第10話 一件落着

「おい、夏目。お前、自分の仕事もちゃんと熟せないのかよ。おかげで私のドラゴンが殺されちゃったじゃねぇか」


 突然現れたケバい女性の低い声に、夏目ちゃんが顔を恐怖で強張らせて震え始めた。

 尋常じゃなさそうな状況に俺は思わず身構える。


「ねっ、ねえ……! 茨城さん!」


 そんな中、夏目ちゃんが意を決したような表情で大声を出した。

 その様子に茨城さんと呼ばれたケバい女性は眉をひそめる。


「あぁ? なんだ、てめぇごときが私に口出すつもりか?」


 スッと目を細め、威圧的に睨みつける茨城さん。

 夏目ちゃんは狼狽えて一瞬後退るが、なんとか堪えて一歩前に出た。


「こっ、こういうやり方はよくないと思うの! もう少しほかのやり方だって……」

「きめぇんだよ、そういう偽善。……ああ、そうだよな、お前みたいな恵まれたヤツは世間の闇を知らねぇからな。綺麗事を宣って、他人に押しつけて、善人ぶる。他人のことをなにも知ろうとしないくせに、見栄えのいい言葉だけ一丁前に吐きやがる」


 吐き捨てるように茨城さんは言った。

 そこには憎悪が込められていた。


 だが夏目ちゃんは一切怯むことなく、茨城さんを見つめ返して反論した。


「それを言うなら、あなたはわたしのことを知ろうとした? さっきドラゴンに倒されていった人たちは? 彼らがなにを考えてこのダンジョンに来たか、あなたは少しでも知ってるのかしら? 他人のことを知ろうともしないで、自分だけ理解してほしいなんて、まるで子供ね。自ら知られる努力もせずに癇癪だけ起こして他人に当たるなんてね」


 堂々としたその物言いに、茨城さんは一瞬怯んだ。

 表情を醜く歪める。

 彼女はなにを言い返すでもなく、剣を手に取り構えた。


「……結局、なにも言い返せずに武力に頼る。そういうところも子供なのよ」

「うるせぇ。ぜってぇに殺す……」


 茨城さんはものすごい形相で夏目ちゃんを睨んだ。

 視線で人を殺せそうだ。

 まあ、実際に殺すつもりなのだろうが。


 このままでは夏目ちゃんが不味い。

 だがレベルは俺や夏目ちゃんよりも高いことは間違いなく、泉さんがいても勝てるかどうか。

 使用している剣の装飾具合やドラゴンを使役していたことから、泉さんよりもレベルは高いと思われるし。


 それでも夏目ちゃんの手助けをしないなんて選択肢はなかった。

 俺は夏目ちゃんの隣に立ち、拳を構えた。


 瞬間、俺の目の前に半透明の板がまた現れた。



――――――――――

『管理者権限Lv.2』を使用して『プレイヤー名:イバラギ』に『弱点:視線』を付与しますか?

YES / NO

――――――――――



 弱点:視線……?

 なんで視線が選ばれたのかは分からないが、俺は迷わずYESを押した。


 すると——。


「……ひ、ひぃっ!? なっ、なんだよ!? こっちを見るなぁああああぁあ!」


 突然、茨城さんは怯えたように叫びだし、取り乱し始めた。

 その姿に泉さんと夏目ちゃんは困惑する。


「……いきなりどうしたのよ?」

「なにか様子がおかしいですね……」


 茨城さんに、さらに二人の視線が突き刺さる。

 余計に怯え始め、とうとう脇目も振らずに逃げ出してしまった。


「……なんだったのよ、一体。今日はよく分からないことがたくさん起こって疲れたわ」


 困惑したように夏目ちゃんが言った。

 ごめん、夏目ちゃん。

 そのよく分からないことの原因の大半は俺だ。


「ま、まあ、これにて一件落着ということで! 今日は疲れましたし帰りましょうか!」


 泉さんがパンと手を叩き言った。

 俺もそれに同意するように頷いて言う。


「そうですね。もうやることもなさそうですしね」

「あっ、そうだ、小田さん! 今日撮った動画、編集して明日には投稿しておきますね!」

「おおっ、ありがとうございます」

「それで、あとでURLとか送りたいんですけど、メールアドレスとかって……」

「もちろん交換するのは構わないぞ。まあ最近流行のSNSみたいなのはやってないけど」


 そう言って俺は胸ポケットから手帳を取り出し、ささっとメールアドレスを書く。

 そのページを破って泉さんに渡すと、夏目ちゃんが興味深そうにこちらを見てくる。


「小田さんってSNSもやってないの?」

「ああ。そもそもスマホ持ってないし」


 俺の言葉に夏目ちゃんはひどく驚いていた。

 これがジェネレーションギャップってヤツか……。


「はいはい。話をするならダンジョンを出てからにしましょうね」


 泉さんがそう言って、俺たちは仲良くダンジョンを離れるのだった。



+++++



——茨城玲・視点——


「なんだなんだ、一体なんなんだよッ、クソッ!」


 茨城玲は、人の視線から、魔物の視線から逃れるようにダンジョン内を逃げ回っていた。

 特に低階層は初心者が多くて人の目が多く、居場所がなかった。


 逃げ回ること数時間。

 自分でも知らないような場所に来ていた。

 一体、自分がどのルートで逃げてここまで来たのかも分からない。

 ただ薄暗い一本道の通路だった。


 しかしそれが逆に安心する。

 誰もいないというのが分かるからだ。


「はあ……はあ……」


 走り続けて疲れてしまった。

 肩で息を吐きながら、壁に背中を預けてズルズルと座り込む。

 そのときだった。


 ズシンズシンと来たの方向から響くような音が聞こえてきた。

 冷や汗がぶわっと溢れてくる。

 逃げ出したいのに、恐怖で思考が鈍り上下左右が分からなくなってくる。


 必死で目を瞑った。

 だが、その足音は徐々にこちらに近づいてきている。

 そして、茨城の前で足音は止まった。


 目を開けられない。

 なにがいるのかを直視したくない。


 現実から目を背けるように目を瞑り続けて、かなり時間が経った。


 なにもアクションがなく、もういなくなったのではないかと思い始める。

 なにも起こっていないのだから、どう考えてもいないはずだ。

 だって、もしまだいるのなら、攻撃してきたりしてもおかしくはないはずだ。

 相手は魔物なのだから。


 目を開けた。


 目の前に無数の瞳があった。


 巨大なブヨブヨとした肉体に、たくさんの目が散りばめられていた。

 その目はじっと、微動だにせず、茨城のことを見つめていた。


「——ひっ」


 喉の奥が引きつる。

 再びぶわっと冷や汗が溢れる。


 恐怖で視界が暗転し、次に目覚めたときにはダンジョン入り口のリスポーン地点に戻っていた。

 下着が濡れてビチャビチャだったし、奥歯が噛み合わずにずっと音を立てていたが、そんなことには一切気がつかなかった。


 過剰な恐怖で麻痺した脳は、最も原始的な生存本能に従って、ただひたすらダンジョンから離れるように命令を出し続けるのだった。

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