


 



 


「壮観だわ」


 アラン・クスフントは、眼前の光景を目にして――そう称えていた。


 鬼神。鬼神が、そこにいた。


 女が操る巨大な穂長槍が振るわれるたび。賊の身体は細枝の如く折れ、斬り裂かれていく。


 賊に支給した銃が幾ら火を噴こうとも。その軌道上に作られた氷の防壁が弾丸を通さない。


 ――ああああああああああああああああああああああああああ!


 ”蛇”の加護を与えられども、所詮は魔道の心得のない賊である。騎馬の勢いと共に振るわれる刃の重みと衝撃に耐えられる訳もなく。


 最早、戦というよりは虐殺の現場に近い。逃げ惑う者を背後から突き刺し、隠れし者共を暴きまた殺す。殺された死骸は騎馬の蹄に踏み潰され、その原型すら残らぬ。


 この戦は、殲滅戦。己が所領を安堵させるべく行われる戦。故に、敵兵は残らず殺す。後顧の憂いを残してはならぬ故、殺し尽くすのみ。


 その様を見物し――うっとりとアランは頬を綻ばせていた。


「でも――気に入らない」


 アランの目に、吉賀玄賽の姿が映る。


 まさしく全盛の武士であった。己が身の丈を遥かに超える槍を手に、それを軽やかに振るう尋常ならざる膂力を持つ女。


 戦場を駆け、返り血を浴びて尚――その姿は美しかった。むしろ、その様が女の美しさを引き立たせていた。苛烈で、獰猛。気高い獣の如き美がそこにあるように、感ぜられた。


 その美しさを見出した瞬間から。アランの癪が暴れ出す。


「――さあて。その腕前のほどを見せてもらおうかしら、ヨシガゲンサイ」


焼け落ちた城跡の梁の上。アランは己が手より、『書』を呼び起こす。


「戦が好きなのでしょう?ならば――せめて、楽しんで下さいな」


 その書に脈動する赤き石を付着させ、アランはその頁を開いた――。


 



 


「畜生、畜生、畜生――!」


 狙いは外れ、己の命は風前の灯火。賊の頭目は虐殺の濁流より逃れんと、血濡れの肉体を引き摺り落ち延びていた。


 己が手勢は殺し尽くされ、腹心は足先を斬られ捕らえられた。――恐らく、囚われた後は死ぬよりも惨い結末が待っているのだろう。


 脆弱な蛇の加護など意味を成さず。毒の得物を用いようともロクに効かぬ。――恐らく、もう血清を手に入れているのだろう。


 逃げ場などない。隠れる場所もない。それでも頭目は逃げ続ける。


 その果て。見えたものは――。


「あ....?」


 泉生の城跡。焼け落ちた門の中より現れし、――首無しの騎兵であった。


 腐食した馬から生え出るかの如く、首のない黒き鎧を纏った者がいる。右手に錆び付いた戦斧を持ち、その左手には――髪が生え出た頭蓋骨を手にしている。


 落ちた首の断面からは火花が吹き荒れ、左手の頭蓋からは絶叫が響き渡る。


 悍ましい人馬一体の生命体が現れると共に、――それを目前にした賊の頭目は、いよいよ己が命の終結を予見し、乾いた笑みを浮かべた。


「何だよ....おい....」


 


 首無しの騎兵は左手の頭蓋骨を天に掲ぐ。絶叫を上げ続けるそれに応えるように、雪が降り積もる地面が盛り上がっていく。


 這い出るは、屍人の集団であった。肉と骨がまろび出た、腐った皮膚を纏いし人間らしきもの。彼等は各々の得物を持ち、首無しの騎兵に跪き、その首を差し出す。


 差し出された首に、天に掲げられし頭蓋骨より流れ出た長尺の鎖が巻かれていく。幾多の屍人の首を締め上げた鎖が最後に行きつくは――騎兵の首の断面であった。


 首の断面に鎖が突き刺さると共に、騎兵は頭蓋骨を手放す。鎖で繋がれた騎兵と、屍は――天に浮かぶ頭蓋と一体化を果たす。


「が....!」


 首無し騎兵は眼前の頭目の心臓へ戦斧を叩き込む。


 血飛沫と共に絶命した男は――まるで時が加速したかの如く、急速にその死骸が腐敗していく。


 皮膚が腐り落ち、変色した肉が露出すると共に――男の首にもまた、鎖が巻かれゆく。


「.....」


 


 そうして――天に浮かびし頭蓋が絶叫を上げると共に、騎兵が走り出し、そして鎖に巻かれた死骸もまた追い縋りゆく。


 鎖引きの亡者の軍勢が生まれると共に――更なる死者を求め疾走する。


 首無し騎兵の名は、『デュラハン』。怨霊と化した英傑の成れの果てである。

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