Past_Letter

平山美琴

初診

「ありがとうございました、ソレノイド先生。心が軽くなった気がします」

 診察室の扉から窓へと視線が流れる。ソレノイドと呼ばれた医者のため息は曇り空の方が重かった。

 ノック音を聞いて、診療して、外の景色を見る。の繰り返し。

 写真のように動かない景色を見ているみたいで、最近は何も感じなくなってきた。

――コンコンコン。扉に意識が向く。

「どうぞ……、……?」

 久々に幻聴を聴いた。ルーティン通り窓へ戻すと、街角で男が誰かと商談している現場が目に入る。

 スーツに似た外套に茶髪の男性。平均的な体型だが、相手の方が背が高いように見える。いや、肩に力を入れて言い合いになっているからか。予想は的中し、商人の胸ぐらを掴んでいた。

 しかし、茶髪の隙間には目尻が上がっているように見える。
<お前……‼︎ そんな条件で飲めるわけないだろ>

<不当な額ふっかけてる訳じゃないぜ? (大袈裟な笑い)まぁ、周りの目が気にならないならこのままでも……いいんだが?>

 簡単に内容が想像できる程、彼のオーバーリアクションは大衆の視線を集めていた。

「――あ、」

 悪魔みたいだ。これ以上の会話を無視しないと彼に心を掴まれそうな気がして、診察時間が終わるまで食い気味に患者の治療に専念していた。だが、表札を『時間外』に返しても彼の姿がちらついてしまう。

 元同僚の歓談会に参加することもなく、患者の心に向き合い続けていたからか?

「はぁ、なんで男一人にここまで」

 生物学上、私は男性だ。男が惚れる男という言葉があれど、彼にそういった格好良さは感じない。

 悪魔に心を掴まれて、命と『何か』を天秤にかけられるような――。

「ダメだな……」

 考えたら負けだと感じて医療ベッドにつく。

 複雑な心情を留めたカルテは風に乗って、翌日には少し軽くなった。


 ■■■

 次の日も診療が終わった。通院している患者の相手だけで、特筆する程度ではない。

――コンコンコン。またノックが響く。幻聴だろう。

「どうも、ソレノイド先生?」

「…………」

 勢いでピシャリと扉を閉める。どうやら幻覚も抱えたらしい。

「診療時間外です」

「なら……商談として受け取っても良いのか?」

 心臓が跳ねるのを感じた。幻覚にしては再現性が高すぎる。本人だ。

「俺はニスト、商人だ。誰かが俺の写真撮ってカルテを手紙代わりにしてたが……ラブレターか?」

「え」

 滝の勢いで昨日のことを想起する。確かに彼への想いをカルテに留めたが、保管は――

「゛あ……‼︎」

「え、コレお前さんが書いたのか?」

 ニストの想像には女性のストーカーが悪戯と本気を2:8にブレンドしたものだろうと思っていたらしいが、現実は奇らしい。それより、私は彼の発言を見落とさなかった。

「盗撮はしていません。ただ、それは書きました。……私は何をすれば」

 自暴自棄になりかけた私をみて、ニストはからかうような笑いから私の表情をじっと覗いた。

「なんだ。新聞記者に突きつける為の写真だと思ってたんだ。ほら、変な噂付いたら避けられるだろ」

 後ろめたい情報を隠したいからではなく、常識を知っての発言だ。

 ゴシップ――噂話が広まる程、その内容は実体になる。その危険性は簡単に想像できる。

「すみません、仕事で疲れが溜まっていたんです。この件は穏便にして頂けませんか」

「……先生、『こんなの』渡しておいてお終いは辛いな」

 否定したい気持ちを感じるが、ニストの意見は同意できる。

 ひらひらと見せるカルテとは裏腹に、彼の目は真剣だった。

「折角ここまで来たし、ソレノイド先生も疲れているように見えるから取引したいんだけどな」

 やはり、彼は悪魔だった。何を奪って何を得るのか、とても興味深い。当然危険も感じる。

 医者としての姿勢を保って彼の目に合わせた。

「俺は侵攻神でな、死後の世界から脱獄したんだ。神様に裏切ったから、神らしい」

「今の時代にそんなイタい話あるんですか?」

「レッテルをくらったんだよ。正直この肩書きのせいで心の拠り所が少なくてな」

 話が見えてきた。患者で、ラブレターを受け取った人として、私に絡みたいということか。

「私を嘲笑いたいだけですか」

「この国で誰もが肩身狭い思いしてるのは分かるよな」

 旧時代的な王様や総理といった権力者はこの国にいない。ゴシップの影響に怯えながら必死に生きているのは、私も彼も、知らない誰かも該当する。雲が晴れても空気を読み続けるレースは続くだろう。

「だから、正直に話し合える相手が欲しい」

 だからこそ、私は同意できない。


 ■■■

「私にも黙秘権があります。それと、あなたが神と分かる証拠が見つかりません」

「魔法を使えば信じるか?」

 魔法はその人のことが分かる。何せゴシップが具現化されたものだから。

 効力次第だが、相手を知らない限り診療はできない。ソレノイドは同意した。

「――『Deadly Choice”死に物狂いの運命”』」

 ……何の異変も感じない。直接攻撃ではなく精神攻撃系か。

「『正直に答える』か『沈黙する』か選べ。俺も同じ事をする。ま、百聞は一見にしかずだな」

 ニストは続ける。

「最初に、何でこの病院に居続ける?」

「患者を治せるからです。気づいたら一人になっていました」

「俺は新聞記者に突きつける為だと思っていたが、興味本位でもあるぜ?」

 思った通りの言葉を答えると、彼も答える。成程、仕組みはわかった。単純な魔法だ。

「次、この写真は誰が撮ったか分かるか?」

 本心から答えれば良いだけだ。

「知らない」

「本当に知らないんだな……俺もそうだ。記者が勝手に撮ったのか?」

 心当たりが全く無いから、問われても答えられない。

「俺を見てどう感じた?」

 簡単だ。好意を寄せていたのが不思議で、同時に気持ち悪いとも思った。

「お前が羨ましいと思った」

「さっきまでとは真逆だな」


「――あ、えっ、何故」

「……俺に何して欲しい?」

 体の制御が効かない。いや、体は動くし口も動く。そうではなくて、心が私の知らない言葉を吐いている。私の体ではないみたいで、悪寒が一気に雪崩れ込んだ。

「わ、私は……」

 咄嗟にナイフを手に取って腕に押し当てた。精神攻撃には体の主導権を理解することが一番効く。

 その手を抑えたのはニストだった。過ちを止めようと必死に腕を掴んで、魔法を解いた。

「悪かった、落ち着いてくれ。沈黙するなとは言っていない」

「は、はぁ、はっ……」

 胸がぐちゃぐちゃにされたようだ。これは悪魔と呼ばれても間違いないだろう。

「…………」

「すまない、分かってもらえたか?」

 自分と向き合う日なんて全く想像していなかった。

 私の言いたいことが本心ではなかったのか? 彼に鬱憤を向けたくなるが、疑問の方が大きくて処理しきれない。彼のせいだ。彼の……せいではあるが。

「本当に悪魔なんだな、クランケ」

「……クランケ?」

「病人の意味だ。その取引に同意する」

 ニストは怪訝そうに私を一瞥した後、大袈裟な動きを見せる。

「良いのかよ、俺にメリットが多いぜ?」

「私が何をしたいのか、自分の手で見つけたいので」

「へぇ」

「とにかく、今日は診療時間外です。また明日お待ちしています」

 ソレノイドは彼へのカルテを奪い取ってニストを追い出した。

 夢見たいな一日だった。もう二度と来て欲しくないのだが。

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